記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#194「カチカチ山」(『お伽草紙』)

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【冒頭】

カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男(ぶおとこ)。これはもう疑いを容れぬ儼然(げんぜん)たる事実のように私には思われる。これは甲州富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。

【結句】

古来、世界中の文芸の悲哀の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺(おぼ)れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗(すこぶ)る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。 

 

「カチカチ山」(『お伽草紙』)について

新潮文庫お伽草紙』所収。
・昭和19年6月末に脱稿。
・昭和20年10月25日、筑摩書房から刊行の『お伽草紙』に収載。

お伽草紙 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より) 

 

カチカチ山


 カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの慘めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を戀してゐる醜男。これはもう疑ひを容れぬ儼然たる事實のやうに私には思はれる。これは甲州富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行はれた事件であるといふ。甲州の人情は、荒つぽい。そのせゐか、この物語も、他のお伽噺に較べて、いくぶん荒つぽく出來てゐる。だいいち、どうも、物語の發端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなつてやしない。狸も、つまらない惡戲をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばつてゐたなんて段に到ると、まさに陰慘の極度であつて、所謂兒童讀物としては、遺憾ながら發賣禁止の憂目に遭はざるを得ないところであらう。現今發行せられてゐるカチカチ山の繪本は、それゆゑ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合ひに、賢明にごまかしてゐるやうである。それはまあ、發賣禁止も避けられるし、大いによろしい事であらうが、しかし、たつたそれだけの惡戲に對する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。一撃のもとに倒すといふやうな颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶつて、なぶつて、さうして最後は泥舟でぶくぶくである。その手段は、一から十まで詭計である。これは日本の武士道の作法ではない。しかし、狸が婆汁などといふ惡どい欺術を行つたのならば、その返報として、それくらゐの執拗のいたぶりを受けるのは致し方の無いところでもあらうと合點のいかない事もないのであるが、童心に與へる影響ならびに發賣禁止のおそれを顧慮して、狸が單に婆さんに怪我をさせて逃げた罰として兎からあのやうなかずかずの恥辱と苦痛と、やがてぶていさい極まる溺死とを與へられるのは、いささか不當のやうにも思はれる。もともとこの狸は、何の罪とがも無く、山でのんびり遊んでゐたのを、爺さんに捕へられ、さうして狸汁にされるといふ絶望的な運命に到達し、それでも何とかして一條の血路を切りひらきたく、もがき苦しみ、窮餘の策として婆さんを欺き、九死に一生を得たのである。婆汁なんかをたくらんだのは大いに惡いが、しかし、このごろの繪本のやうに、逃げるついでに婆さんを引掻いて怪我させたくらゐの事は、狸もその時は必死の努力で、謂はば正當防衞のために無我夢中であがいて、意識せずに婆さんに怪我を與へたのかも知れないし、それはそんなに憎むべき罪でも無いやうに思はれる。私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまづいが、頭腦もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるやうだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の繪本を讀んでやつたら、
「狸さん、可哀想ね。」
 と意外な事を口走つた。もつとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覺えで、何を見ても「可哀想」を連發し、以て子に甘い母の稱讚を得ようといふ下心が露骨に見え透いてゐるのであるから、格別おどろくには當らない。或ひは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行つた時、檻の中を絶えずチヨコチヨコ歩きまはつてゐる狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思ひ込み、それゆゑ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問はず、狸に贔屓してゐたのかも知れない。いづれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根據が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としてゐる。どだい、何も、問題にする價値が無い。しかし私は、その娘の無責任きはまる放言を聞いて、或る暗示を與へられた。この子は、何も知らずにただ、このごろ覺えた言葉を出鱈目に呟いただけの事であるが、しかし、父はその言葉に依つて、なるほど、これでは少し兎の仕打がひどすぎる、こんな小さい子供たちなら、まあ何とか言つてごまかせるけれども、もつと大きい子供で、武士道とか正々堂々とかの觀念を既に教育せられてゐる者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思はれはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたといふわけである。
 このごろの繪本のやうに、狸が婆さんに單なる引掻き傷を與へたくらゐで、このやうに兎に意地惡く飜弄せられ、脊中は燒かれ、その燒かれた個所には唐辛子たうがらしを塗られ、あげくの果には泥舟に乘せられて殺されるといふ悲慘の運命に立ち到るといふ筋書では、國民學校にかよつてゐるほどの子供ならば、すぐに不審を抱くであらう事は勿論、よしんば狸が、不埒な婆汁などを試みたとしても、なぜ正々堂々と名乘りを擧げて彼に膺懲の一太刀を加へなかつたか。兎が非力であるから、などはこの場合、辯解にならない。仇討ちは須く正々堂々たるべきである。神は正義に味方する。かなはぬまでも、天誅! と一聲叫んで眞正面からをどりかかつて行くべきである。あまりにも腕前の差がひどかつたならば、その時には臥薪嘗膽、鞍馬山にでもはひつて一心に劍術の修行をする事だ。昔から日本の偉い人たちは、たいていそれをやつてゐる。いかなる事情があらうと、詭計を用ゐて、しかもなぶり殺しにするなどといふ仇討物語は、日本に未だ無いやうだ。それをこのカチカチ山ばかりは、どうも、その仇討の仕方が芳しくない。どだい、男らしくないぢやないか、と子供でも、また大人でも、いやしくも正義にあこがれてゐる人間ならば、誰でもこれに就いてはいささか不快の情を覺えるのではあるまいか。
