記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#203「パンドラの匣」八

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【冒頭】

僕がいつも君に、こんな下手な、つまらぬ手紙を書いて、時々ふっと気まりの悪いような思いに襲われ、もうこんな、ばかばかしい手紙なんか書くまいと決意する事も再三あったが、しかし、きょう或るひとの実に偉大な書翰(しょかん)に接し、上には上があるものだと、つくづく感歎(かんたん)して、世の中には、こんなばかげた手紙を書くおかたもあるのだから、僕の君に送る手紙などは、まだしも罪が軽いほうだ、と少しく安堵(あんど)した次第である。

【結句】

名文と言おうか、魔文と言おうか、どうもこの偉大なる書翰(しょかん)を書き写したら、妙に手首がだるくなって、字がうまく書けなくなって来た。これで失敬しよう。また出直す。
 十月五日
 

パンドラの匣」について

新潮文庫パンドラの匣』所収。
・昭和20年11月9日頃に脱稿。
・昭和20年10月22日付「河北新報」と「東奥日報」に連載開始。「東奥日報」は10月29日付「パンドラの匣」第八回で連載中断。「河北新報」は翌21年1月7日付まで、64回連載、完結。


パンドラの匣 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

 




 僕がいつも君に、こんな下手な、つまらぬ手紙を書いて、時々ふっと気まりの悪いような思いに襲われ、もうこんな、ばかばかしい手紙なんか書くまいと決意する事も再三あったが、しかし、きょうるひとの実に偉大な書翰しょかんに接し、上には上があるものだと、つくづく感歎かんたんして、世の中には、こんなばかげた手紙を書くおかたもあるのだから、僕の君に送る手紙などは、まだしも罪が軽いほうだ、と少しく安堵あんどした次第である。どうも、君、世の中にはさまざまの事がある。あのひとが、あんな恐るべき手紙をものするとは、全く、神か魔かと疑ってみたくなるくらいだ。とにかく、なんとも、ひどいんだ。
 それでは、きょうは一つその偉大なる書翰に就いてちょっと書いてみましょう。
 けさは、道場で秋の大掃除がありました。掃除はお昼前にあらかたすんだけれど、午後も日課はお休みになって、そうして理髪屋が二人出張して来て、塾生じゅくせいの散髪日という事になったのです。五時ごろ、僕は散髪をすまして、洗面所で坊主頭ぼうずあたまを洗っていると、だれか、すっとそばへ寄って来て、
「ひばり、やっとるか。」
 マア坊である。
「やっとる、やっとる。」僕は、石鹸せっけんを頭にぬたくりながら、すこぶるいい加減の返辞をした。どうも、このごろ、このきまりきった挨拶あいさつの受け答えが、めんどうくさくて、うるさくって、たまらないのである。
「がんばれよ。」
「おい、その辺に僕の手拭てぬぐいが無いか。」僕は、がんばれよの呼びかけには答えず、眼をつぶったまま、マア坊のほうに両手を出した。
 右手にふわりと便箋びんせんのようなものが載せられた。片目を細くあけて見ると、手紙だ。
「なんだい、これは。」僕は顔をしかめて尋ねた。
「ひばりの意地わる。」マア坊は笑いながら僕をにらんだ。「なぜ、よしきた、と言わないの。がんばれよ、と言われて、ようしきた、と答えない人は、病気がわるくなっているのよ。」
 僕は、いやな気がした。いよいよ、むくれて、
「それどころじゃないんだ。頭を洗っているんじゃないか。なんだい、この手紙は。」
「つくしから来たのよ。おしまいの所に、歌が書いてあるでしょう? その意味といて。」
 石鹸が眼に流れ込まないように用心しながら、両方の眼を渋くあけて、その便箋のおしまいの所の歌を読んでみた。
相見ずて長くなりぬこの頃は如何いか好去さきくやいぶかし吾妹わぎも
 つくしも、しゃれてると思った。
「こんなの、わからんかねえ。これは、万葉集からでも取った歌にちがいない。つくしの作った歌じゃないぜ。」やいたわけではないが、ちょっと、けちをつけてやった。
「どんな意味?」低く言って、いやにぴったり寄り添って来た。
「うるさいな。僕は頭を洗ってるんだ。後で教えてあげるから、手紙はその辺に置いといて、僕の手拭いを持って来てくれないか。部屋に置き忘れて来たらしいんだ。ベッドの上に無ければ、ベッドの枕元まくらもとの引出しの中にある。」
「意地わる!」マア坊は僕の手から便箋をひったくって、小走りに部屋のほうへ走って行った。


