1月7日の太宰治。
1939年(昭和14年)1月7日。
太宰治 29歳。
挙式の前日、杉並区清水町二十四番地の井伏鱒二宅に行ったところ、中畑慶吉の配慮で、挙式用の黒羽二重の紋服一重ね、袴、絹の縞の着物一重ねが届けられていて、感激したという。
太宰の甲府転居
この日は、太宰と石原美知子の結婚前夜でした。太宰は小山初代を落籍した際、婚姻届は出していなかったため、戸籍上は最初の結婚ということになります。
さらにこの前日1月6日、太宰は甲府に転居しています。
これは、美知子による「御崎町新居居間見取り図」です。
それでは、転居当日の様子を、おなじみ山内祥史『太宰治の年譜』から引用してみます。
風の強い日に、甲府市御崎町五十六番地の借家に移転した。義母くらが見付けてくれた家だった。新居は、「上府中と呼ばれてゐる甲府の山の手のはづれの、静かな町」にあって、「御崎町の通りから小路を南に下った一番奥」であった。建築請負業の
龝山 浅次郎が、その地所内に自ら建築した二軒の貸家の中の南の方の一棟で、地所全体が黒い板塀で囲まれ、更に一棟毎に塀と小庭が設けられていた。八畳、二畳、一畳三間の家で、「八畳の西側は床の間と押入で、東側は全部ガラス窓、隅に炉が切ってある。三畳は障子で、二畳の茶の間と、一畳の取次とにしきってあった。ぬれ縁が窓の下と小庭に面した南側についていた。家の前には庚申バラなどの植込があり、奥は桑畑で、しおり戸や葡萄棚がしつらえてあっ」て、「通りから引込んで居て静か」な「隠居のやうな感じ」であったという。水門町迄約十分程であった。家賃六円五十銭。
風呂好きの太宰には嬉しい、家から歩いてすぐのところに「喜久乃湯」があったり、道路を挟んで斜め向かいに「
上の2枚は、出張中に現地を撮影した写真です(あいにくの夜に雨ですが…)。
「太宰治
「喜久乃湯」は現在も営業中(10:00~21:30、水曜日・毎月第三木曜日定休。基本料金400円)。1926年(昭和元年)創業で、源泉掛け流し。カランもシャワーも全て源泉のお湯を使用しているそうです。
【了】
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【参考文献】
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社学芸文庫、2008年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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