記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月9日

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12月9日の太宰治

  1938年(昭和13年)12月9日。
 太宰治 29歳。

 十二月九日付発行の「国民新聞」に「九月十月十一月(上)/御坂で苦慮のこと」を、十二月十日付発行の同紙に「九月十月十一月(中)/御坂退却のこと」を、十二月十一日付発行の同紙に「九月十月十一月(下)/甲府偵察のこと」を連載発表した。

『九月十月十一月』

 今日は、太宰のエッセイ『九月十月十一月』を紹介します。
 『九月十月十一月』は、1938年(昭和13年)11月終わりから12月初め頃に脱稿。同年12月9日発行の「国民新聞」第一六八九八号から同月十一日発行の「国民新聞」第一六九〇〇号まで、第六面「文芸」欄に、3回にわたって発表されました。

『九月十月十一月』

   (上)御坂で苦慮のこと

 甲府御坂峠の頂上に在る茶店の二階を借りて、長篇小説すこしずつ書きすすめて、九月、十月、十一月、三つきめに、やっと、茶店のおばさん、娘さん、と世間話こだわらず語り合えるくらいに、馴れた。宿に著いて、すぐ女中さんたちに軽い冗談言えるような、器用な男ではないのである。それに私はこれまで滅茶な男のように言われているし、人と同じ様に立小便しても、ああ、やっぱりあいつは無礼だ、とたちまち特別に指弾を受けるであろうから、旅に出ても、人一倍、自分の挙動に注意しなければ、いけない。

 

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■御坂峠の天下茶屋

 


 私は、おとなしく毎日、机に向かっていた。おばさんも、娘さんも、はじめのうちは、私の音無しさに、かえって奇怪を感じた様子で、あのお客さんは女みたいだ、と陰口きいて、私は、それをちらと聞いて、ああ、あんまり音無しくしてもいけないのか、とくやしく思った。それから努めて、口をきくことにした。晩にお膳を持って来る娘さんにも、何か一こと話しかけたく苦慮するのだが、どうも軽くふっと出ない。口をひらけば、何か人生問題を、演説口調で大声叱咤しそうな気がして、どうも何気ない話は、できぬ。よっぽど気負った男である。とうとう或る晩、お膳を持って部屋へはいって来る娘さんを見るなり噴き出した。自身の苦慮が、毛むくじゃらの大男の、やさしい声を出そうとしての懸命の苦慮が、おかしかったからである。娘さんは、顔を赤くした。

 

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天下茶屋の人たち

 

 私は、気の毒に思い、いいえ、あなたを笑ったのじゃないんだ。僕は、あんまりもそもそしていて、かえってあなたたちに気味わるがられていやしないかと、心配して、毎晩、あなたがお膳を持って来て呉れるときだけでも、何か軽い世間話しようと努めて、いろいろ考えるのだが、どうも、考えれば考えるほど話すことがなくなって、自分ながら呆れて、笑ってしまったのです、と口ごもりながら弁解した。娘さんは、すると、落ちついて私の傍に坐って、あたしも何かお話しようと思うのですが、お客さんがあんまり黙っているので、つい、あたしも考えてしまって、何も言えなくなります。考えると話すことなくなってしまうものですね、と答えた。私は微笑した。それきり話が、また無くなった。こまったね、話がないんだ、と言って笑うと、娘さんは、私の窮屈がっているのを察して、男は無口なほうがいい、と言い置いてさっさと部屋から出て行って呉れた。

 だんだん茶店の人たちも、あのお客は、ただ口が重いだけで、別段に悪だくみのある者でないということが判った様子で、お客さんのお嫁さんになるひと仕合せですね、世話が焼けなくて、とおばさんに冗談言われて、私は苦笑して、やっと打ち解けて来たころには、はや十一月、峠の寒気、堪えがたくなった。



   (中)御坂退却のこと

 そろそろ私は、なまけはじめた。どうしても三百枚ぐらいの長編にしたいのである。まだ半分もできていない。いまが、だいじのところである。一日ぼんやり机のまえに坐って、煙草ばかりふかしてる。茶店のおばさんが、だいいちに心配しはじめた。お仕事できますか? と私が階下のストオヴにあたりに行くたんびに、そう尋ねる。できません。寒いから、かなわない、と私は、自分の怠惰を、時候のせいにする。おばさんは、バスに乗って、峠の下の吉田へ行って、こたつをひとつ買って来た。

 

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 そのとき一緒に、やさしい模様のスリッパも買って来た。廊下を歩くのに足の裏が冷たいからという思いやりの様であった。私はそのスリッパをはいて、二階の廊下を懐手して、ぶらぶら歩き、ときどき富士を不機嫌そうに眺めて、やがて部屋へはいって、こたつにもぐって、何もしない。娘さんも呆れたらしく、私の部屋を拭き掃除しながら、お客さん、馴れたら悪くなったわね、としんから不機嫌そうに呟いた。私は、振り向きもせず、そうかな、悪くなったかな。娘さんは私の背後で床の間を拭きながら、ええ、悪くなった。このごろは煙草も、日に七つずつ、お仕事は、ちっともすすまないし、ゆうべは、あたし二階へ様子見に来たら、もうぐうぐう眠っていた。きょうは、お仕事なさいね。お客さんの原稿の番号をそろえるのが、毎朝、ずいぶんたのしみなのだから、たくさんすすんでいると、うれしい。

