記憶の宮殿

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【日刊 太宰治全小説】#265「グッド・バイ」変心(二)

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【冒頭】

田島は、泣きべその顔になる。思えば、思うほど、自分ひとりの力では、到底、処理の仕様が無い。金ですむ事なら、わけないけれども、女たちが、それだけで引下るようにも思えない。

【結句】

おぼれる者のワラ。田島は少し気が動いた。
 

「グッド・バイ 変心(へんしん)(二)」について

新潮文庫『グッド・バイ』所収。
・昭和23年5月18日に脱稿。
・昭和23年6月21日、朝日新聞大阪本社発行の『朝日新聞』に掲載。

グッド・バイ (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 

変心 (二)


 田島は、泣きべその顔になる。思えば、思うほど、自分ひとりの力では、到底、処理の仕様が無い。金ですむ事なら、わけないけれども、女たちが、それだけで引下るようにも思えない。
「いま考えると、まるで僕は狂っていたみたいなんですよ。とんでもなく、手をひろげすぎて、……」
 この初老の不良文士にすべて打ち明け、相談してみようかしらと、ふと思う。
「案外、殊勝しゅしょうな事を言いやがる。もっとも、多情な奴に限って奇妙にいやらしいくらい道徳におびえて、そこがまた、女に好かれる所以ゆえんでもあるのだがね。男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しいと来たら、そりゃ、もてるよ。当り前の話だ。お前のほうでやめるつもりでも、先方が承知しないぜ、これは。」
「そこなんです。」
 ハンケチで顔をく。
「泣いてるんじゃねえだろうな。」
「いいえ、雨で眼鏡の玉がくもって、……」
「いや、その声は泣いてる声だ。とんだ色男さ。」
 闇商売の手伝いをして、道徳的も無いものだが、その文士の指摘したように、田島という男は、多情のくせに、また女にへんに律儀りちぎな一面も持っていて、女たちは、それゆえ、少しも心配せずに田島に深くたよっているらしい様子。
「何か、いい工夫くふうが無いものでしょうか。」
「無いね。お前が五、六年、外国にでも行って来たらいいだろうが、しかし、いまは簡単に洋行なんか出来ない。いっそ、その女たちを全部、一室に呼び集め、ほたるの光でも歌わせて、いや、仰げば尊し、のほうがいいかな、お前が一人々々に卒業証書を授与してね、それからお前は、発狂の真似まねをして、まっぱだかで表に飛び出し、逃げる。これなら、たしかだ。女たちも、さすがにあきれて、あきらめるだろうさ。」
 まるで相談にも何もならぬ。
「失礼します。僕は、あの、ここから電車で、……」
「まあ、いいじゃないか。つぎの停留場まで歩こう。何せ、これは、お前にとって重大問題だろうからな。二人で、対策を研究してみようじゃないか。」
 文士は、その日、退屈していたものと見えて、なかなか田島を放さぬ。
「いいえ、もう、僕ひとりで、何とか、……」
「いや、いや、お前ひとりでは解決できない。まさか、お前、死ぬ気じゃないだろうな。実に、心配になって来た。女にれられて、死ぬというのは、これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽こっけいきわみだね。誰も同情しやしない。死ぬのはやめたほうがよい。うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」
 おぼれる者のワラ。田島は少し気が動いた。

 

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