記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月13日

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5月13日の太宰治

  1948年(昭和23年)5月13日。
 太宰治 38歳。

 五月十二日から五月十四日までの三日の間に「如是我聞(にょぜがもん)(三)」を野平健一に口述脱稿。

如是我聞(にょぜがもん)』の口述筆記②

 今日は、4月6日の記事で紹介した、太宰渾身のエッセイ『如是我聞』一回、二回に続き、三回を全文引用して紹介します。

 この頃の太宰について、『如是我聞』の口述筆記を担当した新潮社の野平健一は、エッセイ「『如是我聞』と太宰治の中で、次のように書いています。

『如是我聞』三回目は『人間失格』を書き終って、『グッド・バイ』を始めるまで、その間、三日、その後は、待っている筈の原稿料をお届けに行っても会えなかった。ひとを避け始めた。女は刺も通じてくれなかった。お宅へ行き奥さんにお渡しして帰った。

 「女」とは、太宰の愛人・山崎富栄のこと。太宰が人間失格執筆のため、熱海や大宮に滞在した際にも同行した富栄。「刺も通じてくれなかった」とあることから、この頃、富栄抜きで太宰と野平が2人で会うことは難しくなっていたようです。

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■新潮社の担当者 左から、野原一夫と野平健一

如是我聞(にょぜがもん)