 安心し給へ。私もそれに就いて、考へた。さうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは當然だといふ事がわかつた。この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の處女だ。いまだ何も、色氣は無いが、しかし、美人だ。さうして、人間のうちで最も殘酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシヤ神話には美しい女神がたくさん出て來るが、その中でも、ヴイナスを除いては、アルテミスといふ處女神が最も魅力ある女神とせられてゐるやうだ。ご承知のやうに、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、さうして敏捷できかぬ氣で、一口で言へばアポロンをそのまま女にしたやうな神である。さうして下界のおそろしい猛獸は全部この女神の家來である。けれども、その姿態は決して荒くれて岩乘な大女ではない。むしろ小柄で、ほつそりとして、手足も華奢で可愛く、ぞつとするほどあやしく美しい顏をしてゐるが、しかし、ヴイナスのやうな「女らしさ」が無く、乳房も小さい。氣にいらぬ者には平氣で殘酷な事をする。自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、颯つと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。こんな女に惚れたら、男は慘憺たる大恥辱を受けるにきまつてゐる。けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危險な女性に惚れ込み易いものである。さうして、その結果は、たいていきまつてゐるのである。
 疑ふものは、この氣の毒な狸を見るがよい。狸は、そのやうなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せてゐたのだ。兎が、このアルテミス型の少女だつたと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいづれの罪を犯した場合でも、その懲罰が、へんに意地くね惡く、さうして「男らしく」ないのが當然だと、溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ團々として、愚鈍大食の野暮天であつたといふに於いては、その悲慘のなり行きは推するに餘りがある。
 狸は爺さんに捕へられ、もう少しのところで狸汁にされるところであつたが、あの兎の少女にひとめまた逢ひたくて、大いにあがいて、やつと逃れて山へ歸り、ぶつぶつ何か言ひながら、うろうろ兎を搜し歩き、やつと見つけて、
「よろこんでくれ! おれは命拾ひをしたぞ。爺さんの留守をねらつて、あの婆さんを、えい、とばかりにやつつけて逃げて來た。おれは運の強い男さ。」と得意滿面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
 兎はぴよんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といつたやうな顏つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いぢやないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかつたの?」
「さうか、」と狸は愕然として、「知らなかつた。かんべんしてくれ。さうと知つてゐたら、おれは、狸汁にでも何にでも、なつてやつたのに。」と、しよんぼりする。
「いまさら、そんな事を言つたつて、もうおそいわ。あのお家の庭先に私が時々あそびに行つて、さうして、おいしいやはらかな豆なんかごちそうになつたのを、あなただつて知つてたぢやないの。それだのに、知らなかつたなんて嘘ついて、ひどいわ。あなたは、私の敵よ。」とむごい宣告をする。兎にはもうこの時すでに、狸に對して或る種の復讐を加へてやらうといふ心が動いてゐる。處女の怒りは辛辣である。殊にも醜惡な魯鈍なものに對しては容赦が無い。
「ゆるしてくれよ。おれは、ほんとに、知らなかつたのだ。嘘なんかつかない。信じてくれよ。」と、いやにねばつこい口調で歎願して、頸を長くのばしてうなだれて見せて、傍に木の實が一つ落ちてゐるのを見つけ、ひよいと拾つて食べて、もつと無いかとあたりをきよろきよろ見廻しながら、「本當にもう、お前にそんなに怒られると、おれはもう、死にたくなるんだ。」
「何を言つてるの。食べる事ばかり考へてるくせに。」兎は輕蔑し果てたといふやうに、つんとわきを向いてしまつて、「助平の上に、また、食ひ意地がきたないつたらありやしない。」
「見のがしてくれよ。おれは、腹がへつてゐるんだ。」となほもその邊を、うろうろ搜し廻りながら、「まつたく、いまのおれのこの心苦しさが、お前にわかつてもらへたらなあ。」
「傍へ寄つて來ちや駄目だつて言つたら。くさいぢやないの。もつとあつちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだつてね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだつてね。」
「まさか。」と狸は力弱く苦笑した。それでも、なぜだか、強く否定する事の能はざる樣子で、さらにまた力弱く、「まさかねえ。」と口を曲げて言ふだけであつた。
「上品ぶつたつて駄目よ。あなたのそのにほひは、ただのくさみぢやないんだから。」と兎は平然と手きびしい引導を渡して、それから、ふいと別の何か素晴らしい事でも思ひついたらしく急に眼を輝かせ、笑ひを噛み殺してゐるやうな顏つきで狸のはうに向き直り、「それぢやあね、こんど一ぺんだけ、ゆるしてあげる。あれ、寄つて來ちや駄目だつて言ふのに。油斷もすきもなりやしない。よだれを拭いたらどう? 下顎がべろべろしてるぢやないの。落ついて、よくお聞き。こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、條件があるのよ。あの爺さんは、いまごろはきつとひどく落膽して、山に柴刈りに行く氣力も何も無くなつてゐるでせうから、私たちはその代りに柴刈りに行つてあげませうよ。」
「一緒に? お前も一緒に行くのか?」狸の小さい濁つた眼は歡喜に燃えた。
「おいや?」
「いやなものか。けふこれから、すぐに行かうよ。」よろこびの餘り、聲がしやがれた。
「あしたにしませう、ね、あしたの朝早く。けふはあなたもお疲れでせうし、それに、おなかもいてゐるでせうから。」といやに優しい。
「ありがたい! おれは、あしたお辨當をたくさん作つて持つて行つて、一心不亂に働いて十貫目の柴を刈つて、さうして爺さんの家へとどけてあげる。さうしたら、お前は、おれをきつと許してくれるだらうな。仲よくしてくれるだらうな。」
「くどいわね。その時のあなたの成績次第でね。もしかしたら、仲よくしてあげるかも知れないわ。」
「えへへ、」と狸は急にいやらしく笑ひ、「その口が憎いや。苦勞させるぜ、こんちきしやう。おれは、もう、」と言ひかけて、這ひ寄つて來た大きい蜘蛛を素早くぺろりと食べ、「おれは、もう、どんなに嬉しいか、いつそ、男泣きに泣いてみたいくらゐだ。」と鼻をすすり、嘘泣きをした。

