【日刊 太宰治全小説】#186「惜別」三

【冒頭】
その日、私は周さんと一緒に松島の海浜の旅館に泊った。いま考えると、当時の私の無警戒は、不思議なような気もするが、しかし、正しい人というものは、何か安心感を与えてくれるもののようである。
【結句】
もう今では自分の進路は、一言で言える。支那の杉田玄白になる事だ。それだけだ。支那の杉田玄白になって、支那の維新の
「惜別 」について
・新潮文庫『惜別』所収。
・昭和20年2月20日頃に脱稿。
・昭和20年9月5日、『惜別』を朝日新聞社から刊行。
全文掲載(「青空文庫」より)
その日、私は周さんと一緒に松島の海浜の旅館に泊った。いま考えると、当時の私の無警戒は、不思議なような気もするが、しかし、正しい人というものは、何か安心感を与えてくれるもののようである。私はもう、その清国留学生に、すっかり安心してしまっていた。周さんは、宿のどてらに着換えたら、まるで商家の
醸
という工合のものであって、決して日本固有の国風を慕っているのでは無く、やはり学ぶべきは西洋の文明ではあるが、日本はすでに西洋の文明の粋を刪節して用いるのに成功しているのであるから、わざわざ遠い西洋まで行かずともすぐ近くの日本国で学んだほうが安直に西洋の文明を吸収できるという一時の便宜主義から日本留学を勧奨していた、といっても過言では無かろうと思う。当時、日本に留学する学生が年々増加していたが、ほとんどその全部が、この勧学篇に依ってあらわされている思想と大同小異の、へんに曲折された意図を以て、日本留学に出かけて行くような状態であって、自分もまた、その例にもれず、独逸行きを不可能と見て、その代りに日本留学を志望するに到ったという事実を告白しなければならぬ。自分は政府の留学生の試験に応じて、パスした。日本は、どんなところか。自分には、それに
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【日刊 太宰治全小説】#185「惜別」二

【冒頭】
私が東北の片隅のある小さい城下町の中学校を卒業して、それから、東北一の大都会といわれる仙台市に来て、仙台医学専門学校の生徒になったのは、明治三十七年の初秋で、そのとしの二月には露国に対し宣戦の
【結句】
この、私たちがはじめて言葉を交した日から周さんは、藤野先生のお名前をしばしば口にしていたのである。
「惜別 」について
・新潮文庫『惜別』所収。
・昭和20年2月20日頃に脱稿。
・昭和20年9月5日、『惜別』を朝日新聞社から刊行。

■松島の風景
全文掲載(「青空文庫」より)
私が東北の
それまで田舎の小さい城下町しか知らなかった私は、生れて初めて大都会らしいものを見て、それだけでも既に興奮していたのに、この全市にみなぎる異常の活況に接して、少しも勉強に手がつかず、毎日そわそわ仙台の街を歩きまわってばかりいた。仙台を大都会だと言えば、東京の人たちに笑われるかも知れないが、その頃の仙台には、もう十万ちかい人口があり、電燈などもその十年前の
私はそのように市内の文明開化に興奮する一方、また殊勝らしい顔をして仙台周辺の名所旧蹟をもさぐって歩いた。瑞鳳殿にお参りして戦勝祈願をしたついでに、
お昼すこし過ぎに仙台を発足して、四里ほどの道をぶらぶら歩いて
然
うち見るひまにも、海を渡る、
雲ちょうものこそ、
雲よ、雲よ、
雨とも霧とも、見るまに変りて、
あやしく奇しきは、
雲よ、雲よ、
私は、ひとりで、噴き出した。調子はずれと言おうか、何と言おうか、実に何とも
「さきほどは、しつれい。」とてれかくしの
言葉に訛りがある。東京者ではない、と私はとっさのうちに断定した。たえず自分の田舎訛りに悩んでいる私はそれだけ他人の言葉の訛りにも敏感だった。ひょっとしたら、私の郷里の近くから来た生徒かも知れぬ、と私はいよいよこの歌の大天才に対して
「いや、僕こそ、しつれいしました。」とわざと田舎訛りを強くして言った。
そこはうしろに松林のある小高い丘で、松島湾の見晴しも、悪くなかった。
「まあ、こんなところかな?」と私はその生徒と並んで立ったまま眼下の日本一の風景を眺め、「僕はどうも、景色にイムポテンツなのか、この松島のどこがいいのか、さっぱり見当がつかなくて、さっきからこの山をうろうろしていたのです。」
「僕にも、わかりません。」とその生徒は、いかにもたどたどしい東京言葉で、「しかし、だいたいわかるような気がします。この、しずかさ、いや、しずけさ、」と言い
いや、あの歌だったら松島も動揺したでしょう、と言ってやろうと思ったが、それは遠慮した。
「静かすぎます。何か、もう一つ、ほしい。」とその生徒は、まじめに言い、「春は、どうでしょうか。海岸の、あのあたりに桜の木でもあって、花びらが波の上に散っているとか、または、雨。」
「なるほど、それだったらわかります。」なかなか面白い事を言うひとだ、と私はひそかに感心し、「どうも、この景色は老人むきですな。あんまり色気が無さすぎる。」調子に乗ってつまらぬ事を言った。
その生徒は、あいまいな微笑を頬に浮かべて煙草に火をつけ、