 

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■中村たかの

 

 私は、有りがたく思った。この娘さんの感情には、みじんも「異性」の意識がない。大げさな言いかたをすれば、人間の生き抜く努力への声援である。
 けれども、いかな感情も、寒さにはかなわない。私は東北生れの癖に、寒さに弱く、ごほん、ごほん変な咳さえ出て来て、とうとう下山を決意した。東京へ帰ったら、また、ぶらぶら遊んでしまって、仕事のできないのが判っているから、とにかく、この小説の目鼻のつくまでは、と一先ず、峠の下の甲府のまちに降りて来た。工合がよかったら甲府で、ずっと仕事をつづけるつもりなのである。

 甲府の知り合いの人にたのんで、下宿屋を見つけてもらった。寿館。二食付、二十二円。南向きの六畳である。ふとんも、どてらも、知り合いの人の家から借りて来た。これで、宿舎は、きまった。部屋にそなえつけの机のまえに坐って、右の引き出しには、書きあげた原稿を、左の引き出しには、まだ汚さない原稿用紙を。なんだか、仕事ができそうである。ここでも、私は、はじめは気味わるいほど音無しく、そうして、三つきめくらいに、やっと馴れて、馴れたとたんに悪くなって、仕事をなまけ、そうして他所へ行くだろう。ああ、それまでに、いい仕事が、できればいい。他に、何も要らない。
 私は、Gペン買いに、まちへ出た。

 

   (下)甲府偵察のこと

 きらきら光るGペンを、たくさん財布にいれて、それを懐に抱いて歩いていると、何だか自分が清潔で、若々しくて、気持のいいものである。私は、Gペンを買ってから、甲府の町をぶらぶら歩いた。

 

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■太宰が愛用した、アメリカ「エヴァ―シャープ」製の万年筆 太宰の妻・津島美知子アメリカ土産にもらった品を、やがて太宰が使うようになったという。軸が途中で故障したが、太宰はペン先にインクをつけて使用した。三鷹に移り住んだ1939年(昭和14年)頃から最期までの約10年間、この万年筆で執筆を続けた。

 

 甲府は盆地である。いわばすりばちの底の町である。四辺皆山である。まちを歩いて、ふと顔をあげると、山である。銀座通りという賑やかな美しいまちがある。堂々のデパアトもある。道玄坂歩いている気持である。けれども、ふと顔をあげると、山である。へんに悲しい。右へ行っても、左へ行っても、東へ行っても、西へ行っても、ふと顔をあげると、待ちかまえていたように山脈。すりばちの底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。
 裏通りを選んで帰った。甲府は、日ざしの強いまちである。道路に落ちる家々の軒の日影が、くっきり黒い。家の軒は一様に低く、城下まちの落ちつきはある。表通りのデパアトよりも、こんな裏まちに、甲府の文化を感ずるのです。この落ちつきは、ただものではない。爛熟し、頽廃し、そうしてさびた揚句の果が、こんな閑寂にたどりついたので、私は、かえって、このせまい裏路に、都大路を感ずるのである。ふと、豆腐屋の硝子戸に写る私の姿も、なんと、維新の志士のように見えた。志士にちがいは、ないのである。追いつめられた志士、いまは甲府の安宿に身を寄せて、ひそかに再挙をじゃかっている。
 甲州を、私の勉強の土地として紹介して下さったのは、井伏鱒二氏である。井伏氏は、早くから甲州を愛し、その紀行、紹介の文も多いようである。今さら私の悪文で、とやかく書く用はないのである。それを思えば、甲州のことは、書きたくない。私は井伏氏の文章を尊敬しているゆえに、いっそう書きにくい。
 ひそかに勉強をするには、成程いい土地のようである。つまり、当りまえのまちだからである。強烈な地方色がない。土地の言葉も、東京の言葉と、あまりちがわないようである。妙に安心させるまちである。けれども、下宿の部屋で、ひとりぽつんと坐ってみてやっぱり東京にいるような気がしない。日ざしが強いせいであろうか。汽車の汽笛が、時折かすかに聞えて来るせいかも知れない。どうしても、これは維新の志士、傷療養の土地の感じである。
 井伏氏は、甲府のまちを歩いて、どんなことを見つけたであろうか。いつか、ゆっくりお聞きしよう。井伏氏のことだから、きっと私などの気のつかぬ、こまかいこまかいことを発見して居られるにちがいない。私の見つけるものは、お恥かしいほど大ざっぱである。甲府は、四辺山。日影が濃い。いやなのは水晶屋。私は、水晶の飾り物を、むかしから好かない。

 

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■太宰と井伏鱒二

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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