記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月5日

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5月5日の太宰治

  1939年(昭和14年)5月5日。
 太宰治 29歳。

 八十八夜の頃、美知子とともに信州に二泊の旅に出た。

太宰と美知子の夫婦旅行

 1939年(昭和14年)、この年の1月8日に、太宰は石原美知子と結婚し、山梨県甲府市御崎町に住んでいました。2人の新婚生活の様子は、1月7日、8日の記事で紹介しています。

 太宰と美知子が信州の旅に出たという「八十八夜」は、雑節のひとつで、立春を起算日(1日目)として、88日目(立春の87日後)にあたります。平年なら5月2日、閏年なら5月1日ですが、数10年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もあるそうです。太宰と美知子が旅に出たのは、5月3日でした。
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■太宰と美知子 1940年(昭和15年)8月、三鷹の自宅前で。

 5月3日、太宰は美知子とともに信州に二泊の旅に出て、上諏訪布半(ぬのはん)で一泊します。
 布半は、現在も長野県諏訪市で営業する老舗ホテルで、初代・藤原半助が、1848年(嘉永元年)に創業。現在の場所で営業をはじめたのは1920年(大正9年)。商業の中心部だった諏訪中町で「郷宿の布屋」を営んでいたのが前身でした。「郷宿」とは、一般の人の他に藩内の村々と契約して、その村役が藩の役所に出向いてくれる時の指定宿で、役所に提出する文章その他の代書きをした宿のことです。
 布半という名前は、初代・藤原半助が屋号「布屋」という呉服商を営み、布屋半助と呼ばれていたため、これが短くなって「布半ぬのはん」と呼ばれるようになったことに由来するそうです。
 布半は、島木赤彦や斎藤茂吉など、アララギ派歌人たちの常宿でもありました。太宰だけではなく、島崎藤村松本清張なども宿泊しています。
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諏訪湖から撮影した昭和の布半

 太宰は、布半に泊まった日の夜、乱酔して、テーブルクロスを汚してしまい、弁償させられたといいます。

 翌日は、蓼科(たてしな)温泉へ向かいました。
 蓼科温泉のある蓼科高原は、信州北八ヶ岳(ふもと)にあり、古くから温泉が湧き出て、戦国時代に、武田信玄が兵達を癒すために利用したと伝えられているそうです。
 太宰は、「宿に着いてから出発するまで、たゞ酒、酒で、風景にも、自然にもてんで、気がひかれないよう」だったと言います。

 それでは、太宰と一緒に旅行した、美知子の『回想の太宰治から、この時の様子を引用して紹介します。

(前略)八十八夜のころ信州に二泊の旅に出た。太宰は八十八夜、七夕、小正月などの昔からの行事に郷愁をもっていた。
 上諏訪に下車して、一番よい宿に案内するように頼んだタクシーが横付けされたのは、布半という高級旅館で、湖を見下ろす二階のよい座敷に通された。「布半楼上に開く」と長塚節(ながつかたかし)の諏訪歌会の歌の詞書(ことばがき)に出ていることを思い出して、私は心中で懐かしんだ。
 太宰はこの夜、思いきりハメをはずしたい気持であったらしく、ひっきりなしに帳場へ電話して酒をとり寄せて大酔し、芸のできる芸者を呼ぼうといって頼んだが、はいってきたのは、清丸という若い無芸の女性で、こちらがお話相手をつとめるような始末であった。彼女の方も得体の知れぬ夫婦者の客には当惑したことだろう。彼女は客が小説家ときいて、横溝正史先生が当地に住んでいると言った。
 太宰はとうとう乱酔して、テーブルクロスを汚したりして宿の人の手前はずかしかった。飲みつけない酒を飲んだわけでもないのに、諏訪での一夜はどういう心理だったのだろうか。「八十八夜」を読むと、いくらかわかるようにも思う。翌日蓼科(たてしな)に向かった。ここは私にとっては曾遊(そうゆう)の地で、前にきたときは蓼科山に登り明治温泉から増富鉱泉へ歩いて、左千夫を偲び、高原の秋を満喫したのだが、こんどは太宰を散歩に誘っても蛇がこわいといって、着いたきり宿に籠って酒、酒である。これでは蓼科に来た甲斐がない。この人にとって「自然」あるいは「風景」は、何なのだろう。おのれの心象風景の中にのみ生きているのだろうか――私は盲目の人と連れ立って旅しているような寂しさを感じた。


 ●1月15日にも「太宰と旅行」と題して、「三島から西には旅行することなしに終ってしまった」太宰について紹介しています。

  【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「布半ぬのはん 公式HP」(http://www.nunohan.co.jp/index.html
・HP「信州蓼科温泉郷-蓼科温泉旅館組合(公式サイト)」(https://tatesina.com/
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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