記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】3月9日

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3月9日の太宰治

  1948年(昭和23年)3月9日。
 太宰治 38歳。

 太宰の発言が発端となり、山崎富栄と夜通し、語り明かす。

太宰が富栄に告げた言葉

 昨日の記事でも取り上げましたが、1948年(昭和23年)のこの頃、太宰は人間失格執筆のため、熱海の起雲閣別館に滞在していました。
 斜陽のヒットにより、ファンやマスコミの来客や原稿の依頼、出版の申し込みが増え、思うように長編作品の執筆に集中できなくなった太宰のために、筑摩書房の創業者で初代社長の古田晁(ふるたあきら)が起雲閣を手配しました。古田は、毎日の来訪客と無理な付き合い酒を重ね、疲労しきった太宰の体調も心配していました。太宰が人間失格の執筆に専念できるよう、身の回りの世話をする山崎富栄と共に起雲閣別館に滞在させたのは、古田の配慮でした。

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筑摩書房の創業者、古田晁

 見送りの人や訪問者が帰り、いよいよ執筆にかかる滞在2日目の夜。太宰は富栄を呼んで、「話をつけようかと思う」と告げます。
 太宰は、何の「話をつけよう」としたのか。まずは、この日の富栄の日記を引用してみます。

三月九日

朝、古田さんから御電話あり
「奥さんですか?」
「サッちゃん」
まさか「奥さんですか?」に「はい」などと答えられるものですか。
熱海は暖かいと思いの外、案外、東京と同じ陽気なので、がっかり。

 伊豆の(かた)に、ここに来てもらって話をつけようかと思う、と仰言るので、背筋がすうっと寒くなって、力が抜けて、少しふるえ出してしまったけど、一度は逢って話さなければならないと仰言っていられたので同意したことから、波紋を招いて、昨夜(八日夜)は一晩中二人共うつらうつらしたりして、語り明かす。お互いに私達は思いやりすぎて、時々こうしたことが起こる。
 どうしても別離などの出来ない私達のこころ、一層哀情を深め、信頼を高めて生きてゆこうと暁を迎える。
 伊豆の地平線は、お乳の先にふれるくらいのところと書かれてあったけれど、ここでみる地平線は私の(まぶた)のあたり
 今日は太宰さんお疲れの様子。小半日、うつらうつら。

  「伊豆の(かた)とは、太田静子(おおたしずこ)のこと。
 この頃、伊豆に住む静子を気にしていた太宰。そんな理由もあって、古田は太宰滞在の地を、すぐに会いに行くことができる熱海に定めたのです。

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 この年の前年である、1947年(昭和22年)5月、太田静子が妊娠に気付いて弟の太田通と共に三鷹へ相談に訪れた時、 太宰は静子と2人きりになるのを避けるために編集者を側から離さず、静子に話し合う機会を与えませんでした。そんな太宰が、今さら静子を呼び寄せて、本気で話をつけようとしたのでしょうか。富栄が「背筋がすうっと寒く」なるほど嫌がるのを、太宰は充分承知したうえで、この話題を持ち出したのでした。古田も、富栄に電話をする際、「奥さんですか?」と、富栄の機嫌をとるために、気を遣ったりしていたのに。

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 富栄が仕方なく静子を呼ぶことに同意すると、話の波紋はますます広まっていきます。子供の養育費の額も何一つ決めておらず、静子からの生活費の催促がいつまで続くのだろうかと2人は追い詰められた心情でした。当然、妻の美知子に打ち明ける訳にもいかず、2人が別れたとしても解決せず、お互いの気持ちを思いやれば余計に、話は噛み合わなくなりました。一晩中、うつらうつらしながら、信頼を一層高めて問題に当たっていこうと語り合い、夜明けを迎えます。
 結局、起雲閣に滞在中、太宰は静子を呼ばずに終わりました。

 そんなこと、わざわざ言わなきゃいいのに。そんな風に、思ってしまいます。

●『人間失格』執筆時の太宰については、こちらの記事でも紹介しています!

 【了】

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【参考文献】
・山崎富栄 著・長篠康一郎 編纂『愛は死と共に 太宰治との愛の遺稿集』(虎見書房、1968年)
・片山英一郎『太宰治情死考 ●―富栄のための れくいえむ』(たいまつ社、1980年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・梶原悌子『玉川上水情死考』(作品社、2002年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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