 竹さんの口癖は、「いやらしい」だし、マア坊のは「意地わる」である。以前は、言われる度に、ひやりとしたものだが、いまではれっこになって、まるで平気だ。さて、それでは、マア坊のいない間に、さっきの歌の「如何に好去さきくや」というところを、なんと解釈してやったらいいか、考えて置かなければならぬ。あそこが、ちょっとむずかしかったので、手拭いにかこつけて、即答を避けたというわけでもあったのだ。僕は「如何にさきくや」の解釈の仕方を考え考え、頭の石鹸を洗い落していたら、マア坊は、手拭いを持って来て、そうしてこんどは真面目まじめな顔で、何も言わずに、手渡すとすぐにすたすたと向うへ行ってしまった。
 はっと思った。僕が悪いとすぐに思った。どうも僕はこのごろ、すれたというのか痲痺まひ[#「痲痺」は底本では「痳痺」]したというのか、いつのまにやらこの道場の生活にれて、ここへ来た当時の緊張を失い、マア坊などに話かけられても、以前のような興奮を覚えないし、まるで鈍感になって、助手が塾生の世話をするのは当り前の事で、特別の好意だの、何だの、そんなものはどうだっていいとさえ思うようになっていた状態でもあったので、つい、ぶあいそに手拭いを持って来いなんて言ってしまって、あれでは、マア坊も怒るだろう。こないだも、竹さんに、「ひばりは、このごろ、あかんな。」と言われたけれど、本当に、僕にはこのごろ少し「あかん」ところがある。けさの大掃除の時に、塾生全部が室内のほこりを避ける意味で、新館の前庭にちょっと出たが、おかげで僕は実に久し振りで土を踏む事が出来た。時々こっそり、裏のテニスコートなどに降りてみる事はあっても、正々堂々の外出の許可を得たのは、僕がここへ来てからはじめての事であった。僕は松の幹をでた。松の幹は生きて血がかよっているものみたいに、温かかった。僕はしゃがんで、足もとの草の香の強さに驚き、それから両手で土をすくい上げて。そのしっとりした重さに感心した。自然は、生きている、という当り前の事が、なまぐさいほど強く実感せられた。けれども、そんな驚きも、十分間くらいったら消滅してしまった。何も感じなくなった。痲痺[#「痲痺」は底本では「痳痺」]してしまって平気になった。僕はそれに気がついて、人間の馴致じゅんち性というのか、変通性というのか、自身のたより無さにあきれてしまった。最初のあの新鮮なおののきを、何事にいても、持ちつづけていたいものだ、とその時つくづく思ったのだが、この道場の生活に対しても、僕はもうそろそろいい加減な気持を抱きはじめているのではなかろうか、とマア坊に怒られてはっと思い当ったというわけなのだ。マア坊にだって誇りはあるのだ。すみれの花くらいの小さい誇りかも知れないが、そんな、あわれな誇りをこそ大事にいたわってやらなければならぬ。僕はいま、マア坊の友情を無視したという形である。つくしからの内緒の手紙を、僕に見せるという事は、あるいは、マア坊は今では、つくし以上に僕に好意を寄せているのだという、マア坊のもったいない胸底をあかしてくれた仕草なのかも知れない。いや、それほど自惚うぬぼれて考えなくても、とにかく僕は、マア坊の信頼を裏切ったのは確かだ。僕が以前ほどマア坊を好きでなくなったからと言ったって、それは、僕のわがままだ。僕は人の好意にさえ狎れてしまっている。僕は、シガレットケースをもらった事さえ忘れている。よろしくない。実に悪い。
「がんばれよ。」と呼びかけられたら、その好意に感奮して、大声で、
「ようしきた!」と答えなければならぬ。


