記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】9月25日

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9月25日の太宰治

  1929年(昭和4年)9月25日。
 太宰治 20歳。

 九月二十五日付で「弘高新聞」第八号が発行され、「花火」を小菅銀吉の署名で発表。

『花火』

  今日は、太宰が官立弘前高等学校時代に発表した掌編『花火』を紹介します。
 『花火』は、1929年(昭和4年)9月25日付で発行された「弘高新聞」第八号に、「小菅銀吉」ペンネームで発表されました。

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■「いい男だろ / 小菅銀吉」と署名のある写真

『花火』

 うむ、そうだ。ほんとうに好い天気だな。からッと晴れて、――先ずメーデー日和。おい! 今日は一つ大いにやろうな。なに? いや、まだ集まるんじゃないよ。花火を合図に……おや、聞かなかったのかい、此の手筈。君等の工場にはS君が知らせた事になっているんだがなあ。え? ああ君は昨日迄工場を休んでたんだな、それじゃ知らない訳だ。でも、よく今日出て来られたね。もういいのかい脚の怪我は。悲壮だな。だが無理しちゃいかんぜ。無理をしちゃあ……
 なにね、色んな五月蠅(うるさ)い奴等が邪魔して困るから、花火の合図でもって皆一緒にどっ(、、)と広場へ馳集(はせあつま)るコンタンさ。其れ迄は成るべく静かに、広場の附近に散らばって花火の上るのを待って居るのだ。僕ん(とこ)の裏はすぐ広場なんだから君もここで待ってろよ。まま、いいから此の縁側に腰を下して……うむ、今に花火が上るよ。ぽーんとコレ此の蒼空(あおぞら)に……だけど、おい、好い天気だなあ。
 ……花火と言やあ思い出す事があるんだがねえ。そいつが又色々な意味で実に不愉快な思いでなんでね、聞いて呉れる? いや、それアもう、君が僕の思い出話なんかにちっとも興味を感じない……どころか腹立たしい気さえ起るだろうッて事は知ってるさ。又そうなくちゃいかんな、僕の思い出話と言えば、もう、僕の少年期とそれから青年期の大半とを過したブル的環境からの産物にきまってるんだし、君等のような言わば生抜(はえぬき)のプロには、そんなブル臭い思い出話なんか堪えられないのは当然さ。……だけどねえ、僕の思い出話をこう考えたらどうだろう。つまり金持ち共の生活の無内容を極めて野蛮に暴露したものだと考えるのだ。勿論僕は常に僕の思い出を最も赤裸々に少しの粉飾も施さずに、さらけ出して(しも)うて居るよ。それを君達が聞く、又僕自身も聞く。そして我々は結局彼等より優れたる階級であることを自覚する。そうだ、我々の階級意識愈々(いよいよ)確乎(かっこ)たるものにするんだぜ。どうだい。聞いてお呉れ。いいだろう?

 