「いや、これが日本の色気でしょう。何か、もう一つ欲しいと思わせて、沈黙。Sittsamkeit, 本当にいい芸術というのも、こんな感じのものかも知れませんね。しかし、僕には、まだよくわかりません。僕はただ、こんな静かな景色を日本三景の一つとして選んだ昔の日本の人に、驚歎しているのです。この景色には、少しも人間の匂いが無い。僕たちの国の者には、この
「お国はどちらです。」私は余念なく尋ねた。
相手は奇妙な笑い方をして、私の顔を黙って見ている。私は幾分まごつきながら、重ねて尋ねた。
「東北じゃありませんか。そうでしょう?」
相手は急に
「僕は
「ああ。」
とっさのうちに了解した。ことし仙台医専に
「失礼しました。いや、本当に知らなかったのです。僕は東北の片田舎から出て来て、友達も無いし、どうも学校が面白くなくて、実は新学期の授業にもちょいちょい欠席している程で、学校の事に就いては、まだなんにも知らないのです。僕は、アインザームの烏なんです。」自分でも意外なほど、軽くすらすらと思っている事が言えた。
あとで考えた事だが、東京や大阪などからやって来た生徒たちを、あんなに恐れ、また下宿屋の家族たちにさえ打ち解けず、人間ぎらいという程ではなくても、人みしりをするという点では決して人後に落ちない私が、京、大阪どころか、海のかなたの遠い異国からやって来た留学生と、何のこだわりも無く親しく交際をはじめる事が出来たのは、それは勿論、あの周さんの大きい人格の
「Einsam,」とゆっくり
渡り鳥。なるほど、うまい事を言う。どうも独逸語は、私よりもはるかに上手なようだ。もう独逸語を使う事はよそう、と私はとっさに戦法をかえて、
「でも、支那にお帰りになったら、立派なお家があるのでしょう。」とたいへん俗な質問を発した。
相手はそれに答えず、
「これから親しくしましょうね。支那人は、いやですか?」と少し顔を赤くして、笑いながら言った。
「けっこうですな。」ああ、なぜ私はあの時、あんな誠意のない、軽薄きわまる答え方をしたのであろう。あとで考え合わせると、あのとき周さんは、自分の身の上の孤独
「ありがとう。あなたは、失礼ですが、僕の弟によく似ているのです。」
「光栄です。」と私は、ほとんど
「どうですか。」とくったく無げに笑いながら、「あなたがお金持で、弟は貧乏だというところも違います。」
「まさか。」さすがの社交家も、之には応対の仕様が無かった。
「本当です。父が死んでから、一家はバラバラに離散しました。故郷があって、無いようなものです。相当な暮しの家に育った子供が、急にその家を失った場合、世間というものの本当の姿を見せつけられます。僕は
熱して来るとひとしお独逸語が連発するので、にわか仕立ての社交家もこれには少なからず閉口した。私には江戸っ子弁よりも、さらにさらに独逸語が苦手なのである。窮した
「あなたは、お国の言葉よりも、独逸語のほうがお得意のようですね。」と一矢を報いてやった。何とかして、あの独逸語を封じなければならぬ。
「そうではありません。」と相手は、私の皮肉がわからなかったらしく、まじめに首を振って、「僕の日本語が、おわかりにならぬかと思って。」
「いや、いや。」私はここぞと乗り出し、「あなたの日本語は、たいへん上手です。どうか、日本語だけで話して下さい。僕は、まだ独逸語は、どうも。」
「やめましょう。」と向うも、急にはにかんで、おだやかな口調にかえり、「僕は、馬鹿な事ばかり言いました。しかし、独逸語は、これからも、うんと勉強しようと思っています。日本の医学の先駆者、杉田
「欠席しました。」
「そうでしょう。どうもあの時、あなたの顔は見かけなかった。僕は、本当は、あなたを入学式の日から知っているのです。あなたは、入学式の時、制帽をかぶって来ませんでしたね。」
「ええ、何だかどうも、角帽が恥かしくて。」
「きっと、そうだろうと思っていました。あの日、制帽をかぶって来ない新入生が二人いました。ひとりは、あなたで、もうひとりは、僕でした。」と言って、にやりと笑った。
「そうでしたか。」と私も笑った。「それでは、あなたも、やはり、――」
「そうです。恥かしかったのです。この帽子は、音楽隊の帽子に似ていますからね。それから、僕は、学校へ出るたびに、あなたの姿を捜していました。けさ、船で一緒になって、うれしかったのです。しかし、あなたは僕を避けていました。船から降りたら、もういなくなっていました。でも、やっぱり、ここで逢いました。」
「風が、寒くなりましたね。下へ降りましょうか。」妙に、てれくさくなって来たので、私は話頭を転じた。
「そうね。」と彼は、やさしく
私は、しんみりした気持で周さんの後について山を降りた。何か、このひとが、自分の肉親のような気がして来た。うしろの松林から
「ああ。」と周さんは振りかえって、「これで完成しました。何か、もう一つ欲しいと思っていたら、この松の枝を吹く風の音で、松島も完成されました。やっぱり、松島は、日本一ですね。」
「そう言われると、そんな気もしますが、しかし僕には、まだ何だか物足りない。
「それは、あなたがこの国土を愛し過ぎているから、そんな不満を感じるのです。僕は