 夏の朝は、すがすがしい。河口湖の湖面は朝霧に覆はれ、白く眼下に烟つてゐる。山頂では狸と兎が朝露を全身に浴びながら、せつせと柴を刈つてゐる。
 狸の働き振りを見ると、一心不亂どころか、ほとんど半狂亂に近いあさましい有樣である。ううむ、ううむ、と大袈裟に唸りながら、めちや苦茶に鎌を振りまはして、時々、あいたたたた、などと聞えよがしの悲鳴を擧げ、ただもう自分がこのやうに苦心慘憺してゐるといふところを兎に見てもらひたげの樣子で、縱横無盡に荒れ狂ふ。ひとしきり、そのやうに凄じくあばれて、さすがにもうだめだ、といふやうな疲れ切つた顏つきをして鎌を投げ捨て、
「これ、見ろ。手にこんなに豆が出來た。ああ、手がひりひりする。のどが乾く。おなかもいた。とにかく、大勞働だつたからなあ。ちよつと休息といふ事にしようぢやないか。お辨當でも開きませうかね。うふふふ。」とてれ隱しみたいに妙に笑つて、大きいお辨當箱を開く。ぐいとその石油罐ぐらゐの大きさのお辨當箱に鼻先を突込んで、むしやむしや、がつがつ、ぺつぺつ、といふ騷々しい音を立てながら、それこそ一心不亂に食べてゐる。兎はあつけにとられたやうな顏をして、柴刈りの手を休め、ちよつとそのお辨當箱の中を覗いて、あ! と小さい叫びを擧げ、兩手で顏を覆つた。何だか知れぬが、そのお辨當箱には、すごいものがはひつてゐたやうである。けれども、けふの兎は、何か内證の思惑でもあるのか、いつものやうに狸に向つて侮辱の言葉も吐かず、先刻から無言で、ただ技巧的な微笑を口邊に漂はせてせつせと柴を刈つてゐるばかりで、お調子に乘つた狸のいろいろな狂態をも、知らん振りして見のがしてやつてゐるのである。狸の大きいお辨當箱の中を覗いて、ぎよつとしたけれども、やはり何も言はず、肩をきゆつとすくめて、またもや柴刈りに取かかる。狸は兎にけふはひどく寛大に扱はれるので、ただもうほくほくして、たうとうやつこさんも、おれのさかんな柴刈姿には惚れ直したかな? おれの、この、男らしさには、まゐらぬ女もあるまいて、ああ、食つた、眠くなつた、どれ一眠り、などと全く氣をゆるしてわがままいつぱいに振舞ひ、ぐうぐう大鼾を掻いて寢てしまつた。眠りながらも、何のたはけた夢を見てゐるのか、惚れ藥つてのは、あれは駄目だぜ、きかねえや、などわけのわからぬ寢言を言ひ、眼をさましたのは、お晝ちかく。
「ずいぶん眠つたのね。」と兎は、やはりやさしく、「もう私も、柴を一束こしらへたから、これから脊負つて爺さんの庭先まで持つて行つてあげませうよ。」
「ああ、さうしよう。」と狸は大あくびしながら腕をぽりぽり掻いて、「やけにおなかがいた。かうおなかがくと、もうとても、眠つて居られるものぢやない。おれは敏感なんだ。」ともつともらしい顏で言ひ、「どれ、それではおれも刈つた柴を大急ぎで集めて、下山としようか。お辨當も、もう、からになつたし、この仕事を早く片づけて、それからすぐに食べ物を搜さなくちやいけない。」
 二人はそれぞれ刈つた柴を脊負つて、歸途につく。
「あなた、さきに歩いてよ。この邊には、蛇がゐるんで、私こはくて。」
「蛇? 蛇なんてこはいもんか。見つけ次第おれがとつて、」食べる、と言ひかけて、口ごもり、「おれがとつて、殺してやる。さあ、おれのあとについて來い。」
「やつぱり、男のひとつて、こんな時にはたのもしいものねえ。」
「おだてるなよ。」とやにさがり、「けふはお前、ばかにしをらしいぢやないか。氣味がわるいくらゐだぜ。まさか、おれをこれから爺さんのところに連れて行つて、狸汁にするわけぢやあるまいな。あははは。そいつばかりは、ごめんだぜ。」
「あら、そんなにへんに疑ふなら、もういいわよ。私がひとりで行くわよ。」
「いや、そんなわけぢやない。一緒に行くがね、おれは蛇だつて何だつてこの世の中にこはいものなんかありやしないが、どうもあの爺さんだけは苦手だ。狸汁にするなんて言ひやがるから、いやだよ。どだい、下品ぢやないか。少くとも、いい趣味ぢやないと思ふよ。おれは、あの爺さんの庭先の手前の一本榎のところまで、この柴を脊負つて行くから、あとはお前が運んでくれよ。おれは、あそこで失敬しようと思ふんだ。どうもあの爺さんの顏を見ると、おれは何とも言へず不愉快になる。おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだらう。お前にも、聞えないか? 何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「當り前ぢやないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかつたの?」
