【冒頭】
どうしても、もう、とても、生きておられないような心細さ。これが、あの、不安、とかいう感情なのであろうか。
【結句】
不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。
「斜陽 三」について
・新潮文庫『斜陽』所収。
・昭和22年4月頃に脱稿。
・昭和22年8月1日、『新潮』八月号に「斜陽(長篇連載第二回)」として「三」「四」を掲載。
斜陽 (新潮文庫)
全文掲載(「青空文庫」より)
三
どうしても、もう、とても、生きておられないような心細さ。これが、あの、不安、とかいう感情なのであろうか、胸に苦しい
このごろは雨が陰気に降りつづいて、何をするにも、もの
「お母さま」
と思わず言った。
お母さまは、お座敷の
「はい?」
と、不審そうに返事をなさった。
私は、まごつき、それから、ことさらに大声で、
「とうとう
お座敷のお縁側のすぐ前の薔薇。それは、和田の叔父さまが、むかし、フランスだかイギリスだか、ちょっと忘れたけれど、とにかく遠いところからお持帰りになった薔薇で、二、三箇月前に、叔父さまが、この山荘の庭に移し植えて下さった薔薇である。けさそれが、やっと一つ咲いたのを、私はちゃんと知っていたのだけれども、てれ隠しに、たったいま気づいたみたいに大げさに騒いで見せたのである。花は、濃い紫色で、りんとした
「知っていました」
とお母さまはしずかにおっしゃって、
「あなたには、そんな事が、とても重大らしいのね」
「そうかも知れないわ。
「いいえ、あなたには、そういうところがあるって言っただけなの。お勝手のマッチ箱にルナアルの絵を
「子供が無いからよ」
自分でも全く思いがけなかった言葉が、口から出た。言ってしまって、はっとして、まの悪い思いで膝の編物をいじっていたら、
――二十九だからなあ。
そうおっしゃる男の人の声が、電話で聞くようなくすぐったいバスで、はっきり聞えたような気がして、私は恥ずかしさで、
お母さまは、何もおっしゃらず、また、ご本をお読みになる。お母さまは、こないだからガーゼのマスクをおかけになっていらして、そのせいか、このごろめっきり無口になった。そのマスクは、直治の言いつけに従って、おかけになっているのである。直治は、十日ほど前に、南方の島から
何の前触れも無く、夏の夕暮、裏の木戸から庭へはいって来て、
「わあ、ひでえ。趣味のわるい家だ。
それが私とはじめて顔を合せた時の、直治の
その二、三日前からお母さまは、舌を病んで寝ていらした。舌の先が、外見はなんの変りも無いのに、うごかすと痛くてならぬとおっしゃって、お食事も、うすいおかゆだけで、お医者さまに見ていただいたら? と言っても、首を振って、
「笑われます」
と苦笑いしながら、おっしゃる。ルゴールを塗ってあげたけれども、少しもききめが無いようで、私は妙にいらいらしていた。
そこへ、直治が帰還して来たのだ。
直治はお母さまの
「どう? お母さまは、変った?」
「変った、変った。やつれてしまった。早く死にゃいいんだ。こんな世の中に、ママなんて、とても生きて行けやしねえんだ。あまりみじめで、見ちゃおれねえ」
「私は?」
「げびて来た。男が二三人もあるような顔をしていやがる。酒は? 今夜は飲むぜ」
私はこの部落でたった一軒の宿屋へ行って、おかみさんのお咲さんに、弟が帰還したから、お酒を少しわけて下さい、とたのんでみたけれども、お咲さんは、お酒はあいにく、いま切らしています、というので、帰って直治にそう伝えたら、直治は、見た事も無い他人のような表情の顔になって、ちえっ、交渉が下手だからそうなんだ、と言い、私から宿屋の在る場所を聞いて、
「もし、もし。大丈夫でしょうか。
と、れいの
「焼酎って。あの、メチル?」
「いいえ、メチルじゃありませんけど」
「飲んでも、病気にならないのでしょう?」
「ええ、でも、……」
「飲ませてやって下さい」
お咲さんは、つばきを飲み込むようにしてうなずいて帰って行った。
私はお母さまのところに行って、
「お咲さんのところで、飲んでいるんですって」
と申し上げたら、お母さまは、少しお口を曲げてお笑いになって、
「そう。
私は泣きたいような気持になった。
夜ふけて、直治は、荒い足音をさせて帰って来た。私たちは、お座敷に三人、一つの
「南方のお話を、お母さまに聞かせてあげたら?」
と私が寝ながら言うと、
「何も無い。何も無い。忘れてしまった。日本に着いて汽車に乗って、汽車の窓から、水田が、すばらしく
私は電燈を消した。夏の月光が
あくる朝、直治は寝床に
「舌が痛いんですって?」
と、はじめてお母さまのお加減の悪いのに気がついたみたいなふうの口のきき方をした。
