記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】11月20日

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11月20日の太宰治

  1946年(昭和21年)11月20日。
 太宰治 37歳。

 牛込区矢来町七十一番地の新潮社を訪れ、「新潮」編集顧問の河盛好蔵(かわもりよしぞう)、「新潮」編集長斎藤十一(さいとうじゅういち)、出版部長の佐藤哲夫野原一夫(のはらかずお)などと、神楽坂の焼跡の鰻屋で酒盃を傾け、「流行の進歩的文化人を罵倒し、世相を慨嘆して、軒昂(けんこう)だった」という。

野原一夫(のはらかずお)三鷹通いのはじまり

 1940年(昭和21年)9月上旬、復員後に新潮社に入社し、出版部に配属された野原一夫(のはらかずお)は、「新潮」編集長・斎藤十一(さいとうじゅういち)の「好きな作家は誰か」という問いがきっかけで、太宰に原稿執筆の依頼をしますが、太宰は故郷の青森県金木町に疎開中でした。
 太宰と2、3度手紙の往復があった後、野原は太宰から「十一月十四日には東京に帰り着くだろう」という連絡を受け取ります。

 野原は、早速、太宰が東京に着くという翌日11月15日の朝、長篇執筆依頼のために三鷹の太宰を訪れます。
 今日は、野原が太宰に長篇執筆を依頼してから、太宰がその長篇小説の連載と刊行を新潮社で確約するまでを、野原の回想 太宰治から引用して紹介します。

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三鷹の若松屋 左から太宰、女将、新潮社の野原一夫と野平健一。撮影:伊馬春部

 十五日の朝、社に寄らず、三鷹に直行した。駅前の町並みも、小川も、雑木林も、畑のひろがりも、三年前とすこしも変っていないように思われた。路地を入って太宰さんの家の前に立ったときは、まだ九時半をすこしまわった頃だった。早すぎたかなと思ったが、ためらわず玄関の格子戸をあけた。

 

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三鷹の家の玄関

 

 詰襟の服を着た毬栗頭(いがぐりあたま)のひとが顔をのぞかせた。津軽からきたお手伝いのひとかと思ったが、私は来意を告げた。津軽疎開中に三鷹の家の留守番をしていた小山清さんと知ったのは、あとのことである。
 なかから太宰さんの声がした。
「あがりたまえ。しかし、早いねえ」
 太宰さんは黒いラシャ地の兵隊服のようなものを着て、所在なげにあぐらをかいていた。部屋のなかは、まだ荷物があちこちに置かれたままになっていた。
「ゆうべおそく帰り着いたんでね、まだこのとおりの乱雑ささ。汽車がめちゃくちゃに混んでね。いや、ひでえめに会った。からだじゅうを丸太棒で叩かれたみたいだ。」
 そして太宰さんは、実際に両手で肩や胸を叩いてみせた。それから、
「しばらく。元気かね。色が黒くなったようだね。」
 と私の顔をのぞきこんで、微笑した。
「はあ。」
 と答えたまま、私はしばらく言葉が出なかった。あたたかい、やわらかいものに包まれたような、なにかうっとりした気分に私はなっていた。
「新潮社とは、いいところに入ったね。大いによかった。老舗には、どこかいいところがあるものです。『新潮』の連載は書く。書きたいものがあるんだ。いや、これは、大傑作になる。疑ってはいけない。すごい傑作になるんだ。」
 笑いながらそう言って、右の手をひらいてそれをすかし見るような恰好をした。この手で傑作を、という心組みだったのかもしれない。
 奥さんがお茶をもってこられ、「片付いておりませんので、たいへんとり散らかしておりまして。」と挨拶された。長居は失礼と思い、近いうちに新潮社に来てもらうようお願いして、私はおいとました。
 三鷹駅の畑の中の一本道を歩きながら、突然、まったく唐突に、ああ、戦争は終ったんだなあという思いが、こみ上げてきた。私はすこし(なみだ)ぐんだ。

 

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三鷹、中央通りと品川用水(現在の、さくら通り)との交差点 1947年(昭和22年)頃。

 

 二十日の夕刻、太宰さんは新潮社に来てくれた。セーターにグレイの背広を着て、兵隊靴をはいていた。編集顧問の河盛好蔵氏、『新潮』編集長の斎藤十一氏、出版部長の佐藤哲夫氏が同席して、『新潮』への小説連載と新潮社からの単行本刊行が正式に依頼された。

 

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株式会社新潮社 1896年(明治29年)設立。東京都新宿区矢来町71。

 