「うん。知らなかつた。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかつたね。しかし、へんな名前だ。嘘ぢやないか?」
「あら、だつて、山にはみんな名前があるものでせう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山だし、みんなに名前があるぢやないの。だから、この山はカチカチ山つていふ名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチつて音が聞える。」
「うん、聞える。しかし、へんだな。いままで、おれはいちども、この山でこんな音を聞いた事が無い。この山で生れて、三十何年かになるけれども、こんな、――」
「まあ! あなたは、もうそんな年なの? こなひだ私に十七だなんて教へたくせに、ひどいぢやないの。顏が皺くちやで、腰も少し曲つてゐるのに、十七とは、へんだと思つてゐたんだけど、それにしても、二十もとしをかくしてゐるとは思はなかつたわ。それぢやあなたは、四十ちかいんでせう、まあ、ずゐぶんね。」
「いや十七だ、十七。十七なんだ。おれがかう腰をかがめて歩くのは、決してとしのせゐぢやないんだ。おなかがいてゐるから、自然にこんな恰好になるんだ。三十何年、といふのは、あれは、おれの兄の事だよ。兄がいつも口癖のやうにさう言ふので、つい、おれも、うつかり、あんな事を口走つてしまつたんだ。つまり、ちよつと傳染したつてわけさ。そんなわけなんだよ、君。」狼狽のあまり、君といふ言葉を使つた。
「さうですか。」と兎は冷靜に、「でも、あなたにお兄さんがあるなんて、はじめて聞いたわ。あなたはいつか私に、おれは淋しいんだ、孤獨なんだよ、親も兄弟も無い、この孤獨の淋しさが、お前、わからんかね、なんておつしやつてたぢやないの。あれは、どういふわけなの?」
「さう、さう、」と狸は、自分でも何を言つてゐるのか、わからなくなり、「まつたく世の中は、これでなかなか複雜なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があつたり無かつたり。」
「まるで、意味が無いぢやないの。」と兎もさすがに呆れ果て、「めちや苦茶ね。」
「うん、實はね、兄はひとりあるんだ。これは言ふのもつらいが、飮んだくれのならず者でね、おれはもう恥づかしくて、面目なくて、生れて三十何年間、いや、兄がだよ、兄が生れて三十何年間といふもの、このおれに、迷惑のかけどほしさ。」
「それも、へんね。十七のひとが、三十何年間も迷惑をかけられたなんて。」
 狸は、もう聞えぬ振りして、
「世の中には、一口で言へない事が多いよ。いまぢやもう、おれのはうから、あれは無いものと思つて、勘當して、おや? へんだね、キナくさい。お前、なんともないか?」
「いいえ。」
「さうかね。」狸は、いつも臭いものを食べつけてゐるので、鼻には自信が無い。けげんな面持でくびをひねり、「氣のせゐかなあ。あれあれ、何だか火が燃えてゐるやうな、パチパチボウボウつて音がするぢやないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさつき、ここはカチカチ山だつて言つた癖に。」
「さうよ、同じ山でも、場所に依つて名前が違ふのよ。富士山の中腹にも小富士といふ山があるし、それから大室山だつて長尾山だつて、みんな富士山と續いてゐる山ぢやないの。知らなかつたの?」
「うん、知らなかつた。さうかなあ、ここがパチパチのボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だつたが、いや、これは、ばかに暖くなつて來た。地震でも起るんぢやねえだらうか。何だかけふは薄氣味の惡い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きやあつ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」

