記憶の宮殿

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【日めくり太宰治】10月8日

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10月8日の太宰治

  1932年(昭和7年)10月8日。
 太宰治 23歳。

 十月六日、日本共産党熱海会議の準備資金獲得のために、大森町の川崎第百銀行大森支店を襲い、現金三万一千二百三十四円を強奪する、俗称「大森ギャング事件」が発生した。

日本初の銀行強盗、大森ギャング事件

 1932年(昭和7年)10月6日、日本初の銀行強盗といわれる赤色(せきしょく)ギャング事件」(俗称:大森ギャング事件)が発生しました。日本国内で白昼に行われて成功した銀行強盗としては初で、当時のアメリカ映画に登場するギャングそのままのような犯罪だったため、「ギャング事件」と呼ばれました。

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 午後4時頃、東京市大森区にあった川崎第百銀行大森支店に拳銃を持った覆面の実行犯3人組(西代義治(24歳)、中村経一(24歳)、立岡正秋(21歳))は、タクシーを装った日本共産党の車で銀行の手前まで行き、銀行の裏口に回って校内に進入。深海熊次支店長に拳銃を突きつけ、中村が床に向けて2度発砲しました。その後、中にいた行員たちを応接室の前に並ばせ、その間に現金31,234円(現在の貨幣価値に換算すると、約6,700~6,800万円)をボストンバックに詰めました。
 最初に西代が裏口から出ると、細い路地に巡査がちょうど入って来るところだったため、拳銃で脅して無抵抗にさせてから、3人は来た車に乗って逃走。大森駅近くに、別の党の車が待機しており、西代は現金の入ったボストンバックをその車に移し、その後、大森駅から電車に乗って逃走しました。
 2台目の車には、正装した大塚有章(35歳)と河上芳子河上肇の次女。大塚のハウスキーパー)、井上礼子京都市長・井上密の次女。西代の恋人)が乗車。大塚はモーニング姿で、河上は花嫁衣裳、井上はその介添え役を装っていました。
 周辺には非常線が張られており、車は2度検問に遭いますが、全く疑われることなく、鈴ヶ森方面から第一京浜に入り、新橋のアジト(新橋駅前の堤第一ビル5階)に現金を運ぶことに成功しました。

 この銀行強盗計画の首謀者は、のちに建築家となる今泉善一。同月に熱海で開催される共産党の全国代表者会議の準備資金獲得が目的でした。しかし、「スパイМ」の暗躍により、この熱海会議で日本共産党は壊滅します。この経緯については、2月18日の記事で紹介しています。

  当時、日本共産党家屋資金局の中央部にいた「尾崎」こと渡辺惣助(旧「猟騎兵」同人)との関係から、太宰宅が「大森ギャング事件」の際に利用されたともいわれています。太宰は前月、芝区白金三光町に引越ししたばかりでした。
 渡辺は、「私もそれに関連ありとして過酷な取調べを受けた」そうですが、大森ギャング事件には直接関係してはおらず、具体的に企画に参与したことはない、と話したそうです。

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 大森ギャング事件の実行犯である「斎藤」こと西代義治、「井上」こと中村経一は、事件の4日後、芝区芝公園21号地ノ1で逮捕されます。この場所から太宰の住居が近かったことから、太宰の事件への関与が疑われたものと思われます。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「特高のスパイ“M”」(馬込文学マラソン
・HP「日本貨幣価値計算機
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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