 旧知の河盛さんに久しぶりに会って、太宰さんは嬉しそうだった。
「傑作を書きます。大傑作を書きます。小説の大体の構想も出来ています。日本の『桜の園』を書くつもりです。没落階級の悲劇です。もう題名は決めてある。『斜陽』。斜めの陽。『斜陽』です。どうです。いい題名でしょう。」
 意気込んだ口調でいっきに喋った。
 席を移して、神楽坂の焼跡に新築されたうなぎ屋に太宰さんをお連れした。酒がまわるにつれ太宰さんはいよいよ意気さかんだった。
 ジャーナリズムの軽佻浮薄(けいちょうふはく)には呆れ果てた。きのうまで日の丸を振っていたと思ったら、きょうはもう赤旗だ。冗談かと思ったら、これが大真面目なのだからオドロくね。進歩的文化人とかいう輩は、あれは何ですか。そう、そう、いつかお手紙いただいて、文化と書いて、それにハニカミとルビを振ったらと河盛さん言ってらっしゃったが、大賛成。ハニカミ、含羞。これを持っていない人間を俺は信用しないね。あの文化人どもには、ハニカミがまるでないじゃないか。戦争犯罪人だなんて大騒ぎしてるけど、ナンセンス。我々はみんな日本に味方したんです。戦争に協力したんです。負けると分っていて、いや負けると分っていたから協力したんです。見殺しにはできねえ。河盛さん、あのジッドの文章、あれはおもしろかったですね。
「そう、あれはおもしろかった。」
 と河盛さんは大笑いして、
「『世界文学』の創刊号に載ってるんですけどね、コンゴー地方の土人の寓話なんですよ。大きな河を舟で渡ろうとして、その舟には人がいっぱい乗っているんだな。超満員でね、そのため舟が浅瀬に乗り上げましてね、さて誰かをおろさなくちゃならない。太った商人とか悪い金貸しとかバクチ打ちとか、憎まれ者がはじめにおろされましてね、それでも舟は動かない。乗客も次々とおりましてね、それでもなかなか動かないんだけど、舟はだんだん軽くなってきて、針金のように痩せた一人の宣教師がおりた途端、舟がすうっと浮き上がったんですね。すると土人たちが大声で叫ぶんだな。『あいつだ! あいつが重りのぬしだ、やっつけろ!』」
「いや、あの話はおもしろかった。」
 と太宰さんは腹をかかえて笑い、なかなか笑いやまなかった。
 河盛さんが、『新潮』の十二月号に貰った「親友交歓」のお礼を言い、その出来映えをほめると、太宰さんは嬉しそうな顔をして、肩肘いからせた小説が大流行のようだから、それでコントふうのコメディを書いてみたんです。それにしても、巧い短篇小説を書ける作家がこの頃すくなくなったように思う。サービス精神が不足しているからではないかしら。いい材料を選んで、丹念に料理して、味付けに心を配って、その心づくしが足りないのだと、ニ、三の作家の悪口を言い、それから井伏さんの小説をほめた。井伏鱒二氏の愛読者でまた親交もある河盛さんと、広島県疎開中の井伏さんの消息などについてひとしきり話し合い、それから、一転、小林秀雄論。小林というひとは、おいしさの分らないひとじゃないのかねえ、河盛さんのほうがずっと読み巧者です。
 河盛さんは目をしばたたいた。
 一年半の津軽疎開から帰って、久しぶりに東京の空気に触れ、河盛さんのようないい聴き手を得て、太宰さんの舌はますます滑らかになった。お酒も、ずいぶんのんだ。いかにも楽しげだった。
 傑作を書きます。「斜陽」。いい題名でしょう。日本の「桜の園」を書きます。「桜の園」、あれはいいもんだ。一生に一度あんな作品が書けたらなあ。
 しきりにそれをくり返すようになった。
 その夜、私は太宰さんを三鷹に送った。酩酊、に近いようだった。飯田橋から電車に乗ったその車中、混んでいて、吊革につかまった太宰さんは時々よろけそうになった。
 いちど、よろけて、となりに立っていた中年の女性にしなだれかかるような恰好になった。度の強い眼鏡をかけたその女性は、いかにも厭らしそうに顔をしかめ、露骨にふりほどこうとした。からだを立て直した太宰さんは、その中年をにらみ、
「だれが!! うぬぼれちゃいけない!」
 吐きすてるように言った。
 意外な感じが、私はした。酔っているとはいえ、そういうけわしい一面が太宰さんにあるとは、私には意外だった。
 その晩は、太宰さんのお宅に泊めてもらった。

 

 そして、その日から、私の三鷹通いがはじまった。

 河盛好蔵は、新潮社で斜陽の連載と出版確約の瞬間を、 「新潮社の応接室で、折からの冬の夕陽が斜めに鈍い光を部屋のなかに射しこむのを見上げるようにして、『つまりこれです。この日ざしです』と言ったのも忘れない」と回想しています。

 【了】

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【参考文献】
・野原一夫『回想 太宰治』(新潮文庫、1983年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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