 その翌る日、狸は自分の穴の奧にこもつて唸り、
「ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思へば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて來たばかりに、女どもが、かへつて遠慮しておれに近寄らない。いつたいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらひかと思つてゐるのかも知れねえ。なあに、おれだつて決して聖人ぢやない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思つてゐるらしく、なかなか誘惑してくれない。かうなればいつそ、大聲で叫んで走り狂ひたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷やけどといふものは始末がわるい。づきづき痛む。やつと狸汁から逃れたかと思ふと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいふのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であつた。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。三十何年、」と言ひかけて、あたりをぎよろりと見廻し、「何を隱さう、おれあことし三十七さ、へへん、わるいか、もう三年經てば四十だ、わかり切つた事だ、理の當然といふものだ、見ればわかるぢやないか。あいたたた、それにしても、おれが生れてから三十七年間、あの裏山で遊んで育つて來たのだが、つひぞいちども、あんなへんな目に遭つた事が無い。カチカチ山だの、ボウボウ山だの、名前からして妙に出來てる。はて、不思議だ。」とわれとわが頭を毆りつけて思案にくれた。
 その時、表で行商の呼賣りの聲がする。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に惱むかたはゐないか。」
 狸は、やけど切傷よりも、色黒と聞いてはつとした。
「おうい、仙金膏。」
「へえ、どちらさまで。」
「こつちだ、穴の奧だよ。色黒にもきくかね。」
「それはもう、一日で。」
「ほほう、」とよろこび、穴の奧からゐざり出て、「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違ひありませんが、私は男の藥賣りです。ええ、もう三十何年間、この邊をかうして賣り歩いてゐます。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、さうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよさう。糞面白くもない。しつつこいぢやないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその藥を少しゆづつてくれないか。實はちよつと惱みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほつて置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいつそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだつていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、――」
「何を言つていらつしやるんです。生死の境ぢやありませんか。やあ、脊中が一ばんひどいですね。いつたい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になつてねえ、おどろきましたよ。」
 兎は思はず、くすくす笑つてしまつた。狸は、兎がなぜ笑つたのかわからなかつたが、とにかく自分も一緒に、あはははと笑ひ、
「まつたくねえ。ばかばかしいつたらありやしないのさ。お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行つちやいけないぜ。はじめ、カチカチ山といふのがあつて、それからいよいよパチパチのボウボウ山といふ事になるんだが、あいつあいけない。ひでえ事になつちやふ。まあ、いい加減に、カチカチ山あたりでごめんかうむつて來るんですな。へたにボウボウ山などに踏み込んだが最後、かくの如き始末だ。あいててて。いいですか。忠告しますよ。お前はまだ若いやうだから、おれのやうな年寄りの言は、いや、年寄りでもないが、とにかく、ばかにしないで、この友人の言だけは尊重して下さいよ。何せ、體驗者の言なのだから。あいてててて。」
「ありがたうございます。氣をつけませう。ところで、どうしませう、お藥は。御深切な忠告を聞かしていただいたお禮として、お藥代は頂戴いたしません。とにかく、その脊中の火傷に塗つてあげませう。ちやうど折よく私が來合せたから、よかつたやうなものの、さうでもなかつたら、あなたはもう命を落すやうな事になつたかも知れないのです。これも何かのお導きでせう。縁ですね。」
「縁かも知れねえ。」と狸は低く呻くやうに言ひ、「ただなら塗つてもらはうか。おれもこのごろは貧乏でな、どうも、女に惚れると金がかかつていけねえ。ついでにその膏藥を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。」
「どうなさるのです。」兎は、不安さうな顏になつた。
「いや、はあ、なんでもねえ。ただ、ちよつと見たいんだよ。どんな色合ひのものだかな。」
「色は別に他の膏藥とかはつてもゐませんよ。こんなものですが。」とほんの少量を、狸の差出す手のひらに載せてやる。
 狸は素早くそれを顏に塗らうとしたので兎は驚き、そんな事でこの藥の正體が暴露してはかなはぬと、狸の手を遮り、
「あ、それはいけません。顏に塗るには、その藥は少し強すぎます。とんでもない。」
「いや、放してくれ。」狸はいまは破れかぶれになり、「後生だから手を放せ。お前にはおれの氣持がわからないんだ。おれはこの色黒のため生れて三十何年間、どのやうに味氣ない思ひをして來たかわからない。放せ。手を放せ。後生だから塗らせてくれ。」
 つひに狸は足を擧げて兎を蹴飛ばし、眼にもとまらぬ早さで藥をぬたくり、
「少くともおれの顏は、目鼻立ちは決して惡くないと思ふんだ。ただ、この色黒のために氣がひけてゐたんだ。もう大丈夫だ。うわつ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い藥だ。しかし、これくらゐの強い藥でなければ、おれの色黒はなほらないやうな氣もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしやうめ、こんどあいつが、おれと逢つた時、うつとりおれの顏に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、戀わづらひしたつて知らないぞ。おれの責任ぢやないからな。ああ、ひりひりする。この藥は、たしかにく。さあ、もうかうなつたら、脊中にでもどこにでも、からだ一面に塗つてくれ。おれは死んだつてかまはん。色白にさへなつたら死んだつてかまはんのだ。さあ塗つてくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやつてくれ。」まことに悲壯な光景になつて來た。
 けれども、美しく高ぶつた處女の殘忍性には限りが無い。ほとんどそれは、惡魔に似てゐる。平然と立ち上つて、狸の火傷にれいの唐辛子たうがらしをねつたものをこつてりと塗る。狸はたちまち七轉八倒して、
「ううむ、何ともない。この藥は、たしかに效く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覺えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだつたから、それで婆さんをやつつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばつかりに、女にいちども、もてやしなかつたんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの惡い思ひをして來たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤獨だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは惡くないと思ふんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐつたり失神の有樣となる。

 しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思ふ間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這ふやうにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟してゐると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乘せられ、河口湖底に沈むのである。實に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがひ無からうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。いきなところが、ひとつも無い。彼は穴の奧で三日間は蟲の息で、生きてゐるのだか死んでゐるのだか、それこそ全く幽明の境をさまよひ、四日目に、猛烈の空腹感に襲はれ、杖をついて穴からよろばひ出て、何やらぶつぶつ言ひながら、かなたこなた食ひ搜して歩いてゐるその姿の氣の毒さと來たら比類が無かつた。しかし、根が骨太ほねぶとの岩乘なからだであつたから、十日も經たぬうちに全快し、食慾は舊の如く旺盛で、色慾などもちよつと出て來て、よせばよいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける。
「遊びに來ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑ふ。
「あら!」と兎は言ひ、ひどく露骨にいやな顏をした。なあんだ、あなたなの? といふ氣持、いや、それよりもひどい。なんだつてまたやつて來たの、圖々しいぢやないの、といふ氣持、いや、それよりもなほひどい。ああ、たまらない! 厄病神が來た! といふ氣持、いや、それよりも、もつとひどい。きたない! くさい! 死んぢまへ! といふやうな極度の嫌惡が、その時の兎の顏にありありと見えてゐるのに、しかし、とかく招かれざる客といふものは、その訪問先の主人の、こんな憎惡感に氣附く事はなはだ疎いものである。これは實に不思議な心理だ。讀者諸君も氣をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思ひながら澁々出かけて行く時には、案外その家で君たちの來訪をしんから喜んでゐるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて氣持のよい家だらう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一のいこひの巣だ、なんともあの家へ行くのは樂しみだ、などといい氣分で出かける家に於いては、諸君は、まづたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に帚など立てられてゐるものである。他人の家に、憇ひの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の證據なのかも知れないが、とかくこの訪問といふ事に於いては、吾人は驚くべき思ひ違ひをしてゐるものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。兎が、あら! と言ひ、さうして、いやな顏をしても、狸には一向に氣がつかない。狸には、その、あら! といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから發せられた處女の無邪氣な聲の如くに思はれ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めてゐるのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」とお見舞ひも何も言はれぬくせに、こちらから御禮を述べ、「心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついてゐるんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。河童の肉は、うまいさうで、何とかして、そのうち食べてみようと思つてゐるんだがね。それは餘談だが、しかし、あの時は、驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だつたからね。お前のはうは、どうだつたね。べつに怪我も無い樣子だが、よくあの火の中を無事で逃げて來られたね。」
「無事でもないわよ。」と兎はつんとすねて見せて、「あなたつたら、ひどいぢやないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行つてしまふんだもの。私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだつたのよ。私は、あなたを恨んだわ。やつぱりあんな時に、つい本心といふものがあらはれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心といふものが、こんど、はつきりわかつたわ。」
「すまねえ。かんにんしてくれ。實はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひよつとしたら神さまも何もついてゐねえのかも知れない、さんざんの目に遭つちやつたんだ。お前はどうなつたか、決してそれを忘れてゐたわけぢやなかつたんだが、何せどうも、たちまちおれの脊中が熱くなつて、お前を助けに行くひまも何も無かつたんだよ。わかつてくれねえかなあ。おれは決して不實な男ぢやねえのだ。火傷つてやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝氣膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい藥だ。色黒にも何もききやしない。」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い藥でね、こいつあ、強い藥なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が藥代は要らねえ、と言ふから、おれもつい、ものはためしだと思つて、塗つてもらふ事にしたのだが、いやはやどうも、ただの藥つてのも、あれはお前、氣をつけたはうがいいぜ、油斷も何もなりやしねえ、おれはもう頭のてつぺんからキリキリと小さい龍卷が立ち昇つたやうな氣がして、どうとばかりに倒れたんだ。」
「ふん、」と兎は輕蔑し、「自業自得ぢやないの。ケチンボだから罰が當つたんだわ。ただの藥だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品な事を、恥づかしくもなく言へたものねえ。」
