記憶の宮殿

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【日刊 太宰治全小説】#21「陰火」誕生(『晩年』)

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【冒頭】
二十五の春、そのひしがたの由緒(ゆいしょ)ありげな学帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願い出たひとりの新入生へ、くれてやって、帰郷した。

【結句】
生れて百二十日目に大がかりな誕生祝いをした。

 

陰火(いんか) 誕生(たんじょう)」について

新潮文庫『晩年』所収。
・昭和8年10月頃に初稿脱稿、昭和10年8月下旬に発表稿脱稿。
・昭和11年4月1日、『文藝雑誌』四月号に発表。


晩年 (新潮文庫)

 

 全文掲載(「青空文庫」)

 二十五の春、そのひしがたの由緒ありげな學帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願ひ出たひとりの新入生へ、くれてやつて、歸郷した。鷹の羽の定紋うつた輕い幌馬車は、若い主人を乘せて、停車場から三里のみちを一散にはしつた。からころと車輪が鳴る、馬具のはためき、馭者の叱咤、蹄鐵のにぶい響、それらにまじつて、ひばりの聲がいくども聞えた。
 北の國では、春になつても雪があつた。道だけは一筋くろく乾いてゐた。田圃の雪もはげかけた。雪をかぶつた山脈のなだらかな起伏も、むらさきいろに萎えてゐた。その山脈の麓、黄いろい材木の積まれてあるあたりに、低い工場が見えはじめた。太い煙突から晴れた空へ煙が青くのぼつてゐた。彼の家である。新しい卒業生は、ひさしぶりの故郷の風景に、ものうい瞳をそつと投げたきりで、さもさもわざとらしい小さなあくびをした。
 さうして、そのとしには、彼はおもに散歩をして暮した。彼のうちの部屋部屋をひとつひとつ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて歩いて、そのおのおのの部屋の香をなつかしんだ。洋室は藥草の臭氣がした。茶の間は牛乳。客間には、なにやら恥かしい匂ひが。彼は、表二階や裏二階や、離れ座敷にもさまよひ出た。いちまいの襖をするするあける度毎に、彼のよごれた胸が幽かにときめくのであつた。それぞれの匂ひはきつと彼に都のことを思ひ出させたからである。
 彼は家のなかだけでなく、野原や田圃をもひとりで散歩した。野原の赤い木の葉や田圃の浮藻の花は彼も輕蔑して眺めることができたけれども、耳をかすめて通る春の風と、ひくく騷いでゐる秋の滿目の稻田とは、彼の氣にいつてゐた。
 寢てからも、むかし讀んだ小型の詩集や、眞紅の表紙に黒いハムマアの畫かれてあるやうな、そんな書物を枕元に置くことは、めつたになかつた。寢ながら電氣スタンドを引き寄せて、兩のてのひらを眺めてゐた。手相に凝つてゐたのである。掌にはたくさんのこまかい皺がたたまれてゐた。そのなかに三本の際だつて長い皺が、ちりちりと横に並んではしつてゐた。この三つのうす赤い鎖が彼の運命を象徴してゐるといふのであつた。それに依れば、彼は感情と智能とが發達してゐて、生命は短いといふことになつてゐた。おそくとも二十代には死ぬるといふのである。
 その翌る年、結婚をした。べつに早いとも思はなかつた。美人でさへあれば、と思つた。華やかな婚禮があげられた。花嫁は近くのまちの造り酒屋の娘であつた。色が淺黒くて、なめらかな頬にはうぶ毛さへ生えてゐた。編物を得意としてゐた。ひとつき程は彼も新妻をめづらしがつた。
 そのとしの、冬のさなかに父は五十九で死んだ。父の葬儀は雪の金色に光つてゐる天氣のいい日に行はれた。彼は袴のももだちをとり、藁靴はいて、山のうへの寺まで十町ほどの雪道をぱたぱた歩いた。父の柩は輿にのせられて彼のうしろへついて來た。そのあとには彼の妹ふたりがまつ白いヴエルで顏をつつんで立つてゐた。行列は長くつづいてゐた。