「でも、芭蕉は、この松島を西湖にたとえていたようですよ。」
「それは、芭蕉が西湖の風景を見た事が無いからです。本当に見たら、そんな事を言う
「そうですかねえ。日本の文人、墨客たちは、昔から、ずいぶんお国の西湖を慕っていて、この松島も西湖にそっくりだというので、遠くから見物に来るのです。」
「僕も、それは聞いていました。そう聞いていたから、見に来たのです。しかし、少しも似ていませんでした。お国の文人も、早く西湖の夢から
「しかし、西湖だって、きっといいところがあるのでしょう。あなたもやはり、故郷を愛しすぎて、それで点数がからくなっているのでしょう。」
「そうかも知れません。真の愛国者は、かえって国の悪口を言うものですからね。しかし、僕は
山から降りて海岸に出た。海は斜陽に赤く輝いていた。
「わるくないです。」と周さんは
「きめていないんです。学校はあしたも休みですね。」
「そうです。僕は、月夜の松島も見たくなりました。つき合いませんか。」
「けっこうです。」
僕は、まったく、どうでもよかったのである。学校が休みでなくっても、それまでちょいちょい勝手に欠席していたのだし、二日つづきの休暇を利用するというのも下宿の家族の者たちへの手前、あまり怠惰な学生と見られても工合が悪いので、
私があまりに
「しかし、あさってからは学校へ出て、僕と一緒に講義のノオトをとりましょう。僕のノオトは、たいへん下手ですが、ノオトは僕たち学生の、」と言って、少しとぎれて、「Preiszettel のようなものです。」とまた私の苦手の独逸語を使い、「何円何十銭という
この、私たちがはじめて言葉を
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【日刊 太宰治全小説】#184「惜別」一

【冒頭】
これは日本の東北地方の某村に開業している一老医師の手記である。
【結句】
どうせ、私には名文も美文も書けやしないのだから、くどくど未練がましい申しわけを言うのはもうやめて、ただ「辞ハ達スル
「惜別 」について
・新潮文庫『惜別』所収。
・昭和20年2月20日頃に脱稿。
・昭和20年9月5日、『惜別』を朝日新聞社から刊行。

■学生時代の魯迅
全文掲載(「青空文庫」より)
先日、この地方の新聞社の記者だと称する
「明治三十七年の入学ではなかったかしら。」と記者は、胸のポケットから小さい
「たしか、その頃と記憶しています。」私は、記者のへんに落ちつかない態度に不安を感じた。はっきり言えば、私にはこの新聞記者との対談が、終始あまり愉快でなかったのである。
「そいつあ、よかった。」記者は
周樹人
と書かれてある。
「存じて居ります。」
「そうだろう。」とその記者はいかにも得意そうに、「あなたとは同級生だったわけだ。そうして、その人が、のちに、中国の大文豪、
「そういう事も存じて居りますが、でも、あの周さんが、のちにあんな有名なお方にならなくても、ただ私たちと一緒に仙台で学び遊んでいた頃の周さんだけでも、私は尊敬して居ります。」
「へえ。」と記者は眼を丸くして驚いたようなふうをして、「若い頃から、そんなに偉かったのかねえ。やはり、天才的とでもいったような。」
「いいえ、そんな工合ではなくて、ありふれた言い方ですが、それこそ素直な、本当に、いい人でございました。」
「たとえば、どんなところが?」と、記者は一
「いいえ、別にそう。」私のほうで、ひどく憂鬱になって来た。「変ったところもございませんでした。なんと申し上げたらいいのでしょうか、非常に
「いや、そんなに用心しなくてもいいんだ。私は何も魯迅の悪口を書こうと思っているのじゃないし、いまも言ったように、東洋民族の総親和のために、これを新年の読物にしようと思っているのですからね、
「いいえ、決して、そんな、用心なんかしていませぬのですが。」その日は、なぜだか、気が重かった。「何せもう、四十年も昔の事で、決して、そんな、ごまかす積りはないのですけれども、私のような俗人のたわいない記憶など果してお役に立つものかどうか。――」
「いや、いまはそんな、つまらぬ
それから記者は一時間ばかり、当時の事をいろいろ質問して、私のしどろもどろの答弁に
さて、私の胸底の画像と言っても、果して絶対に正確なものかどうか、それはどうも保証し難い。自分では事実そのままに語っているつもりでも、凡愚の印象というものは群盲象をさぐるの図に似て、どこかに非常な見落しがあるかも知れず、それに、もうこれは四十年も昔の事で、凡愚の印象さらにあいまいの度を加えて、ただいま恩師と旧友の肖像を正さんと意気込んで筆を
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【日刊 太宰治全小説】#183「竹青」

【冒頭】
むかし湖南の何とやら群邑(ぐんゆう)に、魚容(ぎょよう)という名の貧書生がいた。どういうわけか、昔から書生は貧という事にきまっているようである。この魚容君など、氏育ち共に賤(いや)しくなく、眉目清秀(びもくせいしゅう)、容姿また閑雅の趣きがあって、書を好むこと色を好むが如しとは言えないまでも、とにかく幼少の頃より神妙に学に志して、これぞという道にはずれた振舞いも無かった人であるが、どういうわけか、福運には恵まれなかった。
