記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】ラロシフコー

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今週のエッセイ

◆『ラロシフコー』
 1939年(昭和14年)、太宰治 30歳。
 1939年(昭和14年)5月中旬か下旬頃に脱稿。
 『ラロシフコー』は、1939年(昭和14年)7月1日発行の「作品」第十巻第七号に発表された。

「ラロシフコー

 その高橋五郎という人は、他にどんな仕事をした人か、私は知らない。この人は、大正二年にラロシフコーを訳している。「寸鉄」という題で、出版している。大正二年といえば、私など、四、五歳のころで、そのころ()の本の出版が、どんな反響を呼んだか、知る由もないが、けれども、序文を見ると、たいへんな意気込である。
仏蘭西(フランス)文学の旺盛時代たる路易(ルイ)第十四世の朝に於て、突如として一世の耳目を聳動(しょうどう)し来れる一書あり、其の簡浄痛快にして霊犀奇警(れいさいきけい)なる人世批評(○○○○)は、天下驚畏の中心となれり、本書是れ也。(その)著者を誰とかする、即ち当時廷臣とし、軍人とし、政治家として(つとに盛名あるも、未だ文筆の人としては左までに(あら)われざりしラロシフコー公爵其人(そのひと)なりとす。云々。」と、たくさん書いている。おしまいのほうに、「我国人の間にも(あに)之が紹介の要無しと言わんや、本書の訳ある徒爾(とじ)ならざるを信ず。」と揚言して在るところから見ても、この訳書が、日本で最初のラロシフコー紹介では無かったか、と思われる。高橋五郎という人の名前はなんだか聞いたことのあるような気もするのであるが、はっきりしない。
 この本には、「寸鉄」と表題を打たれ、その傍題として、(又名、人生裏面観)と印刷されて在る。訳文は、豪邁(ごうまい)である。たとえば、
(ちょう)(こうむ)むる者を憎むは、己れ自ら寵を望む也、之を有せざる者の怒るは、之を有する者を侮蔑して自ら慰安する(のみ)。吾人は世人の尊敬を彼等に()く所の者を彼等より奪わんと欲して(あた)わざるが故に、己れの尊敬を彼らに拒む也。」いかにも、「廷臣とし、軍人とし、政治家として(つと)に盛名ある」ラロシフコー公爵その人の息吹が感ぜられる尊厳盛大の、そうして多少わからずや(、、、、、)では、なかったのか、と思った。この訳文は、その意味で、まさに適訳なのかも知れない、と思った。
 身もふたもない言いかた。そんな言いかたを体得して、弱いしどろもどろの人を切りまくって(こころよ)しとしている人が、日本にも、ずいぶんたくさん在る。いや、日本人は、そんな哲学で育てられて来た。い、犬も歩けば棒に当る。ろ、論より証拠。は、花よりだんご。それが日本人のお得意の哲学である。ラロシフコーなど読まずとも、所謂(いわゆる)、「人生裏面観」は先刻すでに御承知である。真理は、裏面にあると思っている。ロマンチックを、頭の悪さと解している。けれども、少しずつ舞台がまわって、「聖戦」という大ロマンチシズムを、理解しなければならなくなって、そんなにいつまでも、「人をして一切の善徳と悪徳とを働かしむるものは利害の念なり。」など喝破して、すまして居られなくなったであろう。浪漫派哲学が、少しずつ現実の生活に根を(おろ)し、行為の源泉になりかけて来たことを指摘したい。ラロシフコーは、すでに古いのである。

 

太宰とラ・ロシュフコー

  今回のエッセイ『ラロシフコー』で、太宰が語る「ラロシフコー」とは、フランスの貴族で、モラリスト文学者である、ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(1613~1680)のことです。

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■フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(1613~1680)

 ラ・ロシュフコーは、名門貴族の生まれで、多くの戦いに参加した後、主著である考察あるいは教訓的格言・箴言しんげん)(『箴言集』や『格言集』とも)を執筆しました。1659年頃から執筆をはじめたと推測されており、その後、いくつか写本も作成されました。印刷物として刊行されたのは1664年でしたが、この刊行は、先行して無許可の海賊版が出版されたことに対抗するためでした。その後、考察あるいは教訓的格言・箴言しんげん)は増補される一方、一部の削除も行われ、ラ・ロシュフコーの生前に第5版(1678年)までが刊行され、死後の1693年には第6版が刊行されました。