 あやまちを改むるにはばかる事なかれだ。新しい男は、出直すのも早いんだ。洗面所から出て、部屋へ帰る途中、炭部屋の前でマア坊と運よくった。
「あの手紙は?」と僕はすぐに尋ねた。
 遠いところを見ているような、ぼんやりした眼つきをして、黙って首を振った。
「ベッドの引出し?」ひょっとしたらマア坊は、さっき手拭いを取りに行った時に、あの手紙を、僕のベッドの引出しにでも、ほうり込んで来たのではあるまいかと思って聞いてみたのだが、やはり、ただ首を振るだけで返辞をしない。女は、これだからいやだ。よそから借りて来たねこみたいだ。勝手にしろ、とも思ったが、しかし、僕にはマア坊のあわれな誇りをいたわらなければならぬ義務がある。僕は、それこそ、まさしく、猫撫で声を出して、
「さっきは、ごめんね。あの歌の意味はね、」と言いかけたら、
「もういい。」と、ぽいと投げてるように言って、さっさと行ってしまった。実に、異様にするどい口調であった。僕は突き刺されたような気がした。女って、すごいものだね。僕は部屋へ帰って、ベッドの上にごろりと寝ころがり、「万事、休す」と心の中で大きく叫んだ。
 ところが、夕食の時、おぜんを持って来たのは、マア坊である。冷たくとり澄まして、僕の枕元の小机の上にお膳を置き、帰りしなに固パンのところに立寄って、とたんに人が変ったようにたわいない冗談を言い出し、きゃっきゃっと騒ぎはじめて、固パンの背中をどんと叩いて、固パンが、こら! と言ってマア坊のその手をつかまえようとしたら、
「いやあ。」と叫んで逃げて僕のところまで来て、僕の耳元に口を寄せ、
「これ見せたげる。あとで意味教えて。」とひどく早口で言って小さく折り畳んだ便箋を僕に手渡し、同時に固パンのほうに向き直り、
「やい、こら、固パン、白状せい。」と大声で言って、「テニスコートで、お江戸日本橋を歌っていらっしゃったのは、どなたです。」
「知らんよ、知らんよ。」と固パンは、顔を赤くして懸命に否定している。
「お江戸日本橋なら、おれだって知ってらあ。」とかっぽれは不平そうに小声で言って、食事にとりかかった。
「どなたも、ごゆっくり。」とマア坊は笑いながら一同の者に会釈えしゃくして、部屋を出て行った。何がなんだか、わけがわからない。マア坊にいい加減になぶられているような気がして、あまり愉快でなかった。そうして僕の手には一通の手紙が残された。僕は他人の手紙など見たくない。しかし、マア坊の小さい誇りをいたわるために、一覧しなければならぬ。やっかいな事になったと思いながら、食後にこっそり読んでみたが、いや、これが君、実に偉大な書翰であったのだ。恋文というものであろうか、何やら、まるで見当がつかない。あんな常識円満のおとなしそうな西脇にしわきつくし殿も、かげでこんな馬鹿げた手紙を書くとは、まことに案外なものである。おとなというのは、みんなこのような愚かな甘い一面を隠し持っているものであろうか。とにかく、ちょっとその書翰の文面を書き写してお目にかけましょうか。洗面所では終りの一枚のほんの一端だけを読まされたのだが、こんどは始めからの三枚の便箋全部を手渡しされたのである。以下はその偉大なる手紙の全文である。