お母さまは、ただ
「そいつあ、きっと、心理的なものなんだ。夜、口をあいておやすみになるんでしょう。だらしがない。マスクをなさい。ガーゼにリバノール液でもひたして、それをマスクの中にいれて置くといい」
私はそれを聞いて噴き出し、
「それは、何療法っていうの?」
「美学療法っていうんだ」
「でも、お母さまは、マスクなんか、きっとおきらいよ」
お母さまは、マスクに限らず、眼帯でも、眼鏡でも、お顔にそんなものを
「ねえ、お母さま。マスクをなさる?」
と私がおたずねしたら、
「致します」
とまじめに低くお答えになったので、私は、はっとした。直治の言う事なら、なんでも信じて従おうと思っていらっしゃるらしい。
私が朝食の後に、さっき直治が言ったとおりに、ガーゼにリバノール液をひたしなどして、マスクを作り、お母さまのところに持って行ったら、お母さまは、黙って受け取り、おやすみになったままで、マスクの
お昼すぎに、直治は、東京のお友達や、文学のほうの師匠さんなどに逢わなければならぬと言って背広に着換え、お母さまから、二千円もらって東京へ出かけて行ってしまった。それっきり、もう十日ちかくなるのだけれども、直治は、帰って来ないのだ。そうして、お母さまは、毎日マスクをなさって、直治を待っていらっしゃる。
「リバノールって、いい薬なのね。このマスクをかけていると、舌の痛みが消えてしまうのですよ」
と、笑いながらおっしゃったけれども、私には、お母さまが
「あ」
と言って立ち上り、さて、どこへも行くところが無く、身一つをもてあまして、ふらふら階段をのぼって行って、二階の洋間にはいってみた。
ここは、こんど直治の部屋になる筈で、四、五日前に私が、お母さまと相談して、下の農家の中井さんにお手伝いをたのみ、直治の洋服
と書きしるされ、その中には、次のような事が一ぱい書き散らされていたのである。直治が、あの、麻薬中毒で苦しんでいた頃の手記のようであった。
焼け死ぬる思い。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、古来、
思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠実? 真理? 純粋? みなウソだ。牛島の藤は、樹齢千年、
アレモ人ノ子。生キテイル。
論理は、
金と女。論理は、はにかみ、そそくさと歩み去る。
歴史、哲学、教育、宗教、法律、政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。
学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。
ゲエテにだって誓って言える。僕は、どんなにでも
文いたらず、人いたらぬ
友人、したり顔にて、あれがあいつの悪い癖、惜しいものだ、と御述懐。愛されている事を、ご存じ無い。
不良でない人間があるだろうか。
味気ない思い。
金が欲しい。
さもなくば、
眠りながらの自然死!
薬屋に千円ちかき借金あり。きょう、質屋の番頭をこっそり家へ連れて来て、僕の部屋へとおして、何かこの部屋に目ぼしい質草ありや、あるなら持って行け、火急に金が要る、と申せしに、番頭ろくに部屋の中を見もせず、およしなさい、あなたのお道具でもないのに、とぬかした。よろしい、それならば、僕がいままで、僕のお小遣い銭で買った品物だけ持って行け、と威勢よく言って、かき集めたガラクタ、質草の資格あるしろもの一つも無し。
まず、片手の
その他、パリ近郊の大地図、直径一尺にちかきセルロイドの
千円の借銭を解決せんとして、五円也。世の中に
デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。
正義? 所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね! という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。
しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がいない。白痴、幽霊、
死ね! という言葉を与えるのさえ、もったいない。
戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。
ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。
人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!