「ひでえ事を言ふ。」と狸は低い聲で言ひ、けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にゐるといふ幸福感にぬくぬくとあたたまつてゐる樣子で、どつしりと腰を落ちつけ、死魚のやうに濁つた眼であたりを見廻し、小蟲を拾つて食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭つても、死にやしない。神さまがついてゐるのかも知れねえ。お前も無事でよかつたが、おれも何といふ事もなく火傷がなほつて、かうしてまた二人でのんびり話が出來るんだものなあ。ああ、まるで夢のやうだ。」
 兎はもうさつきから、早く歸つてもらひたくてたまらなかつた。いやでいやで、死にさうな氣持。何とかしてこの自分の庵の附近から去つてもらひたくて、またもや惡魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりやおいしい鮒がうようよゐる事をご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね。」と狸は、たちまち眼をかがやかして、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕つて來ておれに食べさせてくれた事があつたけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用といふわけではないが、決してさういふわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕へる事が出來ねえので、どうも、あいつはおいしいといふ事だけは知つてゐながら、それ以來三十何年間、いや、はははは、つい兄の口眞似をしちやつた。兄も鮒は好きでなあ。」
「さうですかね。」と兎は上の空で合槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行つてあげてもいいわよ。」
「さうかい。」と狸はほくほくして、「でも、あの鮒つてやつは、素早いもんでなあ、おれはあいつを捕へようとして、も少しで土左衞門になりかけた事があるけれども、」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね。」
「網で掬つたら、わけは無いわ。あの※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)うがしまの岸にこのごろとても大きい鮒が集つてゐるのよ。ね、行きませう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ、」幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その氣になりや、なあに。」と苦しい法螺を吹いた。
「漕げるの?」と兎は、それが法螺だといふ事を知つてゐながら、わざと信じた振りをして、「ぢや、ちやうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乘れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作つた舟だから、水がしみ込んで來て危いのよ。でも、私なんかどうなつたつて、あなたの身にもしもの事があつてはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合せて作りませうよ。板切れの舟は危いから、もつと岩乘に、泥をこねつて作りませうよ。」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか。」と言つて嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その岩乘ないい舟を作つてくれないか。な、たのむよ。」と拔からず横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの岩乘な舟を作つてくれてゐる間に、おれは、ちよつとお辨當をこさへよう。おれはきつと立派な炊事係りになれるだらうと思ふんだ。」
「さうね。」と兎は、この狸の勝手な意見をも信じた振りして素直に首肯く。さうして狸は、ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。この間一髮に於いて、狸の悲運は決定せられた。自分の出鱈目を何でも信じてくれる者の胸中には、しばしば何かのおそるべき惡計が藏せられてゐるものだと云ふ事を、迂愚の狸は知らなかつた。調子がいいぞ、とにやにやしてゐる。
 ふたりはそろつて湖畔に出る。白い河口湖には波ひとつ無い。兎はさつそく泥をこねて、所謂岩乘な、いい舟の製作にとりかかり、狸は、すまねえ、すまねえ、と言ひながらあちこち飛び廻つて專ら自分のお辨當の内容調合に腐心し、夕風が微かに吹き起つて湖面一ぱいに小さい波が立つて來た頃、粘土の小さい舟が、つやつやと鋼鐵色に輝いて進水した。
「ふむ、惡くない。」と狸は、はしやいで、石油鑵ぐらゐの大きさの、れいのお辨當箱をまづ舟に積み込み、「お前は、しかし、ずいぶん器用な娘だねえ。またたく間にこんな綺麗な舟一艘つくり上げてしまふのだからねえ。神技だ。」と齒の浮くやうな見え透いたお世辭を言ひ、このやうな器用な働き者を女房にしたら、或ひはおれは、女房の働きに依つて遊んでゐながら贅澤ができるかも知れないなどと、色氣のほかにいまはむらむら慾氣さへ出て來て、いよいよこれは何としてもこの女にくつついて一生はなれぬ事だ、とひそかに覺悟のほぞを固めて、よいしよと泥の舟に乘り、「お前はきつと舟を漕ぐのも上手だらうねえ。おれだつて、舟の漕ぎ方くらゐ知らないわけでは、まさか、そんな、知らないと云ふわけでは決して無いんだが、けふはひとつ、わが女房のお手並を拜見したい。」いやに言葉遣ひが圖々しくなつて來た。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人とか、または達者とか言はれたものだが、けふはまあ寢轉んで拜見といふ事にしようかな。かまはないから、おれの舟の舳を、お前の舟のともにゆはへ附けておくれ。舟も仲良くぴつたりくつついて、死なばもろとも、見捨てちやいやよ。」などといやらしく、きざつたらしい事を言つてぐつたり泥舟の底に寢そべる。
 兎は、舟をゆはへ附けよと言はれて、さてはこの馬鹿も何か感づいたかな? とぎよつとして狸の顏つきを盜み見たが、何の事は無い、狸は鼻の下を長くしてにやにや笑ひながら、もはや夢路をたどつてゐる。鮒がとれたら起してくれ。あいつあ、うめえからなあ。おれは三十七だよ。などと馬鹿な寢言を言つてゐる。兎は、ふんと笑つて狸の泥舟を兎の舟につないで、それから、櫂でぱちやと水の面を撃つ。するすると二艘の舟は岸を離れる。
