記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月20日

f:id:shige97:20191205224501j:image

12月20日の太宰治

  1926年(大正15年)12月20日。
 太宰治 17歳。

 十二月二十日付で「蜃気楼」十一月十二月合併号を発行。「怪談」を津島修治の署名で発表した。

『怪談』

 今日は、太宰が県立青森中学校4年生の時に、「蜃気楼」十一月十二月合併号へ、津島修治の名前で発表した習作『怪談』を紹介します。

『怪談』

 私は小さい時から怪談が好きであった、色んな人から色んな怪談を聞いた、色んな書籍から色んな怪談を知った、一千の怪談を覚えて居るといっても()えて過言ではなかろう、世に怪談程、神秘的なものはあるまい、そして同時にこれ位厳粛なものもないであろう、青い蚊帳(かや)の外に灰色の女の幻影が表われた時、ほの暗い行燈(あんどん)の陰にやせこけたアンマが背中を円くして、チョコンと座って居た時、私はそれによって神の存在を知り得た位である。
 私の小さな時分にはよく怪談を知らせて()れた人は祖母であった、ボオーと燃えて居るラムプの光(まで)が神々しく見える時はこの怪談を聞いている時であった、コタツに入りながら、又或る時は祖母のヒザにだっこされながら夢を見て居るようにウットリして祖母の怪談を聞いて居たあの時分の私がうらやましい、心持ち(まゆ)をひそめ、声を低めてヒソヒソ怪談を語る祖母の顔の神々しさは私は今でもごく厳粛な気持で思い出すことが出来る。

 

f:id:shige97:20201011213201j:plain
■太宰の祖母・津島イシ 「金木の淀君」と呼ばれた太宰の祖母は、1946年(昭和21年)10月16日 に、90歳で長寿を全うした。

 

 今でもそうだが私は全くあの頃は怪談に(おぼ)れて居た、それで私は怪談を作ることを愛する、少し不思議なこと(いやむしろ平凡過ぎることかもしれぬ)でもすぐそれを怪談にしてしまう癖があるのである、私はそれをいい癖だと思って居る、あの神秘的な怪談に対して礼だと心得て居るからである、現在の科学者達は怪談か? と言って、ただそれを一笑に附してしまうのは少くとも怪談に対して礼を失していると思う。
 だから私は色々な怪談を知って居ると共に又色々な怪談に遭遇したのも事実である。
 ()ず私はごく最近私が経験した怪談「マントが化けた話」から物語ろうと思う。