【結句】
一年後に、玉のような美しい男子が生れた。魚容はその子に「漢産」という名をつけた。その名の由来は最愛の女房にも明かさなかった。神烏の思い出と共に、それは魚容の胸中の尊い秘密として一生、誰にも語らず、また、れいの御自慢の「君子の道」も以後はいっさい口にせず、ただ黙々と貧しいその日暮しを続け、親戚の者たちにはやはり一向に敬せられなかったが、格別それを気にするふうも無く、極めて平凡な一田夫として俗塵(ぞくじん)に埋もれた。
「竹青 」について
・新潮文庫『お伽草紙』所収。
・昭和20年3月5日頃に脱稿。
・昭和20年4月1日付発行(5月下旬発売)、『文藝』四月号に「竹青ー新曲聊斎志異」(にちに副題を削除)として発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
むかし
「いつまでもこのような
この湖畔の呉王廟は、三国時代の呉の将軍
魚容は未だ夢心地で、
「ああ、すみません。
「叱るのではない。」とその黒衣の男は、不思議な
たちまち、魚容は
「あなた、」と
見ると、自分と同じ枝に
「おそれいります。」魚容は
「存じて居ります。」と雌の烏は落ちついて、「ずいぶんいままで、御苦労をなさいましたそうですからね。お察し申しますわ。でも、もう、これからは大丈夫。あたしがついていますわ。」
「失礼ですが、あなたは、どなたです。」
「あら、あたしは、ただ、あなたのお傍に。どんな用でも言いつけて下さいまし。あたしは、何でも致します。そう思っていらして下さい。おいや?」
「いやじゃないが、」魚容は
「ひどいわ。あたしが軽はずみの好色の念からあなたに言い寄ったとでもお思いなの? ひどいわ。これはみな呉王さまの情深いお取りはからいですわ。あなたをお慰め申すように、あたしは呉王さまから言いつかったのよ。あなたはもう、人間でないのですから、人間界の奥さんの事なんか忘れてしまってもいいのよ。あなたの奥さんはずいぶんお優しいお方かも知れないけれど、あたしだってそれに負けずに、一生懸命あなたのお世話をしますわ。烏の
魚容は情に感じて、
「ありがとう。乃公も実は人間界でさんざんの目に
「あら、そんなに改まった言い方をしては、おかしいわ。きょうから、あたしはあなたの召使いじゃないの。それでは
「うむ、」と魚容もいまは
「それでは、ついていらっしゃい。」とぱっと飛び立つ。
秋風
その日の午後、いまは全く呉王廟の神烏の一羽になりすまして、往来の舟の帆檣にたわむれ、折から兵士を満載した大舟が通り、仲間の烏どもは、あれは危いと逃げて、竹青もけたたましく鳴いて警告したのだけれども、魚容の神烏は何せ自由に飛翔できるのがうれしくてたまらず、得意げにその兵士の舟の上を
「聞えますか。あの、仲間の凱歌が聞えますか。」と
魚容は傷の苦しさに、もはや息も絶える思いで、見えぬ眼をわずかに開いて、
「竹青。」と小声で呼んだ、と思ったら、ふと眼が
「気がつきましたか。」と農夫の身なりをした
「あなたは、どなたです。」
「わしはこの辺の百姓だが、きのうの夕方ここを通ったら、お前さんが死んだように深く眠っていて、眠りながら時々微笑んだりして、わしは、ずいぶん大声を挙げてお前さんを呼んでも一向に眼を醒まさない。肩をつかんでゆすぶっても、ぐたりとしている。家へ帰ってからも気になるので、たびたびお前さんの様子を見に来て、眼の醒めるのを待っていたのだ。見れば、顔色もよくないが、どこか病気か。」
「いいえ、病気ではございません。」不思議におなかも今はちっとも
農夫は
「人間万事
魚容はまだ夢の続きを見ているような気持で、
「竹青!」と叫んだ。一群の烏が驚いて飛び立ち、ひとしきりやかましく騒いで魚容の頭の上を飛びまわり、それからまっすぐに湖の方へいそいで行って、それっきり、何の変った事も無い。
やっぱり、夢だったかなあ、と魚容は悲しげな顔をして首を振り、一つ大きい
故郷の人たちは、魚容が帰って来ても、格別うれしそうな顔もせず、冷酷の女房は、さっそく伯父の家の庭石の運搬を魚容に命じ、魚容は汗だくになって河原から大いなる岩石をいくつも伯父の庭先まで押したり
「竹青はどれですか。」と尋ねても振りかえる烏は一羽も無く、みんなただ無心に肉を拾ってたべている。魚容はそれでも諦められず、
「この中に、竹青がいたら一番あとまで残っておいで。」と、千万の思慕の情をこめて言ってみた。そろそろ肉が無くなって、群烏は二羽立ち、五羽立ち、むらむらぱっと大部分飛び立ち、あとには三羽、まだ肉を捜して居残り、魚容はそれを見て胸をとどろかせ手に汗を握ったが、肉がもう全く無いと見てぱっと
「別来、
振り向いて見ると、月光を浴びて
「どなたです、すみません。」とにかく、あやまった。
「いやよ、」と軽く魚容の肩を打ち、「竹青をお忘れになったの?」
「竹青!」
魚容は仰天して立ち上り、それから少し
「離して。いきが、とまるわよ。」と竹青は笑いながら言って巧みに魚容の腕からのがれ、「あたしは、どこへも行かないわよ。もう、一生あなたのお傍に。」