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 ……君は知らなかったかしら、僕の死んだ兄貴を。そうか知らなかったろうなあ。僕の口からこう言うのもなんだけれど、綺麗な顔をしててね、なんでも祖母に似てそんなに、いい男なんだそうだ。僕の物心地(ものごこち)の附いた時はもう祖母が亡くなって居たから、祖母の事はなんにも知らぬが、とても意気な婆さんだったらしいな。兄貴は此の婆さんに余程大きく成る迄抱かれて寝て居たんだって。それで、あんなに美しく育ったのか、兎に角いい男だった。僕とは(とお)も年が違って居たし、知らぬ人は誰も本当の兄弟とは信じなかった。そうだろうさ、僕はこんなずんぐり(、、、、)だし兄貴はあんな役者見たいな優男(やさおとこ)だったんだからなあ。この兄貴、又すばらしく頭が良かった。二十三歳で大学を出ちゃったんだ。無論、勉強もしたけどね。でまあ僕の家の自慢の種だったのさ。お蔭で僕は実に悲惨だったね。事あるごとに、「これ兄さんを見習いなさい」「同じ兄弟でもお前はどうして、こう一から十迄兄さんに劣ってるのだろうねえ」なんかん家の人達に言われて実際うるさかった。所がだ、其の御手本の兄貴が、君、大学を出るとすぐ放蕩を始めたのさ。金放れは綺麗、男前は申し分なし、それに頭が切れると来て居るから(これ)もて(、、)ないのが不思議な位。その頃僕は、どうやら中学に入れて、毎日いそいそ学校に通うて居た時だったから、くわしくは知る便(よすが)も無いが、なにしろ猛烈な遊び振りだったらしい。とうとう待合から勤め先に通うて居たのがばれたりして、其の会社は首に成り自棄(やけ)も手伝って、余程の大金を持って家から飛び出しちゃったんだ。家じゃ大騒ぎして八方探したんだが皆目知れずさ、それから二年(ばか)り経って兄貴ぼんやり帰って来たね。僕も其の頃は中学の五年生だかに成って居たし、よく覚えて居るが、おい君、兄貴は少し頭の工合が変になって居たのだよ。言う迄もなく脳梅毒ッて奴にやられたのさ。それに身体(からだ)も目茶苦茶に壊して居たので、其れから死ぬ迄、二年間と言うものはとうとう床の中で(ばか)り暮して居たようなものだった。変なものでね、病気になってから兄貴、又凄い程美しくなったんだ。なんでも月の出て居た晩だった。兄貴は水色のピジャマを着て病室の縁先に、青鷺(あおさぎ)のようにすうッと立って居た、あの物凄さはまだ忘れもせぬ。頭の工合の好い時は普通の人とちっとも違わなかったし、狂人(きちがい)とは言い条、別に乱暴な事をするでなし、家の人達もたいした警戒をしては居なかった。それがいけなかったんだな。どうも大変な事が起った。

 

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■太宰、中学時代 前列左から三兄・圭治、長兄・文治、次兄・英治。後列左から弟・礼治、太宰。小説の登場人物たちは、津島家をモデルにしているようですが、もちろん、太宰の創作です。

 

 兄貴の病室には四十歳位の色の黒い看護婦の他に竹やという鳥渡(ちょっと)可愛らしい小間使いが附いて居たんだ。こいつ不幸な娘でね、両親も無ければ身内の者といっては弟一人なのだ。職業紹介所から僕の家で連れて来て使ってやって居たんだが、温和(おとな)しいのに又よく気も利いて居たし……え? フフン図星だ。いかにも僕大いに惚れて居たのだ。その頃は僕も地方の高等学校に入ってたので暑中休暇なんかには、此の竹やに逢えるのが楽しみで、飛んで家へ帰ったものだった。家へ帰っても兄貴の病室に入りびたりに成って、竹やと視線を合わせては柄にもあらず胸をどきつかせて居たのさ。元来、僕と兄貴とは幼い時から仲が悪くってね、(こと)に大きく成ってからは(ろく)に話も交さぬ日が多かったね。まあ、お互いに虫が好かなかったのだな。それなのに僕が、其の頃になって急に兄貴の甘酸っぱいような空気の病室に毎日のうのうのさばり返って居たのは誰の眼から見ても可笑しかったに違いない。現に脳の悪い兄貴でさえ、寝たままで時々不審そうに僕の方をぎょろぎょろ横目を使って盗み見してたからな。無論此の恋は僕の可愛らしい片恋のままで終った。と言うのは、其の次の年の夏休みに、あたふたと家へ帰って見たら、竹やは居ないのだ。心配でならなかったが、まさか家の人に詰問する訳にも行かず、僕と(こと)に仲のよかった下男を(つかま)えて、こっそり根掘り葉掘り聞いて見たら、君、竹やは死んだのだ。僕が帰る五ヶ月程前に死んじゃったと言うではないか。ぽかーんとしたね。しかも其の死因はだよ、いいか君、下男も之だけは口を濁してはっきり語らぬから良くは判らぬが、なんでも兄貴の病的な獣慾の犠牲になって、猛烈な病毒を感染させられた結果らしいのだ。死ぬ時には膿の交った血の小便で座蒲団からその底の畳迄がビジョビジョになったと言うから、いよいよ兄貴の仕業に相違ないのだ。おい、おい、君、そんなに興奮しないで、黙って終まで聞いて呉れ。そうとも、僕も其の頃はまだ若かったしカッとなった。家中の奴等を皆張り倒したかったぞ。チキショウ! と歯軋(はぎし)りして悔涙(くやしなみだ)にむせんだが、相手が狂人(きちがい)じゃ喧嘩にもならない。竹やの葬式はなんでも僕の家で簡単に出してやったらしいが、それだけでいいのか。それだけで万事が丸く治まったのか。うむ、残念ながらそうなのだ。いいか、ここをよく考えよう。この事実は我々に何を教えるのか。いいか、考えるのだぞ。僕もその時の休暇には夢中でこれを考えた。僕にとってあれ程緊張した休暇はなかった。毎日毎日未開の行路を盲目滅法(めくらめっぽう)に駈けずり廻って居るような気持だったな。花火の事件は其の頃に起ったのだ。

