【冒頭】
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。
【結句】
富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出している。
「続 、富嶽百景 」について
・新潮文庫『走れメロス』所収。
・昭和14年1月22日夜か23日朝かの脱稿。
・昭和14年3月1日、『文体』三月号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。御坂峠のその茶店は、
河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に
十月のなかば過ぎても、私の仕事は遅々として進まぬ。人が恋しい。夕焼け赤き
「をばさん! あしたは、天気がいいね。」
自分でも、びつくりするほど、うはずつて、歓声にも似た声であつた。をばさんは
「あした、何かおありなさるの?」
さう聞かれて、私は窮した。
「なにもない。」
おかみさんは笑ひ出した。
「おさびしいのでせう。山へでもおのぼりになつたら?」
「山は、のぼつても、すぐまた降りなければいけないのだから、つまらない。どの山へのぼつても、おなじ富士山が見えるだけで、それを思ふと、気が重くなります。」
私の言葉が変だつたのだらう。をばさんはただ
ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、
素朴な、自然のもの、従つて簡潔な鮮明なもの、そいつをさつと一挙動で掴まへて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思ひ、さう思ふときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考へてゐる「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だつていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思へない、この富士の姿も、やはりどこか間違つてゐる、これは違ふ、と再び思ひまどふのである。
朝に、夕に、富士を見ながら、陰欝な日を送つてゐた。十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五台に分乗してやつて来た。私は二階から、その様を見てゐた。自動車からおろされて、色さまざまの遊女たちは、バスケットからぶちまけられた一群の伝書鳩のやうに、はじめは歩く方向を知らず、ただかたまつてうろうろして、沈黙のまま押し合ひ、へし合ひしてゐたが、やがてそろそろ、その異様の緊張がほどけて、てんでにぶらぶら歩きはじめた。茶店の店頭に並べられて在る絵葉書を、おとなしく選んでゐるもの、
富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して
そのころ、私の結婚の話も、
「それで、おうちでは、反対なのでございませうか。」と、首をかしげて私にたづねた。
「いいえ、反対といふのではなく、」私は右の手のひらを、そつと卓の上に押し当て、「おまへひとりで、やれ、といふ工合ひらしく思はれます。」
「結構でございます。」母堂は、品よく笑ひながら、「私たちも、ごらんのとほりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かへつて当惑するやうなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」
私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めてゐた。眼の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思つた。
かへりに、娘さんは、バスの発着所まで送つて来て呉れた。歩きながら、
「どうです。もう少し交際してみますか?」
きざなことを言つたものである。
「いいえ。もう、たくさん。」娘さんは、笑つてゐた。
「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
「ございます。」
私は何を聞かれても、ありのまま答へようと思つてゐた。
「富士山には、もう雪が降つたでせうか。」
私は、その質問に拍子抜けがした。
「降りました。いただきのはうに、――」と言ひかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。
「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるぢやないか。ばかにしてゐやがる。」やくざな口調になつてしまつて、「いまのは、愚問です。ばかにしてゐやがる。」
娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、
「だつて、御坂峠にいらつしやるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思つて。」
をかしな娘さんだと思つた。
甲府から帰つて来ると、やはり、呼吸ができないくらゐにひどく肩が
「いいねえ、をばさん。やつぱし御坂は、いいよ。自分のうちに帰つて来たやうな気さへするのだ。」
夕食後、おかみさんと、娘さんと、交る交る、私の肩をたたいてくれる。おかみさんの
甲府へ行つて来て、二、三日、
「お客さん。甲府へ行つたら、わるくなつたわね。」
朝、私が机に頬杖つき、目をつぶつて、さまざまのことを考へてゐたら、私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましさうに、多少、とげとげしい口調で、さう言つた。私は、振りむきもせず、
「さうかね。わるくなつたかね。」
娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなつた。この二、三日、ちつとも勉強すすまないぢやないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろへるのが、とつても、たのしい。たくさんお書きになつて居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」
私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。
十月末になると、山の紅葉も黒ずんで、汚くなり、とたんに一夜あらしがあつて、みるみる山は、真黒い冬木立に化してしまつた。遊覧の客も、いまはほとんど、数へるほどしかない。茶店もさびれて、ときたま、おかみさんが、六つになる男の子を連れて、峠のふもとの船津、吉田に買物をしに出かけて行つて、あとには娘さんひとり、遊覧の客もなし、一日中、私と娘さんと、ふたり切り、峠の上で、ひつそり暮すことがある。私が二階で退屈して、外をぶらぶら歩きまはり、茶店の背戸で、お洗濯してゐる娘さんの傍へ近寄り、
「退屈だね。」
と大声で言つて、ふと笑ひかけたら、娘さんはうつむき、私はその顔を
それからは、気をつけた。娘さんひとりきりのときには、なるべく二階の室から出ないやうにつとめた。茶店にお客でも来たときには、私がその娘さんを守る意味もあり、のしのし二階から降りていつて、茶店の一隅に腰をおろしゆつくりお茶を飲むのである。いつか花嫁姿のお客が、紋附を着た爺さんふたりに附き添はれて、自動車に乗つてやつて来て、この峠の茶屋でひと休みしたことがある。そのときも、娘さんひとりしか茶店にゐなかつた。私は、やはり二階から降りていつて、隅の椅子に腰をおろし、煙草をふかした。花嫁は裾模様の長い着物を着て、
「あら!」
と背後で、小さい叫びを挙げた。娘さんも、素早くその欠伸を見つけたらしいのである。やがて花嫁の一行は、待たせて置いた自動車に乗り、峠を降りていつたが、あとで花嫁さんは、さんざんだつた。
「馴れてゐやがる。あいつは、きつと二度目、いや、三度目くらゐだよ。おむこさんが、峠の下で待つてゐるだらうに、自動車から降りて、富士を眺めるなんて、はじめてのお嫁だつたら、そんな太いこと、できるわけがない。」
「欠伸したのよ。」娘さんも、力こめて賛意を表した。「あんな大きい口あけて欠伸して、図々しいのね。お客さん、あんなお嫁さんもらつちや、いけない。」
私は年甲斐もなく、顔を赤くした。私の結婚の話も、だんだん好転していつて、或る先輩に、すべてお世話になつてしまつた。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会つてもらつて、まづしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるやうになつて、私は人の情に、少年の如く感奮してゐた。
十一月にはひると、もはや御坂の寒気、堪へがたくなつた。茶店では、ストオヴを備へた。
「お客さん、二階はお寒いでせう。お仕事のときは、ストオヴの傍でなさつたら。」と、おかみさんは言ふのであるが、私は、人の見てゐるまへでは、仕事のできないたちなので、それは断つた。おかみさんは心配して、峠の麓の吉田へ行き、
「相すみません。シャッタア切つて下さいな。」
私は、へどもどした。私は機械のことには、あまり明るくないのだし、写真の趣味は皆無であり、しかも、どてらを二枚もかさねて着てゐて、茶店の人たちさへ、山賊みたいだ、といつて笑つてゐるやうな、そんなむさくるしい姿でもあり、多分は東京の、そんな華やかな娘さんから、はいからの用事を頼まれて、内心ひどく狼狽したのである。けれども、また思ひ直し、こんな姿はしてゐても、やはり、見る人が見れば、どこかしら、きやしやな
「はい、うつりました。」
「ありがたう。」
ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。
その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。
【了】
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