「たのむ! そうしておくれ。お前がいないので、乃公は今夜この湖に身を投げて死んでしまうつもりだった。お前は、いったい、どこにいたのだ。」
「あたしは遠い漢陽に。あなたと別れてからここを立ち退き、いまは漢水の神烏になっているのです。さっき、この呉王廟にいる昔のお友達があなたのお見えになっている事を知らせにいらして下さったので、あたしは、漢陽からいそいで飛んで来たのです。あなたの好きな竹青が、ちゃんとこうして来たのですから、もう、死ぬなんておそろしい事をお考えになっては、いやよ。ちょっと、あなたも痩せたわねえ。」
「痩せる筈さ。二度も続けて落第しちゃったんだ。故郷に帰れば、またどんな目に遭うかわからない。つくづくこの世が、いやになった。」
「あなたは、ご自分の故郷にだけ人生があると思い込んでいらっしゃるから、そんなに苦しくおなりになるのよ。人間
「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんで
「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いくせに。」
「なんだ、知っているのか。しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人たちに、乃公の立派に出世した姿をいちど見せてやりたい。あの人たちは昔から乃公をまるで阿呆か何かみたいに思っているのだ。そうだ、漢陽へ行くよりは、これからお前と一緒に故郷に帰り、お前のその
「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。むやみに故郷の人たちの尊敬を得たくて努めている人を、
魚容は、ぎゃふんとまいって、やぶれかぶれになり、
「よし、行こう。漢陽に行こう。連れて行ってくれ。
「まいりますか。」竹青はいそいそして、「ああ、うれしい。漢陽の家では、あなたをお迎えしようとして、ちゃんと仕度がしてあります。ちょっと、眼をつぶって。」
魚容は言われるままに眼を軽くつぶると、はたはたと翼の音がして、それから何か自分の肩に薄い衣のようなものがかかったと思うと、すっとからだが軽くなり、眼をひらいたら、すでに二人は雌雄の烏、月光を受けて
月下白光三千里の
「さあ、もう家へまいりました。」と漢水の小さな孤洲の上で悠然と輪を描きながら言った。魚容も真似して大きく輪を描いて飛びながら、脚下の孤洲を見ると、
竹青に手をひかれて奥の部屋へ行くと、その部屋は暗く、卓上の
「まだ、夜が明けぬのか。」魚容は
「あら、いやだわ。」と竹青は少し顔をあからめて、「暗いほうが、恥かしくなくていいと思って。」と小声で言った。
「君子の道は
魚容は、垂幕を排して部屋の窓を押しひらいた。朝の黄金の光が
「ああ、いい景色だ。くにの女房にも、いちど見せたいなあ。」魚容は思わずそう言ってしまって、
「やっぱり、奥さんの事は、お忘れでないと見える。」竹青は傍で、しみじみ言い、
「いや、そんな事は無い。あれは乃公の学問を一向に敬重せず、よごれ物を洗濯させたり、庭石を運ばせたりしやがって、その上あれは、伯父の妾であったという評判だ。一つとして、いいところが無いのだ。」
「その、一つとしていいところの無いのが、あなたにとって尊くなつかしく思われているのじゃないの? あなたの御心底は、きっと、そうなのよ。
魚容は大いに
「それは、ひどい。あんなに乃公を誘惑して、いまさら帰れとはひどい。郷原だの何だのと言って乃公を攻撃して故郷を捨てさせたのは、お前じゃないか。まるでお前は乃公を、なぶりものにしているようなものだ。」と抗弁した。
「あたしは神女です。」と竹青は、きらきら光る漢水の流れをまっすぐに見つめたまま、更にきびしい口調で言った。「あなたは、郷試には落第いたしましたが、神の試験には及第しました。あなたが本当に烏の身の上を
帆も
「あら、おかえり。」と
「やあ! 竹青!」
「何をおっしゃるの。あなたは、まあ、どこへいらしていたの? あたしはあなたの留守に大病して、ひどい熱を出して、誰もあたしを看病してくれる人がなくて、しみじみあなたが恋いしくなって、あたしが今まであなたを馬鹿にしていたのは本当に間違った事だったと後悔して、あなたのお帰りを、どんなにお待ちしていたかわかりません。熱がなかなかさがらなくて、そのうちに全身が紫色に
一年後に、玉のような美しい男子が生れた。魚容はその子に「漢産」という名をつけた。その名の由来は最愛の女房にも明さなかった。神烏の思い出と共に、それは魚容の胸中の尊い秘密として一生、誰にも語らず、また、れいの御自慢の「君子の道」も以後はいっさい口にせず、ただ黙々と相変らずの貧しいその日暮しを続け、親戚の者たちにはやはり一向に敬せられなかったが、格別それを気にするふうも無く、極めて平凡な一田夫として
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【日刊 太宰治全小説】#182「吉野山」(『新釈諸国噺』)