 

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 僕の家の近所に小さな寄席があったんだ。主として旅芸人の群なんかが此の小屋でやって居たが、その夏、安来節(やすぎぶし)の美声団とかいうものの一座がかかった時……丁度僕が晩めしを食って居たら、莫迦(ばか)に花火が上るんだ。ぽんぽんぽんと十発位、黄昏(たそがれ)の空で頼りなげに鳴って居た。此の安来節(やすぎぶし)、恐ろしく華々しい前触れをやるな、と思って居たが、ふと或る事を思い出して、あの、全身がサッと凍る気がした。だって君、其の日の昼に兄貴の看護婦が電話を掛けて居るのを僕が小耳にチラと挟んで居たのだ。「ハナビ……」ッてね。まだ判らんかい。君、花火は兄貴が上げらせたんだぜ。花火屋に頼んでね。なぜって、おい、竹やのたった一人の弟は安来節(やすぎぶし)太夫(たゆう)なんだもの。いや、其の美声団の中には竹やの弟が居たかどうか、それは判らんよ。或いは弟が居たのかも知れないねえ、兄貴はよく知って居たのだろうが。兄貴はそれから二月目だかに皮肉にも眠るような楽な往生を遂げちゃったんだ。……とにかくあの花火の儚い音を聞きながら、薄暗い病室にあって、独りニタニタ笑って居る凄艶(せいえん)狂人(きちがい)を、僕はその後長い間想像してさえ変な気がしてたねえ。……ああ、それだけの話さ。でも僕はあの時の花火の音を思い出すと何とも言えず不愉快になるのだ。なぜだか色々考えて見たが、始めは、兄貴の虫のよさ、つまり、人間一匹殺して置いて花火十発で、いかに狂人(きちがい)だとは言え功罪相殺したと思って居るらしい其の虫のよさ、それが嫌でこんなに不愉快になるのかと思って居たのだが、そうでは無かったのさ。やはり僕が、こんな……要するに有閑階級の人々の遊戯的なナンセンスを鳥渡(ちょっと)でもしみじみした気で眺めて居た、その僕自身のプチブル的なロマンチシズムに気附いて、堪らなく不愉快になるのだという事が此頃やっとわかって来たのだ。…………
 おや!
 おいッ。鳴ってるぞ花火が!
 ほらッ。ほらッ。すばらしく活気のある音だな。ほらッ。又鳴ったぞ!
 やあ、今迄あんなにひっそりしたのが急に。――ぞろぞろ皆広場へ行ってるぞ。(あり)みたいだね。ひどい騒ぎだ。おや、もう労働歌なんか怒鳴りやがってる奴があるぜ。さあ、大進軍だ。僕達も早く行こう。

 

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 太宰は、この掌編を発表した頃、青森市浜町の小料理屋「おもたか」や、その近くの大町二丁目の「中央亭」などで、小山初代(芸者名:紅子)との逢瀬を楽しむ生活を続けていました。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
太宰治『地図 初期作品集』(新潮文庫、2009年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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