記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】6月15日

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6月15日の太宰治

  1946年(昭和21年)6月15日。
 太宰治 36歳。

 六月十五日付発行の「東奥日報」に「政治家と家庭」を発表。

『政治家と家庭』

 今日は、太宰のエッセイ『政治家と家庭』を紹介します。
 『政治家と家庭』は、1946年(昭和21年)6月15日発行の「東奥日報」第19400号の第2面「家庭の期待 新代議士を語る」欄の「1」として発表されました。このエッセイが発表された頃、太宰は、故郷の金木町に疎開していました。
 掲載された「東奥日報」は、1888年(明治21年)12月6日に創刊、青森県で発行されている地方新聞です。

『政治家と家庭』

 頭の禿()げた善良そうな記者君が何度も来て、書け書け、と頭の汗を()きながらおっしゃるので、書きます。
 佐倉宗五郎子別れの場、という芝居があります。ととさまえのう、と泣いて慕う子を振り切って、宗五郎は吹雪の中へ走って消えます。あれを、どうお思いでしょうか。アメリカ人が見たら、あれをどう感ずるでしょうか。ロシヤ人が見たら、何と判断するでしょうか。
 しかし私たち日本人、(こと)に男が何か仕事に打ち込んだ場合、たいていこの宗五郎のようになってしまいます。
 家庭は、捨ててよいものでしょうか。日本の政治家たちは、たいてい家庭を捨てているようです。ひどいのになると、独身だか妻帯者だか、わからない人物もあります。しつけの良い家庭を営んでいる政治家は、少いように思われます。
 しつけの良い家庭を維持しながら、よい仕事も出来るという政治家もあってよいと思います。これこそ、至難の事業であります。けれども、兄は、それが出来るかも知れない極めて少数のひとの一人だと感じます。
 無理なお願いでしょうけれどもお願いしてみます。私の為のお願いではありません。

 1946年(昭和21年)4月12日、長兄・津島文治は、戦後初の第22回衆議院議員選挙に当選しています。「頭の禿()げた善良そうな」東奥日報の記者は、この当選を受け、疎開中だった兄弟の太宰に、エッセイの執筆を依頼したのでしょうか。

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■太宰の長兄・津島文治

 文治の衆議院議員選挙を応援するため、太宰も講演や演説をしています。この時の様子は、3月3日の記事で紹介しています。

 仕事と家庭の両立をすることは難しく、幸せな家庭を築くことが出来る政治家は少ないが、自分の兄はそうではなく、「しつけの良い家庭を維持しながら、よい仕事も出来る」「極めて少数のひとの一人」だと思う、とエッセイを締めくくっていますが、政治家を小説家と読み換えると、太宰の自己弁護のようにも感じられます。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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