【冒頭】
拝啓。その後は、ごぶさたを申して居ります。までたく御男子御出生の由、大慶に存じます。いよいよ御家運御隆昌(ごりゅうしょう)の兆(きざし)と、おうらやましく思います。御一家いきいきと御家業にはげみ、御夕食後の御団欒(ごだんらん)はまた格別の事でありましょう。
【結句】
このたびのまことに無分別の遁世、何卒あわれと思召し、富籤(とみくじ)と観音像と、それから色紙の事お忘れなく、昔の遊び仲間の方々にもよろしくお伝え下され、陽春の頃には、いちど皆様そろって吉野へ御来駕(ごらいが)のほど、ひたすら御待ち申し上げます。頓首。
「吉野山」(『新釈諸国噺』)について
・昭和20年1月27日、生活社から刊行の『新釈諸国噺』に収載。
全文掲載(「青空文庫」より)
という歌の心、お察しねがいたく、実はこれとて私の作った歌ではなく、人の物もわが物もこの頃は差別がつかず、出家遁世して以来、ひどく私はすれました。このたびのまことに無分別の遁世、
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【日刊 太宰治全小説】#181「遊興戒」(『新釈諸国噺』)

【冒頭】
むかし上方の山粋人、吉郎兵衛、六右衛門、甚太夫とて、としは若し、家に金あり、親はあまし、男振りもまんざらでなし、しかも、話にならぬ阿呆というわけでもなし、三人さそい合って遊び歩き、そのうちに、上方の遊びもどうも手ぬるく思われて来て、生き馬の目を抜くとかいう東国の荒っぽい遊びを風聞してあこがれ、或るとし秋風に吹かれて江戸へ旅立ち、途中、大笑いの急がぬ旅をつづけて、それにしても世の中に美人は無い、色が白ければ鼻が低く、眉があざやかだと思えば顎(あご)が短い、いっそこうなれば女に好かれるよりは、きらわれたい、何とかして思い切りむごく振られてみたいものさ、などと天を恐れぬ雑言を吐き散らして江戸へ着き、あちらこちらと遊び廻ってみても、別段、馬の目を抜く殺伐なけしきは見当たらず、やはりこの江戸の土地も金、どこへ行っても下にも置かずもてなされ、甚だ調子抜けがして、江戸にもこわいもの無し、どこかに凄い魔性のものはいないか、と懐手して三人、つまらなそうな様子で、上野黒門より池の端のほうへぶらいぶらり歩いて、しんちゅう屋の市右衛門とて当時有名な金魚屋の店先にふと足をとどめ、中庭を覗(のぞ)けば綺麗な生簀(いけす)が整然と七、八十もならび、一つ一つの生簀には清水が流れて水底には緑の藻がそよぎ、金魚、銀魚、藻をくぐり抜けて鱗を光らせ、中には尾鰭(おひれ)の長さ五寸以上のものもあり、生意気な三粋人も、その見事さには眼を丸くして驚き、日本一の美人をここで見つけたと騒ぎ、なおも見ていると、その金魚を五両、十両の馬鹿高い値段で、少しも値切らず平気で買って行く人が次々とあるので、やっぱり江戸は違う、上方には無い事だ、あの十両の金魚は大名の若様のおもちゃであろうか、三日養って猫に食われてそれでも格別くやしそうな顔もせずまたこの店へ来て買うのであろうな、いかさま武蔵野は広い、はじめて江戸を見直したわい、などと口々に勝手な事を言って単純に興奮し、これを見ただけでも江戸へ来たかいがあった、上方へのよい土産話が出来た、と互いによろこび首肯(うなず)き合っているところへ、賤(いや)しい身なりの小男が、小桶に玉網(たも)を持ち添えてちょこちょこと店へやって来て、金魚屋の番頭にやたらにお辞儀をしてお追従(ついしょう)笑いなどしている。小桶を覗いてみると無数のぼうふらがうようよ泳いでいる。
【結句】
さすがに放埓の三人も、昔の遊び友達の利左の浅間ましい暮しを見ては、うんざりして遊興も何も味気ないものに思われ、いささか分別ありげな顔になって宿へ帰り、翌(あく)る日から殊勝らしく江戸の神社仏閣をめぐって拝み、いよいよ明日は上方へ帰ろうという前夜、宿の者にたのんで少なからぬ金子を谷中の利左の家へ持たせてやり、亭主は受け取るまいから、内儀にこっそり、とくどいくらいに念を押して言い含めてやったのだが、その使いの者は、しばらくして気の毒そうな顔をして帰り、お言いつけの家をたずねましたが、昨日、田舎へ立ちのいたとやら、いろいろ近所の者にたずねて廻っても、どこへ行ったのかついに行先きを突き止める事が出来ませんでしたという口上で、三人はそれを聞いて利左の行末を思い、いまさらながら、ぞっとして、わが身の上も省られ、ああ、もう遊びはよそう、と何だかわけのわからぬ涙を流して誓約し、いよいよ寒さのつのる木枯しに吹きまくられて、東海道を急ぎに急ぎ、おのおのわが家に帰りついてからは、人が変ったみたいにけち臭くよろずに油断のない男になり、ために色街は一時さびれたという、この章、遊興もほどほどに止(とど)むべしとの戒歟(いましめか)。
「遊興戒」(『新釈諸国噺』)について
・昭和20年1月27日、生活社から刊行の『新釈諸国噺』に収載。
全文掲載(「青空文庫」より)
「金魚のえさか。」とひとりが興覚め顔して
「えさだ。」もうひとりも、
何だか白けた
小桶に一ぱいのぼうふらを、たった二十五文で買ってもらって、それでも
「おや、あれは、
