記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月11日

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5月11日の太宰治

  1948年(昭和23年)5月11日。
 太宰治 38歳。

 五月九、十日頃、「人間失格」の「あとがき」を執筆し、「人間失格」全部二百六枚を脱稿した。
 五月十二日、小雨。石井立の迎えを得て、帰京。

太宰、大宮を後にする

 太宰が人間失格執筆のために埼玉県大宮市に滞在したのは、1948年(昭和23年)4月29日から5月12日まで。太宰が入水するのは、同年の6月13日未明なので、亡くなる約1ヶ月前に大宮を後にした、ということになります。

 太宰は、滞在をはじめた翌月の5月9日〜10日頃には人間失格のあとがきを執筆し終え、人間失格全206枚を脱稿。2、3日置いて、5月12日に大宮を後にしました。
 まずは、太宰が三鷹に戻った5月12日の、富栄の日記を引用してみます。

五月十二日

 小雨、石井さんのお迎えを得て帰宅。千草へ立ち寄り、一休み。おふとりになって、そしてお声も御元気そうにおなりになって、うれしい。このままの調子で夏を越し、秋を迎えて、今年も無事に過ごしていただきたいものです。
 熱海の吉田様、加藤郁子さんより御便りあり。

 「石井さん」とは、筑摩書房編集部員の石井立人間失格は、筑摩書房から出版されました。

 太宰は、大宮で小野沢清澄方に滞在していましたが、人間失格の執筆を終え、

日ごろの無口にも似ず口数多く、
 「グッドバイの続きはぜひここでかきたいから、部屋を開けておいてくださいね」
 と懇切なあいさつをして帰っていった。

といいます。
 グッド・バイは、太宰の絶筆。朝日新聞に連載される予定だったグッド・バイを大宮で執筆しようとしていた太宰。ここ大宮の地が気に入っていた、ということでしょう。

 小野沢方で、太宰の部屋に食事を運んでいたのは、小野沢の姪・藤縄信子さん(当時18歳)。空襲で東京・深川の家を焼かれ、妹と2人で叔父の小野沢宅に身を寄せていました。

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■藤縄信子さん

 太宰に「ノブちゃん」と呼ばれていた信子さんは、大宮滞在時の太宰の様子を、次のように回想しています。

・お世話といっても、運んで、下げるだけ。
・お酒を呑みながら、ご飯を食べて、おしんこで〆だった。
・作品と本人が結びつかず、朗らかで優しい。食事も「美味しいですよ」と仰ってらした。
・山崎さんは、太宰の面倒を感心するくらいによく見ていた。太宰の奥さんだと思っていた。
・山崎さんは優しい人で、何でも太宰の言うことを聞き、尽くしていた。結婚したら、こんなに尽くさなきゃいけないの?と思った。
・午前中に執筆をして、お昼を食べたら、氷川参道をほぼ毎日お散歩。太宰は、散歩を楽しみにしていた。故郷を思い出していたのではないか。

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■氷川参道 2019年11月、著者撮影。

・大宮駅から真っすぐ来て、中山道にぶつかった所に闇市が。買わないけれど、見るのは好きだった。
・太宰は、晩酌をしているときに、「ノブちゃん、どんな人のお嫁さんになりたいの?」と尋ねてきて、「作家のお嫁さんになっちゃダメだよ。苦労するからね」と話した。
・太宰は、穏やかで優しい人だった。みんなが思っているような人じゃなくて、普通のおじさんだった。
・方言は無く、優しい話し方だった。
『人間失格』第三の手記 に登場する「タバコ屋の娘」ヨシ子のモデルは、信子さん。
・来客は誰も入れるなと言われていた。
・普通に話して、笑いながら「また来るからね」と言っていた。
・太宰の失踪中、太宰を捜して、新聞社の取材も大宮に多数来ていた。
・「最後は富栄さんで良かった。」奥さんは、太宰にとって、先生のような存在だったのでは。太宰は、ほわんと優しい人の方が好きだったのかもしれない。

 この回想は、2020年1月18日~3月8日に「さいたま文学館」で開催された太宰治と埼玉の文豪展」において、記念講演会として「太宰が住んだ大宮~名作『人間失格』を生んだ街~」のタイトルで2月1日に行われた、「太宰が住んだ大宮」ホームページの管理人・玉手洋一さんの講演内で上映されたインタビューを、当時のメモを基に、著者が箇条書きで再構成したものです。インタビュー自体は、2020年1月12日に行われたそうです。

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 このインタビューの中では、太宰が大宮を去る時の様子を、

太宰が三鷹に帰る時、二重廻しのマントを羽織って、嬉しそうに、笑顔で手を振って帰った。

と回想していました。

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■二重廻しのマントを羽織った太宰 三鷹の踏切にて。撮影:田村茂


●大宮での太宰については、2019年10月19日に、HP「太宰が住んだ大宮」(管理人:玉手洋一さん)主催で開催された「太宰が住んだ大宮探索ツアー2019 秋」の参加ルポを書いています。太宰ゆかりの地について詳しく紹介していますので、ぜひ併せてご覧下さい!

 【了】

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【参考文献】
・「埼玉文化月報」(1958年10月20日)
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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