記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】1月30日

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1月30日の太宰治

  1940年(昭和15年)1月30日。
 太宰治 30歳。

 一月三十日付発行の「国民新聞」に「このごろ(1)」を、一月三十一日付発行の同紙に「このごろ(2)」を、二月一日付発行の同紙に「このごろ(3)」をと、連載発表。

『このごろ』

 エッセイ『このごろ』は、1940年(昭和15年)1月30日発行の『國民新聞』第一七三〇九号から同年二月一日発行の『國民新聞』第一七三一一号までの第八面の「學藝(がくげい)」欄に、3回にわたって発表されました。発表後、太宰の刊本には収められませんでしたが、没後、近代文庫版『太宰治全集』第十六巻に初めて収録されました。

このごろ(一)

 南洋パラオ島の汽船会社に勤めている従兄があります。名前を云えばわかるかも知れませぬが、わざと書かない。この従兄は十年前に或る政治運動に献身して捕えられ、(ほとん)ど十年近く世の中から遮断せられ、このごろ出ることを許され、今は南洋パラオ島で懸命に働いているのであります。先日南洋から手紙が来て「東京の家にはお前の唯一人の叔母たる小生の母と、小生の妹と家内と三人で詫びく留守をしているから一度訪ねて行きなさい」とそれに書かれてありましたが、私はそれに返事して「僕にはとても行けない。僕は今まで色々の馬鹿のことをしているので、肉身とは当分、従来出来ないことになっているのだ、故郷の家とも音信さえ許されていない有様だし、また僕がのこのこ親戚のお宅へ顔を出したら故郷の母や兄はやがてそれを聞いてあの馬鹿がと恥かしい思いをするであろう、いい恥さらしだといって嘆くかも知れない、僕は肉身の誰とも顔を合せることが出来ないのだ、僕は叔母さんの所へ行きません」と書きました。
 折り返し、南洋から絵葉書が来て「おまえの手紙を読みました。おまえの業績に就いては親戚の者共、いずれも心配していた様である。けれども、過去のことは申すな。過去の事を申せば、小生ごとき天下に隠れも無いではないか。そういうことは気にかけないようにしましょう。是非いちど小生の東京の母を訪ねなさい。小生の母も病弱で、おまえの父上同様、長命は保証できません。おまえの故郷の方には、小生の家の方から別に何とも言うわけで無し、誰にも知れる気づかいは無いのだから、安心して一度たずねてやって下さい。母も、どんなに喜ぶか知れない。小生、このごろボオドレエルを読み返し、反省悔恨の強烈を学びつつあります」という言葉だったので、私も之以上、愚図愚図しているのは、かえって嫌味な卑下だと思い、叔母を訪ねることにしました。
 省線の四谷駅で降りて、薄暮(はくぼ)、叔母の家を捜し当て、殆ど二十年ぶりで叔母と対面することが出来ました。叔母はもう、いいお婆さんになっていました。従妹など、以前見たときは乳呑児(ちちのみご)であったのですが、もう、おとなになっていました。その夜は叔母から、いろいろ話を聞きました。帰途は、なんだか、やり切れない気持でありました。肉親というものは、どうして、こんなに悲しいものだろう。省線に乗ってからも、あれこれ思い、南洋の従兄の健闘を一心に祈っていました。

このごろ(二)

 Tという友人があります。この人は、いま北支に居ります。兵隊さんなのです。私とは未だ一度も逢ったことが無いのですが、五、六年まえから手紙の往復して居ります。五、六年まえにその人は小さい同人雑誌にいい小説を一篇発表しました。私はその小説に就いて或る雑誌に少し書きました。それから手紙の往復がはじまったのです。T君は、朝鮮の或る会社に勤めていたのです。一昨年、応召して、あちこち転戦して、小閑(しょうかん)を得る度毎に、戦争を題材にした小説を書いては、私のところに送って来ました。拝見してみると、いずれも、上出来では無いのです。T君ともあろうものが、こんな投げやりな文章では仕様がないと思いましたので、「実に下手だ。いい加減な文章だ」と馬鹿正直に、その都度私の感想を書いて送ったのであります。T君も、ちゃんと出来た人でありますから、私の罵言(ばげん)(かげ)の小さい誠実を察知してくれて「しばらく小説を書かず、ゆっくり心境を練るつもりだ」という手紙を寄こして、それから数回の激戦に参加なされた様子で、二月ほど経ってから、送って寄こした小説は、ぐんと張り切って居りましたので、私は早速、()る雑誌社にたのみ、掲載させてもらいました。その雑誌と、それから雑誌の新聞広告の切抜きとを戦地に送ってやりましたら、T君は「いや実に恥じいった。あんな中堅作家の作品と並べられて、はじめて僕の下手さ加減が、わかった。きっと僕が、戦地で働いている兵隊だから、そのハンデキャップもあって、掲載されたのだろうが、いや、実に恥ずかしい。僕は、H・Aという人の戦争の本を読んで、何これくらいならば僕だって書けると思っていたのだが、とんでも無いことであった。僕は、またしばらく小説から離れたい。実際、今は、穴あらばはいりたい気持です」と書いて寄こしました。私はT君に貧しい慰問袋(いもんぶくろ)を送りました。タオルや下帯の他に唐詩選、上下二巻をいれてやりました。
 唐詩選は、成功したようでした。T君は、各地を転戦しながら、此処(ここ)は李太白の酔っぱらったところ、此処は杜甫のいたところと唐詩選に照らし合せて、戦う心も豊かになり、さながら詩聖たちと共に且つ酔い且つ()く気持だと、書いて寄こしました。T君はいまにきっと、立派な小説を書けるようになるのではないか、と私は楽しく、同時にT君の武運長久を祈っていました。何かまた本を送ってよこして下さい、と戦地から頼んで来ましたので、私は新宿へ行き、華麗な裸婦のたくさんある泰西(たいせい)の画集を三冊買いました。この美しい画集も、戦地を少しでも明るく彩色してくれるにちがい無いと思い、勇んで家へ帰って来ましたところ、戦地からの絵葉書が一枚、机の上に載ってありました。T君からの、おたよりでした。「もう手紙を寄こさないで下さい。慰問袋も寄こさないで下さい。寄こしても、返送されるでしょう。私の宛名もまるで変るかも知れません。しばらく、何も送って寄こしてはいけません」と書いてあったので、私は実に不吉なものを感じて、ぎょっとしましたが、その葉書の隅に小さく「to see you 遠からず一緒に呑めます」と書かれてありました。T君万歳。ちかく凱旋(がいせん)するのです。

