記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】6月24日

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6月24日の太宰治

  1943年(昭和18年)6月24日。
 太宰治 34歳。

 昭和十八年六月頃初稿脱稿、昭和十九年一月中旬頃発表稿脱稿。
 昭和十九年一月二十五日付の「日本医科大学殉公団時報」第七十号に「革財布」を発表した。この原稿は、日本医科大学予科に通っていた叔母キヱの孫津島慶三に、「昭和十八年の晩秋」に依頼されて寄稿したものであった。

『革財布』

 今日は、太宰のエッセイ『革財布』を紹介します。
 『革財布』は、1944年(昭和19)年1月25日発行の『日本医科大学(角書)殉公団時報』第70号の第4面の「予科」欄に発表されました。この欄には、ほかに「可能性に就いて」(桑島健一)、「冬に書いた手紙」(松坂義孝)、「別盃のうた」(小金沢進)が掲載されていました。

『革財布』

 落語の「革財布」は、可笑しいというよりは、可憐な話である。学生時代に寄席で聞いただけで、このごろは寄席へもあまり行かないし、話の筋のこまかい経緯は忘れてしまったが、深夜、酔っぱらって帰る途中に於いて革の財布を拾う。家へ持って帰って、財布の内容を調べて見ると、大金がはいっている。酔漢すなわち狂喜して、これだけの金があれば、毎日、朝から大威張りで酒が飲める、女房だって文句を言うまい、帯の一本も買ってやろうか、とひとりではしゃいで、やがて寝てしまう。女房は早朝、亭主の眠っている間にその財布を持って家主の許へ相談に行き、財布を警察にとどける。亭主は、目覚めて、財布はどうしたと女房に問う。存じません、夢でも見たのでしょう、と答える。亭主、宿酔の重い頭を振って、そうであったか、けれども、夢でよかった、本当だったら俺は今ごろ、猫ばばの罪を犯していたところだ、ああ、それにしても酒飲みの意地汚さは恐るべきものだ、猫ばばの罪を犯してまで酒を飲もうとする、ああ、もう以後は禁酒だ、と身震いしてふっつり酒を断つ。その日から家業にも精出して、わずかながら貯金も出来る。一年目であったか、五年目であったか、とにかく、その事件のあった日から幾年目かの宵に、さかな屋が夕食の膳に向うとお銚子がちゃんとついている。亭主、眼を丸くして、これはどうしたのだと女房に問う。女房、笑いながら革財布を亭主の前に差出して、実は、と言う。落主から届出が無いので、きょう、おかみから改めてお下渡しになったのだと、一部始終を物語り、さあ今夜こそ心ゆくまでお酔いなさい、と言う。亭主すなわち酒盃を取り上げ、ふと考えて、ぱたりとお膳に盃を伏せる。どうしたの、と女房はいぶかる。亭主、首を振って、酔うとまた夢になる、というのがその落語のだいたいの筋であったように記憶している。記憶ちがいしているところもあるかも知れない。誰しもご存じの筈の有名な落語を、間違って覚えているのも恥ずかしい事だし、「落語速記集」とでもいうような本がないものかと思って、実は、けさ三鷹の古本屋を二軒、それから吉祥寺の古本屋を五軒覗いて見たのであるが、そんなものは無かった。

 