  一夜のうちに老いぼれてしまったマントの話

 それは野分のひどい寒い日でした。
 ――ブルブル、うわっ寒い――
 ――ハッハッハックション、風邪をひいたよ、うわっ寒い――
 ――鳥肌が出てるヨ、家じゃ風呂を沸かしていればいいが、うわっ寒い――
 私達は皆ワイワイわめきながら玄関に突進です、放課は楽しいもの。
 ――わうっ――
 妙な悲鳴を上げたのは私でした。
 ――マントがないよオッ――
 私は鼻声でした。
 ――オレが知ってるよ――
 ――何? 知ってる? おしえて呉れよ――
 ――オレが質屋に預けて来たんだ――
 ――なあんだい――
 ――いや、ほんとだよ――
 ――うるさいナ――
 ――まあ、ゆっくり捜してやれよ――
 ――心配御無用――
 ――質屋に行って見たまえ、泰然と質屋の倉に陣を占めてるから――
 ――うるさいよ、なぐるぜ――
 ――おやおや怒ったネ、お気の毒ですネ――
 ――早く帰れよ、ろくな口をききあしない――
 ――お寒いことでしょうネ――
 ――まだ、君はそこに居たのかい? 早く帰れよ「早く帰らないとお母さんは心配します」(朗読口調で)――
 ――まあ、ゆっくり捜し給えナ、アバヨ――
 ――チェッ、なあんだい、あれア、いらないことばっかし――
 ――ところでマントだ、どこをまごまごしてるんだろう――
 私はこれ位、(しゃく)にさわったことはありませんでした、私はてっきり誰かが隠したのだと思ったのです、いたずらにも事を変えてマントを隠したりして、妙なことをする奴もあればあるものだ、しかもこんなひどい日に。
 非常に寒い日だったのです。
 おまけに風が強かったのです。
 まず、黒板のかげを、捜しました。
 ――ない――
 次にストーヴの中。
 ――ない――
 机の中。
 ――ない――
 最後に教室の壁をぐるりと見廻しました。
 ――いよいよない――
 私はほとんど泣きそうになりました、隠したのではない、して見ると誰かまちが((ママ))たのだナ、ウーンと(クラス)敢粗忽者(そこつもの)は誰だろう、アイツ――アイツだ、アイツだ、あんな粗忽者はない、火星と月とを間違う程の粗忽者なんだからな、まあ、なんて失敬な奴だろう。
 明日学校に来て見ろ、首と胴とは離れ離れだ、憎い奴はアイツだ。
 私はプンプン怒って外に飛び出しました。
 ――寒い――
 ――なあに、クソッ――
 私は散弾のようなすばしこさで、走り出しました。
 ――オイ、なぜマントを間違((ママ))たりなんかしたんだい――
 ――ななななワワワワ……………
 ――なんとか言えよ――
 ――なにを言ってんだい――
 ――マントだよ、マント――
 ――マントがどうした――
 ――どうしたも、ないもんだよ――
 ――さっぱりわからん――
 そこで私はアイツにそれを言ったら、アイツは迷わくそうな顔をして、いいや私ではないと言ったのです、そして、アイツのマントをワザワザ私のところに持って来て長い説明をして呉れました。
 ――あいあいわかったよ、君ではなかったんだよ、失敬したネエ――
 ――いや、一向かまわんよ、でも困ったね、アア君、先生に頼んで見ろよ、僕もネ、こないだ兵隊靴をなくした時先生に言ったらさっそく捜して呉れたよ――
 ――して見つかったかい――
 ――いいや――
 ――なアーんだい――
 ――でも、先生が親切に一生懸命に捜して呉れるので有難くってネ、つい感激しちまって兵隊靴なんかどうでもいいとさえ思うようになるよ――
 ――そうかネ、じゃ僕も先生に言って見よう、感激して見たいんだ――
 放課後に私は先生にお願いしました。
 ――困ったもんだナ――
 先生は今お宅へお帰りになろうとして居らっしゃった所だったんですが、私の話に驚いて、持って居た風呂敷包をテーブルに置きなおして、
 ――誰か間違((ママ))たナ――
 ――エエ、私もそうだと思うんですが――
 ――よし、捜してやろう――
 ――ハア――
 ――ついておいで――
 ――ハア――
 先生は体操の先生です。
 歩くのにも歩調がそろって居るのです。
 そう、そう、勇往邁進(まいしん)です。
 手の指をすっかり、のばして五本そろえてオイチニオイチニです。
 今日は昨日にまさる寒さです。私は丸い背を一層まるくして震えながら先生の後にくっついて歩き出しました。
 学校には誰ものこって居ませんでした。
 明日から試験ですから。
 ガランドウの学校にはフンゾリ返った体操の先生と丸くなった私と、それから無味無臭の空気がウヨウヨうごめいて居るばかりでした。
 ――オイチニ、オイチニ、君はいつなくしたのかネーー
 ――エートきのうです――
 ――困ったネ――
 ――ハア――
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 ――君は何んと言うんだい――
 ――名ですか――
 ――ウン――
 ――津島………――
 ――アア津島………修治か………そうだネ――
 ――エエ――
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 ――アアあれが君のじゃないのかネ――
 ――イイエ(冗談じゃない、私のはもっと長いんですよ、あれは二尺もありますまい、一年生のチッチャイのが忘れて行ったのでしょう)――
 ――ソウかネ――
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 ――アア、あれだ、あれだ、これだろう、君のは――
 ――イイエ(冗談じゃない、私のはあんなボロボロじゃありませんよ、キット小使が忘れて行ったんですよ、私のは二十八円)――
 ――ソウかネ――
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 二人は長い廊下を歩いて居るのです。
 廊下の突きあたりは二階への階段です、先生はヒョイと機械のような正確さで足を階段に載せました。
 ――君のマント掛けは二階だったネ――
 ――エエ――
 ――じゃあ二階に行こうネ――
 秋の暮れ(やす)い日はもう、空気を鼠色(ねずみいろ)に染めなして居ました。
 暗くそして、静かです、コトリともしないのです、息づまるようだったのです。
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 ――あそこだったネ、君等のマント掛けは――
 ――エエ――
 オイチニ、オイチニ。
 オイチニ、オイチニ。
 ――アッ、先生あります、御覧ネ、ちあんと私の所に………――
 私はバタバタ走り出しました、有ったぞ、有ったぞ、私は((ママ))頂天になってマントを手に取りました。
 ――アッ、古物だ、そして短い、これここがこんなにボロボロになって――
 確かに私の所にかけてあるのでした、だが私のとはちがって居るのです、薄暗い光に照して見ればそのヨウカン色がマザマザ分るようにふるいのだったのです。
 私はその時ゾッとした感にうたれたのです、私のマントが一夜のうちに老いぼれてしまったのだと思ったからです。
 ――サテ、サテ、お前、随分老いぼれたネ、縮んじまったジャないか――
 私はそう思いながら、なつかしいような、恐ろしいような、変な気持でジートもう一ぺん老いぼれてしまった私のマントを見つめました。