このごろ(三)

 Y君という友人があります。私も、とかく理屈っぽい男ですが、Y君ほどではありません。Y君は、実に議論の好きな男であります。先日かれは人力車に乗って、三鷹村の私の家へ議論しにやって来ました。夜明けの三時までさまざまの議論をいたしましたが、雌雄(しゆう)決せぬままに布団にぶったうれて寝てしまいました。(あく)る日、起きて、ふたりで顔を洗い井戸端へ出て、そこでもう芸術論がはじまり、一時間ちかく井戸端をぐるぐるめぐり歩いて最近の感想を延べ合いました。朝ごはんを食べて、家のちかくの井之頭公園へ散歩に出かけ、行く途々も、議論であります。
「それでは一たい」とY君は一段と声を張り上げ「君の最も、書きたいと思うものは、なんだね。君のパッションをどこに置いているのか。それから、さらに決定しよう」と詰め寄り、私は少し考えて、「それは、弱さだ」ドストと言いかけた時、突然、右手の生垣から赤犬が一匹わんと言って飛び出し、私は、あっと悲鳴を挙げて体をかわしましたがその犬は、執拗(しつよう)にも私にばかり()えつき、白い牙を剥きだしかかって来るので、私は今は見栄も外聞もなく、Y君の背後にひたと隠れて、
「だめだ、だめだ、これあいけねえ、わあ、いけねえ」などと意味不明の言語を発するばかりでありました。
 Y君は、持っていたステッキを振り上げて、悠然(ゆうぜん)とその犬を撃退してくれたのですが、私は一時、死ぬばかりでありました。
「なるほど、弱さ、かね」とY君に、笑われても、私は抗弁することもできず、かの赤犬の出現以来、もう、めっきり気が弱くなって、それからの議論は、ことごとく私の敗北になりました。何を言っても私も語調には勢いが無く、ちっともいいところが無くなりました。ねっから、その日は駄目でした。犬は、私は(あだ)であります。昨年の秋に、私が或る雑誌に犬のことを書いたら、二、三の知人から大いに面白かったと褒められて、その作品は、実に粗末なものでしたので、私は愈々(いよいよ)恥じて、それ以来、犬の話は努めて避けていました。いままた犬の話などを持ち出しては、調子に乗っていい気になっているようで、まるで見っともないのですが、私の家の小さい庭は日当りのよいせいか、毎日いろんな犬が集まって来て、たのみもせぬのに、きゃんきゃんごうごう、色んな形の格闘の稽古をして見せるので実に閉口しています。仕方が無いので縁側に出て、
「前田さん、静かにして下さい。西郷さんもお止しなさい。荒木さんも、うるさいね。みんな、あっちへ行って下さい。お菓子を、あげますから」と言って、せんべい一枚をヒュウと向うの畑地へ投げてやります。みんな競争して飛んで行きます。前田さん、西郷さん、荒木さん、それぞれ、その犬の飼い主の名前であります。みんな立派な邸宅を構えています。このごろ、たいてい、どの犬はどこのものだということが判って来ましたから、わざと飼い主の名でもって、私は犬どもを呼んでいます。犬は、それぞれ、その飼い主の気質を余すところなく暴露しているものでありますが、ご近所の悪口は言いますまい。ひょっとしたら、この新聞を読んでいる御家庭もあるかも知れませんから。
 このごろは、私もおとなしくしているから、故郷の家でも、少しずつ私を信用して来た様子で、うれしくてたまりません。きょうは、故郷の姉上から、お餅をこっそり送っていただきました。ことしは、きっと、いいことがあるでしょう。

【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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