【冒頭】
五月三日。水曜日。
晴れ。学校を休んで、芝の斎藤氏邸に、トボトボと出かける。トボトボという形容は、決して誇張ではなかった。実に、暗鬱な気持であった。
【結句】
こんな事でどうする。あすは、いや、もう十二時を過ぎているから、きょうだ、きょうの午後一時には試験があるのだ。何かしようと思っても、なんにも手につかず、仕方が無い、万年筆にインクでもつめて置いて、そうして寝る事にしましょう。考えてみると、明日の試験に失敗したら、僕は死なねばならぬ身なのである。手が震える。
「正義と微笑」について
・昭和17年3月19日に脱稿。
・昭和17年6月10日、書下し中篇小説『正義と微笑』を「新日本文藝」叢書の一冊として錦城出版社から刊行。
全文掲載(「青空文庫」より)
五月三日。水曜日。
晴れ。学校を休んで、芝の斎藤氏邸に、トボトボと出かける。トボトボという形容は、決して誇張ではなかった。実に、
ところが、きょうは、あまり悪くなかった。いや、そんなにもよくない。でも、まあ、いいほうかも知れない。
斎藤氏邸の門前には、自動車が一台とまっていた。僕が玄関のベルを押そうとしたら、急に玄関の内がさわがしくなって、がらりと玄関が内からあいて、
「あら! いまおでかけのところなのよ。ちょうどいいわ、お話してごらんなさい。」
僕は帽子をとって、ちょっとその女の人にお辞儀をして、それから、すぐに斎藤氏のあとを追って、
「先生!」と呼んだ。斎藤氏は、振り向きもせず、すたすた歩いて門前に待っている自動車にさっさと乗ってしまった。僕は、自動車の窓に走り寄って、
「津田さんからの紹介状、――」と言いかけたら、じろりろ僕を見て、
「乗りたまえ。」と低い声で言った。しめたと思ってドアを開け、斎藤氏のすぐ
「よござんしたね。」女のひとは、窓から鞄とステッキを斎藤氏に手渡しながら、「こないだは、ずいぶん怒ってお帰りになりましたのよ。」と相変らず
斎藤氏は、不機嫌そうに
「行ってらっしゃいまし。」
自動車は走った。
「どちらへ、おいでになるんですか。」と僕は聞いた。斎藤氏は、返事をしなかった。五分も
「
「何も、」聞きとれないような低い声である。「怒って帰る事はない。」
「はあ。」思わずぺこりと頭をさげた。だから、運転台に乗ればよかったんだ。
「津田君とは、どんな知り合いなのかね。」
「は、兄さんが小説を見てもらっているんです。」と言ったが、斎藤氏は聞いているのか、聞いていないのか、少しの反応もなく、黙っている。しばらくしてから、
「津田君の手紙は、れいに
やっぱりそうだった。あれだけでは、なんの事やらわかるまい。
「俳優になりたいんです。」結論だけ言った。
「俳優。」ちっともおどろかない。そうして、それっきりまた、なんにも言わない。僕は、さすがに、じれったくなって来た。
「いい劇団へはいってみっちり修業したいと思うんです。どんな劇団がいいのか教えてください。」
「劇団。」低く呟いて、またしばらく黙っている。僕は、ほとほと閉口した。「いい劇団。」と、また呟いて、だしぬけに怒声を発した。「そんなものは無いよ。」
僕は、おどろいた。失礼して、自動車から降ろしてもらおうかと思った。とても、まともに話が出来ない。
「いい劇団が無いんですか。」
「無い。」平然としている。
「こんど
何も答えない。鞄のスナップのあまくなっている
「あそこで、」ひょいと、思いがけない時に言い出す。「研修生を募集している。」
「そうですか。それにはいったほうがいいんですか。」と僕は、意気込んで尋ねた。やっと話が本筋にはいって来たと思った。
答えない。
「やっぱり、だめなんですか。」
答えない。鞄をやたらに、いじくりまわしている。
「誰でも、勝手に応募できるのかしら。」と、わざと独り言のようにして呟いてみた。
なんにも反応が無い。
「試験があるんでしょう?」と今度は強く、詰め寄るようにして聞いてみた。
やっと鞄の修繕が終ったらしい。窓の外を眺めて、
「わからん。」と言った。
僕は、もう何も聞くまいと思った。自動車は、
僕が降りようとしたら斎藤氏は、
「君は、――どこで降りる?」と言ったので、それでは、この自動車を拝借してこのまま乗って行ってもいいのかしらと思って、
「麹町です。」と恐縮して言った。
「麹町。」斎藤氏は、ちょっと考えて、「遠い。」と言った。これぁ
もっと近いところだったら、貸してくれそうな様子だったのだが、とにかく、ちゃっかりしたおじいさんである。
「どうも失礼いたしました。」と僕が大きい声で言って
市電に乗って、まっすぐに家へ帰った。兄さんが、待ち構えていて、きょうの首尾を根ほり葉ほり尋ねた。
「聞きしにまさる傑物だねえ。」と兄さんも苦笑していた。