「過ぎしおもい出の地、道場の森、私は窓辺によりかかり、静かに人生の新しい一ページともうべき事柄ことがらを頭に描きつつ、寄せては返す波をながめている。静かに寄せ来る波……しかし、沖には白波がいたくえている。然して汐風しおかぜが吹き荒れているがために。」というのが書き出しだ。なんの意味も無いじゃないか。これではマア坊も当惑するはずだ。万葉集以上に難解な文章だ。つくしは、この道場を出て、それからつくしの故郷の北海道のほうの病院に行ったのだが、その病院は、どうやら海辺に建っているらしい。それだけはわかるのだが、あとは何の意味やら、さっぱりわからない。珍らしい文章である。もう少し書き写してみましょう。文脈がいよいよ不可思議に右往左往するのである。
「夕月が波にしずむとき、黒闇こくあんがよもを襲うとき、空のあなたに我が霊魂を導く星の光あり、世はうつり、ころべど、人生を正しく生きんがために努力しよう! 男だ! 男だ! 男だ※(感嘆符二つ、1-8-75) 頑張がんばって行こう。私は今ここに貴女あなたを妹と呼ばして頂きたい。私には今与えられた天分と云おうか、何と云っていいか、ああ、やはり恋人と云って熱愛すべき方がいい。」
 なんの事やら、さっぱりわからぬ。そうして、この辺から、文脈がますます奇怪に荒れ狂う。実に怒濤どとうごときものだ。
「それは人じゃない、物じゃない、学問であり、仕事の根源であり、日々朝夕愛すべき者は科学であり、自然の美である。共にこの二つは一体となって私を心から熱愛してくれるであろうし、私も熱愛している。ああ私は妹を得、恋人を得、ああ何と幸福であろう。妹よ※(感嘆符二つ、1-8-75) 私の※(感嘆符二つ、1-8-75) 兄のこの気持、念願を、心から理解してくれることと思う。それであって私の妹だと思い、これからも御便りを送ってゆきたいと思う。わかってくれるだろう、妹よ※(感嘆符二つ、1-8-75)
 えらい堅い文章になって申わけありませんでした。然も御世話になりし貴女に妹などと申して済みませんが、理解して下さることと思います。貴女の年頃になれば男女とも色んなことを考える頃なれど、あまり神経を使うというのか、深い深い事を考えないようにして下さい。私も俗界を離れます。きょうはいいお天気ですが、風が強いです。偉大なる自然! われ泣きぬれて遊ばん! おわかりの事と思う。きょうのこの手紙、よくよく味わい繰返し繰返し熟読されたし。有難ありがとうよ、マサ子ちゃん※(感嘆符二つ、1-8-75) がんばれよ、わがいとしき妹※(感嘆符二つ、1-8-75)
 では最後に兄として一言。
相見ずて長くなりぬ此頃は如何に好去さきくやいぶかし吾妹わぎも
正子様
一夫かずお兄より」
 まず、ざっと、こんなものだ。一夫兄よりなんて、自分の名前に兄をけるのも妙な趣向だが、とにかく、これは最後の万葉の歌一つの他は、何が何やらさっぱりわからない。ひどいものだと思う。真似まねして書こうたって、書けるものではない。実に、破天荒とでもいうべきだ。けれども、西脇一夫氏という人間は、決して狂人ではない。内気なやさしい人なんだ。あんないい人が、こんな滅茶苦茶めちゃくちゃな手紙を書くのだから、実際、この世の中には不思議な事があるものだ。マア坊が「意味教えて」と言うのも無理がない。こんな手紙をもらった人は災難だ。悩まざるを得ないだろう。名文と言おうか、魔文と言おうか、どうもこの偉大なる書翰しょかんを書き写したら、妙に手首がだるくなって、字がうまく書けなくなって来た。これで失敬しよう。また出直す。
十月五日

 

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