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それで仕方なく、きっと記憶ちがいのところもあるだろうと思いながら、おっかなびっくり、おぼろげな私の記憶だけをたよりに書いて見た次第である。私は、この落語が好きなのである。先日、鴎外全集を読んでいたら、鴎外が「革財布の出典」という一文を草しているのを見つけた。鴎外の説に拠ると、この話は、支那蕉鹿(しょうろく)の説話から出ているのではあるまいか、というのである。焦鹿の説話というのは、もと列子周の穆王(ぼくおう)第三に見えているものだそうで、鴎外はその原文も紹介しているが、話の様子が少し似ているようでありながら、その主題は全然ちがっているようにも思われる。焦鹿の話のだいたいは、きこりがあって、一日、山中に於いて鹿を得て、それを或る場所に隠したが、うれしさの余り、その隠した場所を忘れてしまった。夢であったのかなあ、と思って、それを人に話す。聞いた人は、こっそりその辺を捜してみて、鹿を見つけたので、それを家へ持ち帰り、女房に向って、きこりの夢をあてにして捜してみたら、やっぱり本当に鹿があった、と語ったところが女房はずるい奴で、あなたが、きこりから夢の話を聞いたというのもあなたの夢だったのでしょう、あなたはあなたひとりの夢に依って鹿を得たのに違いありませんと言いくるめて、きこりの功を全く除外して鹿を独占しようと計った。けれども、きこりの方も、家に帰って、どうも今日のあの鹿の事が気になって、その夜、真に鹿を隠した場所を夢み、また之を得たところの男の事も夢に見た。ここに鹿の奪い合いの訴訟が起る。けれども、裁判官もこれには閉口した。夢に見たのは嘘か本当か、そんな事は黄帝孔丘ほどの神通力を得た人でなければ、裁判できかねる。人がどんな夢を見たか、わかるものではない。夢にだけは証拠が無い。遂に、鹿は両家で等分せられる事になった、というのは、その焦鹿の説話の大意のようであるが、これは少し、革財布とちがうように思われる。女房が、うまく亭主を言いくるめるところは似ているが、焦鹿の説話の女房は、ただ奸智にたけているだけで、革財布の女房とはその精神に於いてまるで違っている。玄関と勝手口くらいの差がある。おそらく出典は、他にあるのではあるまいか。けれども鴎外が、ついでを以て落語の革財布の構成を評し、「作者が警察制度に遠慮して、魚売の妻が家主と計って、拾い物を公に届け出たように作ったのは、余計な趣向と思われる。大金を拾った話が公沙汰になりながら、拾い主たる魚売の耳に入らずに済む筈がない。魚売の妻は怜悧で、横着で、巧に拾い物を匿し果せた事とせねば、筋が通らぬ。」と言っているのは、流石である。けれども、それでは美談にならぬ。極めて罪の深い話になってしまう。どうすれば、よいか。私は、それを知っている。実は、この小品文の意図も、これを自慢したいところに在ったのである。なに、たいした事ではないが、ちょっとした妙案がある。弾丸切手は如何。酒飲みの亭主これに当って騒ぐのを女房は、かねて自分がこっそり一枚買って置いたのとすり換えて置く。これなら自然だ。翌朝、亭主がすり換えられた弾丸切手を見つめて、夢であったか、と呟く。亭主が綺麗にあきらめた時に、女房がそれを打明け、亭主と相談の上、おかみにそれを献金するとでもいう筋にすれば、銃後美談にもなるであろう。落語界の新人、之を寄席にて演ずれば、拍手大喝采疑いなし、と自画自讃如件。
 附記。この原稿を書いたあとで、西鶴の著作の中から一つ似たような話を見つけた。武家義理物語の「大工が拾う明ぼののかね」というのがそれだ。けれども、この女房は憎むべき悪妻である。落語の「革財布」のような、しんみりした美談ではない。これもまた「革財布」の出典ではないように思われる。

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■太宰の愛用した財布

 この『革財布』というエッセイは、当時、日本医科大学予科に通い、「殉公団時報」という大学新聞の編集部員だった叔母・キヱの孫・津島慶三に依頼されて寄稿したものでした。太宰と叔母・キヱについては、1月18日の記事で紹介しました。

 津島慶三は、回想記『祖母きえとその周辺の人々』で、太宰から『革財布』の原稿を貰った頃について回想しているので、該当部分を引用して紹介します。

「革財布」の原稿を貰った頃

 大工さんの家に下宿して、日本医科大学予科に通っていた頃、私は大学の「殉公団時報」という大学新聞の編集部員であった。新聞の予科欄に載せる原稿を太宰に頼むことになった。当時、学内の文芸部、編集部では、文芸談議が活発で、先輩の林富士馬さんなどが、文芸活動をしておられたし、駒込千駄木町の大学の裏の立派な邸宅に住んでいた二年後輩の桂博澄君のお兄さん(桂英澄さん)が、太宰と懇意にしておられたりして、編集部内でも太宰の関心が高かった時期でもあったと思う。(桂さんには太宰が死ぬまで、死んでからも大変お世話になっている。)
 昭和十八年の晩秋だったように思うが、太宰に原稿依頼の話をしたら、二つ返事で引き受けてくれて大助かりであった。原稿を貰うまでに、さほど時間を要さなかったと記憶している。「革財布」の筋書きは「芝浜」という落語と思われる。これも美談である。
 当時、大学新聞は読売新聞社に印刷を依頼していた。校正は新聞社ですることになっていた。日刊新聞と同じように、大急ぎで校正して、印刷に回さないと、印刷担当者にいい顔をされなかった。このような事情と、私自身原稿への執着心があまり無く、とにかく新聞に「革財布」を掲載できて、編集の責任を果たしたという安堵感も手伝って、原稿をどこかに無くしてしまったのに後で気がついた。今になって、太宰を知る人達から、「惜しいことをした、もったいない」と良く言われるのである。勿体無いかどうかは別として、美知子さんには申し訳無いことをしたと思っている。美知子さんはそのことよりも、「革財布」の掲載された大学新聞の発行年月日、号数などを知りたく、懸命であった。私は、「革財布」の掲載されている大学新聞を戦禍のために失っていたのである。同窓の友人が、(ようや)く掲載紙を見つけてくれたときは、さすがにほっとした。

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■生家の庭にて 前列、左から4番目が慶三。二列目、左から3番目がキヱ。後列、右が太宰。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・『太宰治研究 7』(和泉書院、2000年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・『別冊太陽 日本のこころ159 太宰治』(平凡社、2009年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
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