 父が死んで彼の境遇は一變した。父の地位がそつくり彼に移つた。それから名聲も。
 さすがに彼はその名聲にすこし浮はついた。工場の改革などをはかつたのである。さうして、いちどでこりこりした。手も足も出ないのだとあきらめた。支配人にすべてをまかせた。彼の代になつて、かはつたのは、洋室の祖父の肖像畫がけしの花の油畫と掛けかへられたことと、まだある、黒い鐵の門のうへに佛蘭西風の軒燈をぼんやり灯した。
 すべてが、もとのままであつた。變化は外からやつて來た。父にわかれて二年目の夏のことであつた。そのまちの銀行の樣子がをかしくなつたのである。もしものときには、彼の家も破産せねばいけなかつた。
 救濟のみちがどうやらついた。しかし、支配人は工場の整理をもくろんだのである。そのことが使用人たちを怒らせた。彼には、永いあひだ氣にかけてゐたことが案外はやく來てしまつたやうな心地がした。奴等の要求をいれさせてやれ、と彼はわびしいよりむしろ腹立たしい氣持ちで支配人に言ひつけた。求められたものは與へる。それ以上は與へない。それでいいだらう? と彼は自身のこころに尋ねた。小規摸の整理がつつましく行はれた。
 その頃から寺を好き始めた。寺は、すぐ裏の山のうへでトタンの屋根を光らせてゐた。彼はそこの住職と親しくした。住職は痩せ細つて老いぼれてゐた。けれども右の耳朶がちぎれてゐて黒い痕をのこしてゐるので、ときどきは兇惡な顏にも見えた。夏の暑いまさかりでも、彼は長い石段をてくてくのぼつて寺へかよふのである。庫裡の縁先には夏草が高くしげつてゐて、鷄頭の花が四つ五つ咲いてゐた。住職はたいてい晝寢をしてゐるのであつた。彼はその縁先からもしもしと聲をかけた。時々とかげが縁の下から青い尾を振つて出て來た。
 彼はきやうもんの意味に就いて住職に問ふのであつた。住職はちつとも知らなかつた。住職はまごついてから、あはははと聲を立てて笑ふのであつた。彼もほろにがく笑つてみせた。それでよかつた。ときたま住職へ怪談を所望した。住職は、かすれた聲で二十いくつの怪談をつぎつぎと語つて聞せた。この寺にも怪談があるだらう、と追及したら、住職は、とんとない、と答へた。
 それから一年すぎて、彼の母が死んだ。彼の母は父の死後、彼に遠慮ばかりしてゐた。あまりおどおどして、命をちぢめたのである。母の死とともに彼は寺を厭いた。母が死んでから始めて氣がついたことだけれども、彼の寺沙汰は、母への奉仕を幾分ふくめてゐたのであつた。
 母に死なれてからは、彼は小家族のわびしさを感じた。妹ふたりのうち、上のは、隣のまちの大きい割烹店へとついでゐた。下のは、都の、體操のさかんな或る私立の女學校へかよつてゐて、夏冬の休暇のときに歸郷するだけであつた。黒いセルロイドの眼鏡をかけてゐた。彼等きやうだい三人とも、眼鏡をかけてゐたのである。彼は鐵ぶちを掛けてゐた。姉娘は細い金ぶちであつた。
 彼はとなりまちへ出て行つてあそんだ。自分の家のまはりでは心がひけて酒もなんにも飮めなかつた。となりのまちでささやかな醜聞をいくつも作つた。やがてそれにも疲れた。
 子供がほしいと思つた。少くとも、子供は妻との氣まづさを救へると考へた。彼には妻のからだがさかなくさくてかなはなかつた。鼻に附いたのである。
 三十になつて、少しふとつた。毎朝、顏を洗ふときに兩手へ石鹸をつけて泡をこしらへてゐると、手の甲が女のみたいにつるつる滑つた。指先が煙草のやにで黄色く染まつてゐた。洗つても洗つても落ちないのだ。煙草の量が多すぎたのである。一日にホープを七箱づつ吸つてゐた。
 そのとしの春に、妻が女の子を出産した。その二年ほどまへ、妻が都の病院に凡そひとつきも祕密な入院をしたのであつた。
 女の子は、ゆりと呼ばれた。ふた親に似ないで色が白かつた。髮がうすくて、眉毛はないのと同じであつた。腕と脚が氣品よく細長かつた。生後二箇月目には、體重が五瓩、身長が五十八糎ほどになつて、ふつうの子より發育がよかつた。
 生れて百二十日目に大がかりな誕生祝ひをした。

 

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