月夜の利左という浮名を流し、それこそ男振りはよし、金はあり、この三粋人と共に遊んで四天王と呼ばれ、数年前に吉州という評判の
「利左だ、間違いない。」とひとりは強く断定を下し、「あの右肩をちょっと上げて歩く癖は、むかしから利左の癖で、あれがまた
三人は走って、ぼうふら売りをつかまえてみると、むざんや、まさしく利左がなれの果。
「利左、お前はひどい。吉州には、わしも少し
と吉郎兵衛が言えば、甚太夫も、
「そうよ、そうよ。どんなつらい事情があったって、一言くらいわしたちに
「利左、でも、
と頼もしげな事を言ったが、利左は、顔を青くしてふんと笑い、そっぽを向きながら、
「何を言っていやがる。人の世話など出来る
「おやじ、これだけある。昔の
「おい、まごまごしてないで、ここへ腰かけて飲めよ。茶碗酒の味も忘れられぬ。」と口をゆがめて苦笑いしながら、わざと下品にがぶがぶ飲み、手の甲で口のまわりをぐいとぬぐって、「ああ、うめえ。」とまんざら
「時に利左、いまでも、やはり吉州と?」
「いまでも、とは何だ。」と利左は言葉を荒くして聞きとがめ、「粋人らしくもねえ。口のききかたに気をつけろ。」と言って、すぐまた卑屈ににやりと笑い、「その女ゆえに、御覧のとおりのぼうふら売りさ。悪い事は言わねえ。お前たちもいい加減に茶屋遊びを切り上げたほうがいいぜ。上方一と言われた女も、
「子供もあるのか。」
「あたりめえよ。間の抜けた事を聞くな。親にも似ねえ
「連れて行ってくれ。吉州にも逢いたい。」と吉郎兵衛は本音を吐いた。利左は薄気味悪い微笑を
「見たら、あいそが尽きるぜ。」と言い、
「ここだ、この家だ。三人はいったら、
「そのお三人のうち、
「いや、それはお固い。昔の事はさらりと水に流して。」と言えば、利左も、くるしそうに笑い、
「そうだ、そうだ。長屋の
「まあ。」と小さい声で言ったきり、お辞儀をするのも忘れている。
「坊やは、寒そうだな。」と客のひとりが、つい口をすべらしたら、内儀は坐ったまま子供のほうを振り返って見て、「着物を着るのがいやなんですって。妙な癖で、着物を着せてもすぐ脱いで、ああしてはだかで寝るんです。
「うそだ、うそだ。坊は、さっき
「ふざけた
「いや、ひどいめに遭った。」と吉郎兵衛は冷汗をぬぐい、「それにしても、吉州も、きたない女になりやがった。」
「
「ほんとうに、」吉郎兵衛は、少しも笑わず溜息をつき、「わしはもう、きょうから遊びをやめるよ。
「出家でもしたいところだね。」と六右衛門はひとりごとのように言い、「わしはもう殺されるのではないかと思った。おちぶれた昔の友達ほどおそろしいものはない。
「わしではないよ。」と吉郎兵衛は口をとがらせて言い、「わしは、ただ、吉州にひとめ逢いたくて、それで。」と口ごもった。
「お前だよ。」と甚太夫は冷静な口調で、「お前が一ばんさきに走って行って、一ばんさきに声をかけて、おまけに、また、あいつの家へ連れて行ってくれなんて、つまらぬ事を言い出したのも、みんなお前じゃないか。つつしむべきは好色の念だねえ。」
「面目ない。」と吉郎兵衛は、素直にあやまり、「以後はふっつり道楽をやめる。」
「改心のついでに、その足もとに散らばっているお金を拾い集めたらどうだ。」と六右衛門は、八つ当りの
「
さすが
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【日刊 太宰治全小説】#180「粋人」(『新釈諸国噺』)

【冒頭】
「ものには堪忍という事がある。この心掛けを忘れてはいけない。ちっとは、つらいだろうが我慢をするさ。夜の次には、朝が来るんだ。冬の次には春が来るさ。きまり切っているんだ。
【結句】
台所では、婆と蕾が、「馬鹿というのは、まだ少し脈のある人の事」と話合って大笑いである。とかく昔の浪花(なにわ)あたり、このような粋人とおそろしい茶屋が多かったと、その昔にはやはり浪花の粋人のひとりであった古老の述懐。
「粋人」(『新釈諸国噺』)について
・昭和20年1月27日、生活社から刊行の『新釈諸国噺』に収載。
全文掲載(「青空文庫」より)
家を出ると、急にむずかしき顔して
「婆はいるか。」と大きく出た。もともとこの男の
婆は先刻から、にこにこ笑ってこの男の話に
「やれうれしや、」と婆はこぼれるばかりの
お旦那は、わざとはにかんで頭を掻き、いやもう婆にはかなわぬ、と言ってなよなよと座敷に上り、
「何しろたべものには、わがままな男ですから、そこは油断なく、たのむ。」と、どうにもきざな事を言った。婆は内心いよいよ
「これは、卵ですか。」
「へえ、お口に合いますか、どうですか。」と婆は平然たるものである。
男は
「この辺は卵の産地か。何か
婆は噴き出したいのを
「いいえ、卵に由緒も何も。これは、お産に縁があるかと思って、婆の志。それにまた、おいしい料理の食べあきたお旦那は、よく、うで卵など、酔興に召し上りますので、おほほ。」