「どうかしているんだよ、きっと。」と僕が言ったら、
「いや、そうじゃない。とても、しっかりしている。世界的な文豪を
「馬鹿言ってら。てんで何も話してくれないんだよ。気味が悪かったぜ。」
「いや、たしかに好意を持たれている。一緒に自動車に乗せたというのは、ただ事でない。思うに、あの女のひとが、うまく取りなして置いてくれたんだね。津田さんの紹介状だって、案外、見えないところで
「だって、鴎座がいいとは言わなかったんだよ。」
「わるいとも言わなかったろう?」
「わからん、と言ってた。」
「それでいいんだよ。僕には、斎藤氏の気持がわかるね。やっぱり苦労人だよ、斎藤氏は。その辺から、まあ、ぼつぼつ始めてみたらいいだろうという事なんだよ。」
「そうだろうか。」
鴎座の事務所の電話番号を捜し出すのに骨を折った。兄さんが、銀座のプレイガイドに勤めている兄さんの知人に電話をかけて、調査をたのみ、やっと判明した。
「さあ、これからは、お前がなんでも、ひとりでやってごらん。」兄さんは、そう言って僕に受話器を渡した。僕は、さすがに緊張した。
鴎座の事務所に電話をかけたら、女のひとが出て、
「五月八日? じゃ、すぐですね?」胸がどきどきして、声が嗄れた。「それで? 試験は?」
「九日に、
「へええ。」妙な声が出た。「
「午後一時ジャストに、研究所へお集りを願います。」
「課目は? 課目は? どんな試験をするんですか?」
「それは申し上げられません。」
「へええ。」また妙な声が出た。「それじゃ、どうも。」電話を切った。
おどろいたのである。五月九日。もう一週間しかないじゃないか。何も、準備が出来やしない。
「簡単な試験なんだろう。」と兄さんは、のんきそうに言ってるけれど、そうも行かない。僕はこれから日本一の役者にならなければならぬ男だ。その男が、いま演劇の世界に第一歩を踏み出すに当って、まずい答案を書いたなら、一生消えない汚点をしるす事になる。かならず僕は、第一番の、それもずば抜けた成績を示さなければならぬ。学校の試験とは、ちがうのだ。学校の試験は、僕の将来の生活と、かならずしも直接には、結びつかなかったけれど、このたびの試験は、僕の窮極の生きる道に直接につながっているのだ。これに失敗したら、もう僕は
今夜は、今まで買いためて置いた参考書を、全部、机の上に積み重ねた。
プドフキン「映画俳優論」。コクラン「俳優芸術論」。タイロフ「解放された演劇」。
しっかりやらなければならぬ。今夜は、これから、コクランの「俳優芸術論」と、斎藤氏の「芝居街道五十年」を読破するつもりである。
あしたは、写真屋へ行かなければならぬ。
五月八日。月曜日。
雨。きょうは学校を休んだ。何が何やら、さっぱりわからなくなって、この貴重な一週間を、いったいどうして過したのか、学校へ行っても、そわそわして、何でもないのに、にやにや笑ったり、家に帰っては、やたらに部屋の
ちょっと寝てから、また猛然とはね起きた。日が暮れてしまったら、少し心も落ちついて来た。きのう写真屋から送られて来た手札型の写真を見つめる。同じものが三枚送られて来たのだが、その中でも割合、顔の色が黒く、陰影のあるのを選んで履歴書などと一緒に、きのう速達で研究所へ送ってやったのである。どうして僕の顔は、こんなに、らっきょうのように、単純なのだろう。
「お前の顔は、役者に向かない顔である。」と明日の試験で、はっきり宣告されたら、どうしよう。僕は、その瞬間から、それこそ「生ける
兄さんがやって来て、
「床屋へ行ったか?」と尋ねる。まだ行っていないのである。
雨の中を、あたふたと床屋へ行く。実際、なってない。床屋で、ドボルジャークの「新世界」を聞く。ラジオ放送である。好きな曲なんだけれど、どうしても、気持にはいって来ない。大きな、
床屋から帰って、それから、兄さんにすすめられて
兄さんに、いろいろ注意された。自分の声をそのまま出して自然に言う事。もっとおなかに力をいれて、ハッキリ言う事。あまり、からだを動かさない事。いちいち
「お前は、サシスセソが、うまく言えないようだね。」これも手痛かった。自分でも、それは薄々感じていたのだ。舌が長すぎるのだろうか。
「
僕は、だめかも知れない。思いは
こんな事でどうする。あすは、いや、もう十二時を過ぎているから、きょうだ、きょうの午後一時には試験があるのだ。何かしようと思っても、なんにも手がつかず、仕方が無い、万年筆にインクでもつめて置いて、そうして寝る事にしましょう。考えてみると、明日の試験に失敗したら、僕は死なねばならぬ身なのである。手が震える。
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