人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。
けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。
僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと
どうも、くいちがう。
結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。
このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。
春の朝、二三輪の花の咲きほころびた梅の枝に朝日が当って、その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと
「ママ! 僕を
「どういう
「弱虫! って」
「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」
ママには無類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。
オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。
めしいのままに
育ちゆくらし
あわれ 太るも (
モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン アトロピン
プライドとは何だ、プライドとは。
人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと思わずに、生きて行く事が出来ぬものか。
人をきらい、人にきらわれる。
ちえくらべ。
厳粛=
とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。
或る借銭申込みの手紙。
「御返事を。
御返事を下さい。
そうして、それが必ず快報であるように。
僕はさまざまの屈辱を思い設けて、ひとりで呻いています。
芝居をしているのではありません。絶対にそうではありません。
お願いいたします。
僕は恥ずかしさのために死にそうです。
誇張ではないのです。
毎日毎日、御返事を待って、夜も昼もがたがたふるえているのです。
僕に、砂を
壁から忍び笑いの声が聞えて来て、深夜、床の中で
僕を恥ずかしい目に
姉さん!」
そこまで読んで私は、その夕顔日誌を閉じ、木の箱にかえして、それから窓のほうに歩いて行き、窓を一ぱいにひらいて、白い雨に煙っているお庭を
もう、あれから、六年になる。直治の、この麻薬中毒が、私の離婚の原因になった、いいえ、そう言ってはいけない、私の離婚は、直治の麻薬中毒がなくっても、べつな何かのきっかけで、いつかは行われているように、そのように、私の生れた時から、さだまっていた事みたいな気もする。直治は、薬屋への支払いに困って、しばしば私にお金をねだった。私は山木へ
「上原さんって、どんな方?」
「
と、お関さんは答える。
「でも、アパートにいらっしゃる事は、めったにございませぬです。たいてい、奥さんと、六つ七つの女のお子さんと、お二人がいらっしゃるだけでございます。この奥さんは、そんなにお
その頃の私は、いまの私に
上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。
「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに」
すこし鼻声で、とぎれとぎれにそうおっしゃる。私を、奥さんのお友達とでも思いちがいしたらしかった。私が、直治の姉だと言う事を申し上げたら、上原さんは、ふん、と笑った。私は、なぜだか、ひやりとした。
「出ましょうか」
そう言って、もう
外は、初冬の夕暮。風が、つめたかった。
東京劇場の裏手のビルの地下室にはいった。四、五組の客が、二十畳くらいの細長いお部屋で、それぞれ卓をはさんで、ひっそりお酒を飲んでいた。
上原さんは、コップでお酒をお飲みになった。そうして、私にも別なコップを取り寄せて下さって、お酒をすすめた。私は、そのコップで二杯飲んだけれども、なんともなかった。
上原さんは、お酒を飲み、
「お酒でも飲むといいんだけど」
「え?」
「いいえ、弟さん。アルコールのほうに転換するといいんですよ。僕も昔、麻薬中毒になった事があってね、あれは人が薄気味わるがってね、アルコールだって同じ様なものなんだが、アルコールのほうは、人は案外ゆるすんだ。弟さんを、酒飲みにしちゃいましょう。いいでしょう?」