  魔 の 池

 秋の空は高かったのです。
 私は秋の道をブラリブラリ散歩して居ます。
 え? 学校に行く途中です、いいえやっぱり散歩してるのです。
 山は赤い、稲田は切り株の碁石だらけです、大坊主小坊主のイナニオがのどかです、カラリと晴れた空はホントにスガスガしいのです、(四方の景色、秋めき(そうろう)ところ)私は故郷の母にやる手紙の文句を考えて見たりしました。
 天はいよいよ高いのです。
 はてしがないのです。
 ハイヤーハイヤー
 私はこんなことをつぶやいた時です。
 バチャーン――
 ウワッ――
 全く私は驚いてしましました。こわごわ後をふり返って見たら、可愛そうにも私のべんとう箱がチイチャナ水溜(みずたま)りに落っこちたのでした。

 昼になりました。
 べんとう。
 べんとう。
 ――アッ、そうそう私のべんとうは、いけないんだ――
 私はホントに悲観してしまいました、そして私はこう考えて見ました。
 (1)、なぜ落ちた、べんとう箱は私のものであったのだろう、他の人のだって一向さしつかえは、ないじゃないか。
 (2)、なぜ私の進路に水溜りがあったのだろう、あんな広い街道だ、いちいち私の歩いて来る所にある必要は認められないじゃないか。
 (3)、なぜ水溜りに弁当が落っこちたのだろう、弁当箱は小さいものだ、水たまりだって小さいものだ、その小さいものと、小さいものが合致したものだ、弁当箱はなぜあの水溜りに落ちねばならなかったのだろう、他の場所にだって落ちる所がたくさんあるじゃないか。
 私はこの三ケ条を、考えてからゾッとしました。

 私は何もかも忘れて又ブラリブラリ散歩しながら学校から帰って来ました。
 やはり空は高かったのです。
 そして青かったのです。
 秋の日和(ひより)は、ポカポカして居ます。
 山はいよいよハッキリです。
(どうです、ことしは「きのこ」はたくさんとれましたかい)私は田舎の兄にやる手紙の文句を考えたりして見ました。
 パチャン――
 ウワッ――
 全く私は驚いてしまいました。
 ごらんなさい。私は水溜りに落っこちてしまったんです。
 ――ヒャーッ。
 これは、この水溜りは、弁当の落っこちた水溜りと少しも(ちが)わない………いや同じです。
 グルッ、グルッ、グルッ、私の頭で(うずま)いたのは、さっきの三ケ条よりも、もっともっと凄い三ケ条であったのでした。
 ――恐ろしいことだ、魔の池だ――
 私は真蒼(まっさお)になって、こわごわその小さな水溜りをのぞき込みました。
 水溜りには秋の青い空がうつって、最限なく深い深い暗青色を呈して居ました。
 ――ヌシが住んでるかもしれない――
 私はそう思いました。

 

 『怪談』の初出時、末尾には「(以下次回)」と書かれていました。次回掲載予定だった『怪談』の続稿は「蜃気楼」に掲載されることはありませんでしたが、この原稿は、1929年(昭和4年)5月13日付発行の「弘高新聞」第六号に発表され、処女短篇集晩年に収録のにも流用された哀蚊(あわれが)ではないかと思われます。

f:id:shige97:20200111190638j:image
■「蜃気楼」創刊一周年記念写真 後列右から平山四十三、太宰、中村貞次郎、葛原四津男。前列右から金沢成蔵、工藤亀久造、津島礼治、葛西信造、桜田雅美。

 【了】

********************
【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
太宰治『地図 初期作品集』(新潮文庫、2009年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
三島由紀夫『大陽と鉄・私の遍歴時代』(中公文庫、2020年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】