 ※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)うがしまの松林は夕陽を浴びて火事のやうだ。ここでちよつと作者は物識り振るが、この島の松林を寫生して圖案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだといふ話だ。たしかな人から聞いたのだから、讀者も信じて損は無からう。もつとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなつてゐるから、若い讀者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまはしたものだ。とかく識つたかぶりは、このやうな馬鹿らしい結果に終る。まあ、生れて三十何年以上にもなる讀者だけが、ああ、あの松か、と藝者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思ひ出して、つまらなさうな顏をするくらゐが關の山であらうか。
 さて兎は、その※(「顱のへん+鳥」、第3水準1-94-73)※(「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66)島の夕景をうつとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極惡人でも、自分がこれから殘虐の犯罪を行はうといふその直前に於いて、山水の美にうつとり見とれるほどの餘裕なんて無いやうに思はれるが、しかし、この十六歳の美しい處女は、眼を細めて島の夕景を觀賞してゐる。まことに無邪氣と惡魔とは紙一重である。苦勞を知らぬわがままな處女の、へどが出るやうな氣障つたらしい姿態に對して、ああ青春は純眞だ、なんて言つて垂涎してゐる男たちは、氣をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純眞」とかいふものは、しばしばこの兎の例に於けるが如く、その胸中に殺意と陶醉が隣合せて住んでゐても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちやまぜの亂舞である。危險この上ないビールの泡だ。皮膚感覺が倫理を覆つてゐる状態、これを低能あるひは惡魔といふ。ひところ世界中に流行したアメリカ映畫、あれには、こんな所謂「純眞」な雄や雌がたくさん出て來て、皮膚感觸をもてあまして擽つたげにちよこまか、バネ仕掛けの如く動きまはつてゐた。別にこじつけるわけではないが、所謂「青春の純眞」といふものの元祖は、或ひは、アメリカあたりにあつたのではなからうかと思はれるくらゐだ。スキイでランラン、とかいふたぐひである。さうしてその裏で、ひどく愚劣な犯罪を平氣で行つてゐる。低能でなければ惡魔である。いや、惡魔といふものは元來、低能なのかも知れない。小柄でほつそりして手足が華奢で、かの月の女神アルテミスにも比較せられた十六歳の處女の兎も、ここに於いて一擧に頗る興味索然たるつまらぬものになつてしまつた。低能かい。それぢやあ仕樣が無いねえ。
「ひやあ!」と脚下に奇妙な聲が起る。わが親愛なる而して甚だ純眞ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の眞實だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お辨當がむだになるぢやないか。このお辨當箱には鼬のふんでまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飮んぢやつた。おい、たのむ、ひとの惡い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねええにし艫綱ともづな、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出來ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちのすぢが固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは實際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を毆りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す氣だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の惡計を見拔いたが、既におそかつた。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな惡い事をしたのだ。惚れたが惡いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
 兎は顏を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。

 ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。十六歳の美しい處女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或ひはまた、氣にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌惡せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ禮儀作法の教科書でもあらうか。
 或ひはまた、道徳の善惡よりも、感覺の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。
 いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが惡いか。
 古來、世界中の文藝の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。作者の、それこそ三十何年來の、頗る不振の經歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。おそらくは、また、君に於いても。後略。

太宰の意思を尊重するという観点から、1945年10月に筑摩書房から刊行された初版本ではなく、翌1946年2月に筑摩書房から刊行された再版本を底本としました。判断の根拠については、下記事をご参照下さい。

 

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