記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】魚服記に就て

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今週のエッセイ

◆「魚服記(ぎょふくき)(つい)て」
 1933年(昭和8年)、太宰治 24歳。
 1933年(昭和8年)3月5日から3月23日頃までに脱稿。
 1933年(昭和8年)3月25日発行の海豹通信第七便の一面に発表された。この第七便には、ほかに「貞君の痔」(金子光晴)が掲載されている。

魚服記(ぎょふくき)(つい)て」

 魚服記というのは支那の古い書物におさめられている短い物語の題だそうです。それを日本の上田秋成が翻訳して、題も夢応(むおう)鯉魚(りぎょ)と改め、雨月物語巻の二に収録しました。
 私はせつない生活をしていた期間にこの雨月物語をよみました。夢応(むおう)鯉魚(りぎょ)は、三井寺興義(こうぎ)という鯉の()のうまい僧の、ひととせ大病にかかって、その魂魄が金色の鯉となって琵琶湖を心ゆくまで逍遥(しょうよう)した、という話なのですが、私は之をよんで、魚になりたいと思いました。魚になって日頃私を辱め虐げている人たちを笑ってやろうと考えました。
 私のこの企ては、どうやら失敗したようであります。笑ってやろう、などというのが、そもそもよくない料簡だったのかも知れません。

 

魚服記』について

  魚服記は、1933年(昭和8年)3月1日付発行の「海豹」創刊号の巻頭に掲載された短篇です。太宰の自叙伝的小説十五年間によると、「作家生活の出発」となった作品で、かなり入念に作品世界が構築されています。
 短篇ながら、主人公である15歳の少女・スワの儚い人生と、太宰の故郷・津軽の美しい風景と滝の音や雪の音や山での不思議な音が絡み合い、鮮明な印象を覚える作品です。スワの生への懐疑、単調な日々の繰り返しに対する鬱積した思いが次第に強まっていく中で、学生の死、三郎と八郎の民話が巧みな伏線となり、スワの投身、変身、死へと発展していきます。

 中期の太宰はお伽草紙のように、既存の作品を換骨脱退した翻案的小説を多く執筆していますが、魚服記の最後の場面(魚となり自由に遊泳する部分)は、その先駆的側面も持っています。
 江戸時代後期の読本(よみほん)作家・上田秋成(うえだあきなり)が執筆した怪異小説雨月物語巻二「夢応(むおう)鯉魚(りぎょ)」を描写のヒントにし、その骨子を借用しています。

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■『雨月物語』巻二「夢応の鯉魚」挿絵

 「海豹」創刊号への掲載は、太宰と同い年の同郷作家・今官一(こんかんいち)が、同人誌「海豹」の同人仲間に太宰を推薦したのがきっかけでした。
 「海豹」の巻頭に掲載された魚服記は、識者の注目を集め、「たちまち『海豹』といえば太宰治のいる雑誌」と言われるようになりました。

 魚服記は、まだ無名の新人だった太宰を文壇へ送り出す大きなきっかけになります。

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太宰治今官一

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
志村有弘/渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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