「それで、わかった。いや、結構。卵の形は、いつ見てもよい。いっその事、これに目鼻をつけてもらいましょうか。」と極めてまずい洒落を言った。婆は察して、売れ残りの芸者ひとりを呼んで、あれは素性の悪い大馬鹿の客だけれども、お金はまだいくらか持っているようだから、大晦日の少しは稼ぎになるだろう、せいぜいおだててやるんだね、と小声で言いふくめて、その不細工の芸者を客の座敷に突き出した。男は、それとも知らず、
「よう、卵に目鼻の御入来。」とはしゃいで、うで卵をむいて、食べて、口の端に卵の黄味をくっつけ、
「ああ、いやだ。また一つ、としをとるのよ。ことしのお正月に、十九の春なんて、お客さんにからかわれ、羽根を突いてもたのしく、何かいい事もあるかと思って、うかうか暮しているうちに、あなた、一夜明けると、もう
「思い出した。その帯をたたく手つきで思い出した。」男は記憶力の馬鹿強いところを発揮した。「ちょうどいまから二十年前、お前さんは花屋の宴会でわしの前に坐り、いまと同じ事を言い、そんな手つきで帯をたたいたが、あの時にもたしか十九と言った。それから二十年
「わしは仏さんではないよ。縁起でもない。拝むなよ。興覚めるね。酒でも飲もう。」手をたたいて婆を呼べば、婆はいち早く座敷の不首尾に気附いて、ことさらに陽気に笑いながら座敷に駈けつけ、
「まあ、お旦那。おめでとうございます。どうしても、御男子ときまりました。」
「何が。」と客はけげんな顔。
「のんきでいらっしゃる。お宅のお産をお忘れですか。」
「あ、そうか。生れたか。」何が何やら、わけがわからなくなって来た。
「いいえ、それはわかりませんが、いまね、この婆が
客は、まぶしそうな顔をして、
「いやいや、そう改ってお祝いを言われても痛みいる。それ、これはお
婆は一歩金を押しいただき、
「まあ、どうしましょうねえ。暮から、このような、うれしい事ばかり。思えば、きょう、あけがたの夢に、千羽の
あまりと言えば、あまりの歯の浮くような見え透いたお世辞ゆえ、客はたすからぬ気持で、
「わかった、わかった。めでたいよ。ところで何か食うものはないか。」と、にがにがしげに言い放った。
「おや、まあ、」と婆は、大袈裟にのけぞって驚き、「どうかと心配して
「数の子か。」客は悲痛な顔をした。
「あら、だって、お産にちなんで数の子ですよ。ねえ、つぼみさん。縁起ものですものねえ。ちょっと洒落た趣向じゃありませんか。お旦那は、そんな酔興なお料理が、いちばん好きだってさ。」と言い捨てて、素早く立ち去る。
旦那は、いよいよ、むずかしい顔をして、
「いまあの婆は、つぼみさん、と言ったが、お前さんの名は、つぼみか。」
「ええ、そうよ。」女は、やぶれかぶれである。つんとして答える。
「あの、花の
「くどいわねえ。何度言ったって同じじゃないの。あなただって、頭の毛が薄いくせに何を言ってるの。ひどいわ、ひどいわ。」と言って泣き出した。泣きながら、「あなた、お金ある?」と露骨な事を口走った。
客はおどろき、
「すこしは、ある。」
「あたしに下さい。」色気も何もあったものでない。「こまっているのよ。本当に、ことしの暮ほど困った事は無い。上の娘をよそにかたづけて、まず一安心と思っていたら、それがあなた、一年経つか経たないうちに、
「それでは、お前さんに孫もあるのだね。」
「あります。」とにこりともせず言い切って、ぐいと振り挙げた顔は、
粋人には、その笑いがこたえた。
「いや、そんなでもないが、少しなら、あるよ。」とうろたえ気味で、財布から、最後の一歩金を投げ出し、ああ、いまごろは、わが家の女房、借金取りに背を向けて寝て、死んだ振りをしているであろう、この一歩金一つでもあれば、せめて三、四人の借金取りの笑顔を見る事は出来るのに、思えば、馬鹿な事をした、と後悔やら恐怖やら
「ああ、めでたい。婆の占いが、男の子とは、うれしいね。なかなか話せる婆ではないか。」
とかすれた声で言ってはみたが、蕾は、ふんと笑って、
「お酒でもうんと飲んで騒ぎましょうか。」と万事を察してお
客はひとり残されて、
「あれわいさのさ。」と、つきもない
「まだ日が暮れぬか。」
「冗談でしょう。おひるにもなりません。」
「さてさて、日が永い。」
地獄の半日は、
「お前さんはもう帰れ。わしはこれから一寝入りだ。眼が覚めた頃には、お産もすんでいるだろう。」と、いまは、わが嘘にみずから苦笑し、ごろりと寝ころび、
「本当にもう、帰ってくれ。その顔を二度とふたたび見せてくれるな。」と力無い声で
「ええ、帰ります。」と蕾は落ちついて、客のお
客は眼をつぶっても眠られず、わが身がぐるぐる
「やあ、ここにいた。」と、
「あとのお勘定は正月五日までに。」と言い捨て、いそがしそうに立ち去った。
粋人は、下着一枚の奇妙な
「どうもねえ、友人から泣きつかれて、判を押してやったが、その友人が破産したとやら、こちらまで、とんだ迷惑。金を貸すとも、判は押すな、とはここのところだ。とかく、大晦日には、思わぬ事がしゅったい致す。この姿では、外へも出られぬ。暗くなるまで、ここで一眠りさせていただきましょう。」と、これはまたつらい
台所では、婆と蕾が、「馬鹿というのは、まだ少し脈のある人の事」と話合って大笑いである。とかく昔の
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