     三

 謀叛(むほん)という言葉がある。また、官軍、賊軍という言葉もある。外国には、それとぴったり合うような感じの言葉が、あまり使用せられていないように思われる。裏切り、クーデタ、そんな言葉が主として使用せられているように思われる。「ご謀叛でござる。ご謀叛でござる。」などと騒ぎまわるのは、日本の本能寺あたりにだけあるように思われる。そうして、所謂官軍は、所謂賊軍を、「すべて烏合(うごう)の衆なるぞ」と歌って気勢をあげる。謀叛は、悪徳の中でも最も甚だしいもの、所謂賊軍は最もけがらわしいもの、そのように日本の世の中がきめてしまっている様子である。謀叛人も、賊軍も、よしんば勝ったところで、所謂三日天下であって、ついには滅亡するものの如く、われわれは教えられてきているのである。考えてみると、これこそ陰惨な封建思想の露出である。
 むかしも、あんなことをやった奴があって、それは権勢慾、或いは人気とりの軽業に過ぎないのであって、言わせておいて黙っているうちに、自滅するものだ、太宰も、もうこれでおしまいか、忠告せざるべからず、と心配して下さる先輩もあるようであるが、しかも古来、負けるにきまっていると思われている所謂謀叛人が、必ずしも、こんどは、負けないところに民主革命の意義も存するのではあるまいか。
 民主主義の本質は、それは人によっていろいろに言えるだろうが、私は、「人間は人間に服従しない」あるいは、「人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない」それが民主主義の発祥の思想だと考えている。
 先輩というものがある。そうして、その先輩というものは、「永遠に」私たちより偉いもののようである。彼らの、その、「先輩」というハンデキャップは、(ほとん)ど暴力と同じくらいに荒々しいものである。例えば、私が、いま所謂先輩たちの悪口を書いているこの姿は、ひよどり越えのさか落しではなくて、ひよどり越えのさか上りの(てい)のようである。岩、かつら、土くれにしがみついて、ひとりで、よじ登って行くのだが、しかし、先輩たちは、山の上に勢ぞろいして、煙草をふかしながら、私のそんな浅間しい姿を見おろし、馬鹿だと言い、きたならしいと言い、人気とりだと言い、逆上気味と言い、そうして、私が少し上に登りかけると、極めて無雑作に、彼らの足もとの石ころを一つ蹴落(けおと)してよこす。たまったものではない。ぎゃっという醜態の悲鳴とともに、私は落下する。山の上の先輩たちは、どっと笑い、いや、笑うのはまだいいほうで、蹴落して知らぬふりして、マージャンの卓を囲んだりなどしているのである。
 私たちがいくら声をからして言っても、所謂世の中は、半信半疑のものである。けれども、先輩の、あれは駄目だという一言には、ひと頃の、勅語の如き効果がある。彼らは、実にだらしない生活をしているのだけれども、所謂世の中の信用を得るような暮し方をしている。そうして彼らは、ぬからず、その世の中の信頼を利用している。 永遠に、私たちは、彼らよりも駄目なのである。私たちの精一ぱいの作品も、彼らの作品にくらべて、読まれたものではないのである。彼らは、その世の中の信頼に便乗し、あれは駄目だと言い、世の中の人たちも、やっぱりそうかと容易に合点し、所謂先輩たちがその気ならば、私たちを気狂(きちが)い病院にさえ入れることが出来るのである。
 奴隷(どれい)根性。
 彼らは、意識してか或いは無意識か、その奴隷根性に最大限にもたれかかっている。
 彼らのエゴイズム、冷たさ、うぬぼれ、それが、読者の奴隷根性と実にぴったりマッチしているようである。或る評論家は、ある老大家の作品に三拝九拝し、そうして曰く、「あの先生にはサーヴィスがないから偉い。太宰などは、ただ読者を面白がらせるばかりで、……」
 奴隷根性も極まっていると思う。つまり、自分を、てんで問題にせず恥しめてくれる作家が有り難いようなのである。評論家には、このような謂わば「半可通」が多いので、胸がむかつく。墨絵の美しさがわからなければ、高尚な芸術を解していないということだ、とでも思っているのであろうか。光琳(こうりん)の極彩色は、高尚な芸術でないと思っているのであろうか。渡辺崋山(かざん)の絵だって、すべてこれ優しいサーヴィスではないか。
 頑固。怒り。冷淡。健康。自己中心。それが、すぐれた芸術家の特質のようにありがたがっている人もあるようだ。それらの気質は、すべて、すこぶる男性的のもののように受取られているらしいけれども、それは、かえって女性の本質なのである。男は、女のように容易には怒らず、そうして優しいものである。頑固などというものは、無教養のおかみさんが、持っている(すこぶ)る下等な性質に過ぎない。先輩たちは、も少し、弱いものいじめを、やめたらどうか。所謂「文明」と、最も遠いものである。それは、腕力でしかない。おかみさんたちの、井戸端会議を、お聞きになってみると、なにかお気附きになる筈である。
 後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらは、いやになるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを遵奉(じゅんぽう)してきたつもりであるが、しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。
 民主革命。
 私はその必要を痛感している。所謂有能な青年女子を、荒い破壊思想に追いやるのは、民主革命に無関心なおまえたち先輩の頑固さである。
 若いものの言い分も聞いてくれ! そうして、考えてくれ! 私が、こんな如是我聞(にょぜがもん)などという拙文をしたためるのは、気が狂っているからでもなく、思いあがっているからでもなく、人におだてられたからでもなく、(いわ)んや人気とりなどではないのである。本気なのである。昔、誰それも、あんなことをしたね、つまり、あんなものさ、などと軽くかたづけないでくれ。昔あったから、いまもそれと同じような運命をたどるものがあるというような、いい気な独断はよしてくれ。
 いのちがけで事を行うのは罪なりや。そうして、手を抜いてごまかして、安楽な家庭生活を目ざしている仕事をするのは、善なりや。おまえたちは、私たちの苦悩について、少しでも考えてみてくれたことがあるだろうか。
 結局、私のこんな手記は、愚挙ということになるのだろうか。私は文を売ってから、既に十五年にもなる。しかし、いまだに私の言葉には何の権威もないようである。まともに応接せられるには、もう二十年もかかるのだろう。二十年。手を抜いたごまかしの作品でも何でもよい、とにかく抜け目なくジャアナリズムというものにねばって、二十年、先輩に対して礼を尽し、おとなしくしていると、どうやらやっと、「信頼」を得るに到るようであるが、そこまでは、私にもさすがに、忍耐力の自信が無いのである。
 まるで、あの人たちには、苦悩が無い。私が日本の諸先輩に対して、最も不満に思う点は、苦悩というものについて、全くチンプンカンプンであることである。
 何処(どこ)に「暗夜」があるのだろうか。ご自身が人を、許す許さぬで、てんてこ舞いしているだけではないか。許す許さぬなどというそんな大それた権利が、ご自身にあると思っていらっしゃる。いったい、ご自身はどうなのか。人を審判出来るがらでもなかろう。
 志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。小説が、もし、絵だとするならば、その人の発表しているものは、(しょ)である、と知人も言っていたが、あの「立派さ」みたいなものは、つまり、あの人のうぬぼれに過ぎない。腕力の自信に過ぎない。本質的な「不良性」或いは、「道楽者」を私はその人の作品に感じるだけである。高貴性とは、弱いものである。へどもどまごつき、赤面しがちのものである。所詮あの人は、成金に過ぎない。
 おけらというものがある。その人を尊敬し、かばい、その人の悪口を言う者をののしり殴ることによって、自身の、世の中に於ける地位とかいうものを危うく保とうと汗を流して懸命になっている一群のものの(いい)である。最も下劣なものである。それを、男らしい「正義」かと思って自己満足しているものが大半である。国定忠治の映画の影響かも知れない。
 真の正義とは、親分も無し、子分も無し、そうして自身も弱くて、何処かに収容せられてしまう姿に於て認められる。重ね重ね言うようだが、芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、無いもののように私には思われる。
 全部、種明しをして書いているつもりであるが、私がこの如是我聞という世間的に言って、明らかに愚挙らしい事を書いて発表しているのは、何も「個人」を攻撃するためではなくて、反キリスト的なものへの戦いなのである。
 彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑(けいべつ)の笑いに似た苦笑をもらし、なんだ、ヤソか、というような、安堵(あんど)に似たものを感ずるらしいが、私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の、「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」という難題一つにかかっていると言ってもいいのである。
 一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫(あいぶ)するかも知れぬが、愛さない。
 おまえたちの持っている道徳は、すべておまえたち自身の、或いはおまえたちの家族の保全、以外に一歩も出ない。
 重ねて問う。世の中から、追い出されてもよし、いのちがけで事を行うは罪なりや。
 私は、自分の利益のために書いているのではないのである。信ぜられないだろうな。
 最後に問う。弱さ、苦悩は罪なりや。

