記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】無題

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今週のエッセイ

◆『無題』
 1942年(昭和17年)、太宰治 33歳。
 1942年(昭和17年)6月上旬頃に脱稿。
 『無題』は、1942年(昭和17年)6月28日発行(七月号)の「現代文學」第五巻第七号の「甘口辛口」欄に発表された。ほかには、青野季吉、中谷孝雄、坂口安吾尾崎一雄などが執筆している。

「無題

 大井廣介(おおいひろすけ)というのは、実にわがままな人である。これを書きながら、腹が立って仕様が無い。十九字二十四行、つまり、きっちり四百五十六字の文章を一つ書いてみろというのである。思い上った思いつきだ。僕は大井廣介(おおいひろすけ)とは、遊んだ事もあまり無いし、今日まで二人の間には、何の恩怨も無かった筈だが、どういうわけか、このような難題を吹きかける。実に、困るのだ。大井君、僕は野暮な男なんだよ。見損っているらしい。きっちり四百五十六字の文章なんて、そんな気のきいた事が出来る男じゃないんだ。「とても書けない」と言って、お断りしたら、「それは困る。こっちの面目丸つぶしです」と言って来た。「丸つぶれ」でなく、「丸つぶし」と言っているのも妙である。これでは僕が、大井廣介(おおいひろすけ)の面目を踏みつぶした事になる。ものの考えかたが、既に常人とちがっている。実に、不可解な人である。僕は、いったい、なんの因果で、四百五十六字という文章を書かなければいけないのか。原稿用紙を三十枚も破った。稿料六十円を請求する。バカ。いま払えなかったら貸して置く。

 

大井廣介(おおいひろすけ)から見た太宰

 今回は、太宰にエッセイ『無題』の執筆を依頼した大井廣介(おおいひろすけ)について紹介します。

 大井廣介(おおいひろすけ)(1912〜1976)は、福岡県出身の文芸評論家、野球評論家。本名は、麻生賀一郎で、政治家の麻生太郎の父親・麻生太賀吉従兄(いとこ)にあたります。

 旧制嘉穂中学校を卒業。早くに父を亡くしたため、伯父から庇護を受けました。
 1930年(昭和5年)に上京し、1939年(昭和14年)に文芸同人誌「(えんじゅ)」を創刊しました。翌1940年(昭和15年)、同誌の誌名を、太宰がエッセイ『無題』を発表した「現代文學」に改めます。平野謙荒正人佐々木甚一杉山英樹たちを迎えて文芸時評を執筆。同誌を昭和10年代の代表的な文芸同人誌に育て上げました。同誌は、戦後の「近代文學」の礎となりましたが、大井は「近代文學」からは距離を置き、党派性を批判して自由人を標榜。イデオロギーを排し、ゴシップ的手法によって社会批判を行いました。

 大井は、異色の野球評論家としても活躍し、「週刊ベースボール」に長期にわたってコラムを連載しました。

 大井は、探偵小説が好きでしたが、「近代文學」の同人には探偵小説好きが多く、戦争中には坂口安吾平野謙荒正人檀一雄らを自宅に集め、犯人あてゲームに興じていました。このゲームは、大井の家が戦災で焼失した後、戦後になってからも埴谷雄高(はにやゆたか)邸に場所を移して行われたそうです。

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大井廣介(おおいひろすけ)(1912〜1976)

 さて、大井の著書『バカの一つおぼえ』(1957年)には、太宰についても書かれているので、引用して紹介します。

 モノを書く人には、談話の方がずっと溌溂(はつらつ)としており、書いた方はぬけ殻のようで、全貌をだし尽くさぬうらみの方がある。坂口や武田麟太郎がそうである。いかにもその人らしく、しゃべっていることと、書いていることが、バランスのとれている人もある。小熊秀雄高見順がそうだ。ところで、書いたモノでは才気煥発(さいきかんぱつ)、あってみると、談話は尋常で、案外才気煥発(さいきかんぱつ)でなかったというひともある。花田清輝太宰治がそうなのだ。何かのはずみで花田清輝がこの小文をみかけ、ひでえとボヤクかもしれないけど、談話のほうが溌溂(はつらつ)として、書いたモノがぬけ殻みたいなより、談話は用を達するていどで、書いたモノが才気煥発(さいきかんぱつ)なほうが、モノを書く人の本懐であり冥利でもあろう。話してみると、太宰は、たどたどしく、ボソッとしていた。東北人的遅鈍さともいうべきものが感じられ、才気煥発(さいきかんぱつ)な文章は地で書き飛ばしたわけではなく、非常に工夫をこらして書いたのではないかと思う。太宰の作品で太宰の地が、素直にでているのは「津軽」だ。あれは単に才気煥発(さいきかんぱつ)では書けない。ほのぼのとした滋味乃至(ないし)厚味といったものがある。
 才筆をこらすのは勿論、得意で、私が400字で何か書いてくれと頼むと、そんなバカなものが書けるものかという主旨をかっきり400字書いてよこした。短編コンクール或いは特集はきっと太宰がさらった。戦時下飲料水が不足していたじぶん、私が何本かアブサンを貯蔵しているのをききつけ、アブサンが好きだとしきりに謎をかけていたが、私はとぼけて話にのらなかった。
 アブサンの栓を抜くなら、そりゃ談論風発の坂口とやるに限る。

 太宰の創作の舞台裏も垣間見ることができる、エッセイ『無題』に対するアンサーのような大井の小文でした。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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