 ラ・ロシュフコーの作品に見られる辛辣な人間観察には、カトリック教会の聖職者にしてフランスの政治家、ルイ13世の宰相を務めたリシュリュー(1585~1642)と対立して2年間の謹慎処分を受けたことや、フランスにおける最後の貴族の反乱であるフロンドの乱(1648~1653)において、フランスの政治家で枢機卿カトリック教会における教皇の最高顧問)であるジュール・マザラン(1602~1661)と対立したことで味わった苦難が反映されているとも言われています。

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フロンドの乱(1648~1653) フランス中央政府(ジュール・マザラン)と貴族・民衆(コンデ公)が対立した。フランスにおける貴族の反乱としては最後のもので、貴族勢力は圧倒され、絶対王政の確立に繋がった。フロンドとは、当時流行していた投石機のことで、パリの民衆がマザラン邸を目掛けて投石したことから、「フロンドの乱」と呼ばれるようになった。

 ラ・ロシュフコーの生きた17世紀のフランス、14世が支配するヴェルサイユ宮殿の中の宮廷社会では、行動や衣服が明確に決められ、外見が全てという「外見の文化」の世界でした。しかし一方で、外見と中身、言葉と心の中の思いのずれも意識されましたが、「外見の文化」そのものである宮廷社会では、外見から中身を読み取る必要がありました。ラ・ロシュフコー考察あるいは教訓的格言・箴言しんげん)は、そうした「裏読み」の集大成とも言えます。

われわれの徳行は、往々にして偽装した不徳にすぎない。

 

われわれは、あまりにも他人の前に自分を偽装するのに慣れているので、しまいには自分の前にまで自分を偽装するようになる。

 

恋を定義するのは難しい。強いて言えば、恋は心において支配の情熱、知においては共感であり、そして肉体においては、大いにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、隠微な欲望にほかならない。

 

慎ましさとは、妬みや軽蔑の的になることへの恐れである。幸福に酔いしれれば必ずそういう目にあうからだ。それはわれわれの精神のくだらない虚勢である。さらにまた、栄達を極めた人びとの慎ましさは、その栄位をものともしないほど偉い人間に自分を見せようとする欲望なのである。

 これに対して太宰は、「ラロシフコーなど読まずとも、所謂(いわゆる)、「人生裏面観」は先刻すでに御承知である。真理は、裏面にあると思っている。」とし、「『人をして一切の善徳と悪徳とを働かしむるものは利害の念なり。』など喝破して、すまして居られなくなったであろう。浪漫派哲学が、少しずつ現実の生活に根を(おろ)し、行為の源泉になりかけて来たことを指摘したい。ラロシフコーは、すでに古いのである。」と批判しています。太宰に言わせれば、人には表裏があり、表を見ながら裏を読むということは、日本人にとっては当たり前ということなのかもしれません。 

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■太宰が引用している『寸鉄』(高橋五郎 訳)の「序文」 国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能です。

 太宰は、小説風の便りの中で、次のように書いています。

(前略)あいつは厭な奴だと、たいへん好きな癖に、わざとそう言い変えているような場合が多いので、やり切れません。思惟と言葉との間に、小さい歯車が、三つも四つもあるのです。けれども、この歯車は微妙で正確な事も信じていて下さい。私たちの言葉は、ちょっと聞くとすべて出鱈目の放言のように聞えるでしょうが、しさいにお調べになったら、いつでもちゃんと歯車が連結されている筈です。

 太宰は「思惟と言葉との間」「三つも四つもある」「小さい歯車」について、「微妙で正確な事も信じていて下さい」と言います。表に隠された裏だけではなく、表の中にも真理がある、ということでしょうか。

 今回のエッセイで批判しているラ・ロシュフコーですが、太宰は他の作品でもラ・ロシュフコーを引用しています。

『無間奈落』
「『女は必ず淫猥である』というようなことをラ・ロシフコオが言ってあったっけ。」

 

正義と微笑
「『吾人が小過失を懺悔するは、他に大過失なき事を世人に信ぜしめんが為のみ』――ラ・ロシフコオ」
「己れ只一人智からんと欲するは大愚のみ。(ラ・ロシフコオ)」

 太宰にとって「相手の言葉の裏を読む」ということは、その39年の人生の中で、悩み続けた大きな価値観の1つだったのではないでしょうか。

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 【了】

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【参考文献】
・東郷克美 編『太宰治事典』(學燈社、1994年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
志村有弘/渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「 言葉の裏を読む 太宰治とラ・ロシュフコー」(LA BOHEME GALANTE
・HP「国立国会図書館デジタルコレクション
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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