「私、いちど、お酒飲みを見た事がありますわ。新年に、私が出掛けようとした時、うちの運転手の知合いの者が、自動車の助手席で、鬼のような
「僕だって、酒飲みです」
「あら、だって、違うんでしょう?」
「あなただって、酒飲みです」
「そんな事は、ありませんわ。私は、お酒飲みを見た事があるんですもの。まるで、違いますわ」
上原さんは、はじめて楽しそうにお笑いになって、
「それでは、弟さんも、酒飲みにはなれないかも知れませんが、とにかく、酒を飲む人になったほうがいい。帰りましょう。おそくなると、困るんでしょう?」
「いいえ、かまわないんですの」
「いや、実は、こっちが窮屈でいけねえんだ。ねえさん! 会計!」
「うんと高いのでしょうか。少しなら、私、持っているんですけど」
「そう。そんなら、会計は、あなただ」
「足りないかも知れませんわ」
私は、バッグの中を見て、お金がいくらあるかを上原さんに教えた。
「それだけあれば、もう二、三軒飲める。馬鹿にしてやがる」
上原さんは顔をしかめておっしゃって、それから笑った。
「どこかへ、また、飲みにおいでになりますか?」
と、おたずねしたら、まじめに首を振って、
「いや、もうたくさん。タキシーを拾ってあげますから、お帰りなさい」
私たちは、地下室の暗い階段をのぼって行った。一歩さきにのぼって行く上原さんが、階段の
べつに何も、上原さんをすきでなかったのに、それでも、その時から私に、あの「ひめごと」が出来てしまったのだ。かたかたかたと、上原さんは走って階段を上って行って、私は不思議な透明な気分で、ゆっくり上って、外へ出たら、川風が
上原さんに、タキシーを拾っていただいて、私たちは黙ってわかれた。
車にゆられながら、私は世間が急に海のようにひろくなったような気持がした。
「私には、恋人があるの」
「知っています。細田でしょう? どうしても、思い切る事が出来ないのですか?」
私は黙っていた。
その問題が、何か気まずい事の起る
「まさか、その、おなかの子は」
と或る夜、夫に言われた時には、私はあまりおそろしくて、がたがた震えた。いま思うと、私も夫も、若かったのだ。私は、恋も知らなかった。愛、さえ、わからなかった。私は、細田さまのおかきになる絵に夢中になって、あんなお方の奥さまになったら、どんなに、まあ、美しい日常生活を営むことが出来るでしょう、あんなよい趣味のお方と結婚するのでなければ、結婚なんて無意味だわ、と私は誰にでも言いふらしていたので、そのために、みんなに誤解されて、それでも私は、恋も愛もわからず、平気で細田さまを好きだという事を公言し、取消そうともしなかったので、へんにもつれて、その頃、私のおなかで眠っていた小さい赤ちゃんまで、夫の疑惑の的になったりして、誰ひとり離婚などあらわに言い出したお方もいなかったのに、いつのまにやら周囲が白々しくなっていって、私は附き添いのお関さんと一緒に里のお母さまのところに帰って、それから、赤ちゃんが死んで生れて、私は病気になって寝込んで、もう、山木との間は、それっきりになってしまったのだ。
直治は、私が離婚になったという事に、何か責任みたいなものを感じたのか、僕は死ぬよ、と言って、わあわあ声を挙げて、顔が腐ってしまうくらいに泣いた。私は弟に、薬屋の借りがいくらになっているのかたずねてみたら、それはおそろしいほどの金額であった。しかも、それは弟が実際の金額を言えなくて、嘘をついていたのがあとでわかった。あとで判明した実際の総額は、その時に弟が私に教えた金額の約三倍ちかくあったのである。
「私、上原さんに
私が上原さんと逢って、そうして上原さんをいいお方だと言ったのが、弟を何だかひどく喜ばせたようで、弟は、その夜、私からお金をもらって早速、上原さんのところに遊びに行った。
中毒は、それこそ、精神の病気なのかも知れない。私が上原さんをほめて、そうして弟から上原さんの著書を借りて読んで、偉いお方ねえ、などと言うと、弟は、姉さんなんかにはわかるもんか、と言って、それでも、とてもうれしそうに、じゃあこれを読んでごらん、とまた別の上原さんの著書を私に読ませ、そのうちに私も上原さんの小説を本気に読むようになって、二人であれこれ上原さんの
あれから、もう、六年になる。
夕顔。ああ、弟も苦しいのだろう。しかも、
いっそ思い切って、本職の不良になってしまったらどうだろう。そうすると、弟もかえって楽になるのではあるまいか。
不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。
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