記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月30日

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12月30日の太宰治

  1947年(昭和22年)12月30日。
 太宰治 38歳。

 十二月三十日に書かれた、山崎富栄の日記。

山崎富栄「女一人」

 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月30日に書いた日記を紹介します。
 太宰と富栄が同年3月27日に初めて出逢って、約9ヶ月。太宰と富栄が玉川上水で心中するまで、約6ヶ月。富栄、最後の年の暮れに書いた日記です。

 十二月三十日

 キントンを、
「ええ、その位」と言って計ってもらったら七十円。オドロク。

 島木健作――女一人――
 小説家はつねに美しく真実なものに心惹かれ、そうしたものをあらゆる世界にたずね求めている。
 世には醜悪なものを底の底からあばいて見せることを仕事にしているかに見えるような作家もある。しかし彼等は、実は世の最も美しいものを強く生かしたいがためにそうであるに過ぎないのだ。

 哀れなもの、みじめなもの、悲しいもの、弱いものが、ただそうであるというそれだけの理由で、私の作家的欲望を刺激するわけでない。そういう哀れさや、みじめさのなかに見い出される美しさや真実が、私にはこよないものに思われるからだ。負けないでそこから伸びてゆく力を見ることはなんという感動であろう。

 女が一人で生きていかねばならぬということは、その生活様式のいかんにかかわらず、決して普通の意味で幸福といわれるべきものではない。物質的に恵まれ、はた眼には幸福であるようにみえても、その幸福は世間一般に言われるものとは異なった性質であり、ことにその本人自身の内面に立ち入ってみたならば、(およ)そ満ち足りた豊かな状態からは遠く、寒峻なものがあるだろう。
 社会は、この最も弱いものを同情するよりは、しばしば一種の白眼(はくがん)()ってみる。
 世間は決して素直に、ただ感心しようとはしない。
 ただなんとなくさげすんでみるだけである。
 しかしこの白眼やさげすみに傲然(ごうぜん)と対していられるのだったら、見るものの感じも違ってくる。
 自分でも女一人から脱け出そうとしていじらしいまでに焦燥(しょうそう)している姿に、そうしてまた女一人の生活の空虚さと戦っているうちに、彼女自身の人間が(そこな)われ、傷を負うていくところにいたましさはある。
 今日の社会は、このようないたましい存在を益々ふやしていくばかりである。

 女一人の生活者のなかには、周囲の力にジリジリと()されて、女一人を強いられているものばかりではなく、求めるものが強く正しくて、今日の社会での女の真の生活というものを強く求めて他と妥協できなくて、遂に女一人でいる人も少なくはない。
 性格のどこかにひずみができている。
 知的なもの、抽象的なものへの愛に酔うというようなことのできるものは少ない。

 女一人は、孤独な生活者は、愛の対象を手ぢかには持たぬ。いつでも欲するときにとらえて抱擁(ほうよう)し得る形あるものとしては持たぬ。しかし孤独なものは愛し得ないか。いや孤独なものこそ最も強く深く愛し得るだろう。ただ彼女等が孤独なままに深い愛の生活を営み得るためには、彼女等の愛の対象を求める領域は、普通のにぎやかな生活者のそれよりも高められ、広げられなければならぬ。女一人の生活のあるものは、それを目がけての不断の闘いなのである。

 昨日の生活は今日の生活のなかに生きており、明日の生活もまた今日の生活のなかに(はら)まれている。生活の基点はつねに今日にある。

 振り返ってみていつの日の生活をとってみても、それは今日の生活のためであったという自覚があり、無駄ではなかったと言い得るのでなければならないであろう。
「女一人」は女一人であることをいとおしみ、愛さねばならぬ。    十二月三十日

 

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■山崎富栄

 【了】

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【参考文献】
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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