 これを書き終えたとき、私は偶然に、ある雑誌の座談会の速記録を読んだ。それによると、志賀直哉という人が、「二、三日前に太宰君の『犯人』とかいうのを読んだけれども、実につまらないと思ったね。始めからわかっているんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかっているし……」と、おっしゃって、いや、言っていることになっているが、(しかし、座談会の速記録、或いは、インタヴィユは、そのご本人に覚えのないことが多いものである。いい加減なものであるから、それを取り上げるのはどうかと思うけれども、志賀という個人に対してでなく、そういう言葉に対して、少し言い返したいのである)作品の最後の一行に於て読者に背負い投げを食わせるのは、あまりいい味のものでもなかろう。所謂「落ち」を、ひた隠しに隠して、にゅっと出る、それを、並々ならぬ才能と見做(みな)す先輩はあわれむべき哉、芸術は試合でないのである。奉仕である。読むものをして傷つけまいとする奉仕である。けれども、傷つけられて喜ぶ変態者も多いようだからかなわぬ。あの座談会の速記録が志賀直哉という人の言葉そのままでないにしても、もしそれに似たようなことを言ったとしたなら、それはあの老人の自己破産である。いい気なものだね。うぬぼれ鏡というものが、おまえの家にもあるようだね。「落ち」を避けて、しかし、その暗示と興奮で書いて来たのはおまえじゃないか。
 なお、その老人に茶坊主の如く阿諛追従(あゆついしょう)して、まったく左様でゴゼエマス、大衆小説みたいですね、と言っている卑しく()せた俗物作家、これは論外。

 【了】

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【参考文献】
野平健一『矢来町半世紀』(新潮社、1992年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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