山崎富栄
4月29日の太宰治。 1948年(昭和23年)4月29日。 太宰治 38歳。 筑摩書房主古田晁(ふるたあきら)の計らいで、大宮市大門町三丁目百三番地の小野沢清澄方の奥の間の八畳と三畳との二間を借り、三畳の間を仕事部屋として「人間失格」の「第三の…
4月16日の太宰治。 1948年(昭和23年)4月16日。 太宰治 38歳。 山崎富栄が、太田静子宛の手紙を「太宰代理」として代筆。 富栄、太田静子への手紙を代筆 1947年(昭和22年)11月12日、太田静子は、娘・治子さんを出産します。 同月…
4月8日の太宰治。 1948年(昭和23年)4月8日。 太宰治 38歳。 あさ、聖子ちゃんみえる。新潮社退社について御相談にみえる。つづいて八木岡さんみえる。うるさいことがらばかり。 おひる寝。大変御疲れの御様子。街で蟹を買う。修治さん大喜びで…
3月28日の太宰治。 1948年(昭和23年)3月28日。 太宰治 38歳。 「展望」連載第一回分の「人間失格」百三枚、「第二の手記」までを脱稿し、三月三十一日、帰京。 太宰の近況 ー富栄の日記から 3月8日、9日の記事でも紹介しましたが、太宰は…
3月27日の太宰治。 1947年(昭和22年)3月27日。 太宰治 37歳。 三鷹駅前の屋台で、今野貞子に紹介されて初めて山崎富栄と識り合った。 太宰と富栄の出逢い 今日は、太宰と最期を共にした、山崎富栄との出逢いを紹介します。 富栄は、太宰との…
3月9日の太宰治。 1948年(昭和23年)3月9日。 太宰治 38歳。 太宰の発言が発端となり、山崎富栄と夜通し、語り明かす。 太宰が富栄に告げた言葉 昨日の記事でも取り上げましたが、1948年(昭和23年)のこの頃、太宰は『人間失格』執筆の…
3月8日の太宰治。 1948年(昭和23年)3月8日。 太宰治 38歳。 前日3月7日から、眺望のいい起雲閣別館に滞在。3月8日から、外部との交渉を断って、「人間失格」の執筆に専念した。「山のテッペンでカンヅメには好適」の場所であった。 起雲閣…
2019年、生誕110年を迎える人気作家・太宰治。愛人・山崎富栄さんと玉川上水で心中した太宰ですが、その死の真相は明らかになっていません。 富栄さんに首を絞められて殺されたとも言われる太宰。 ”太宰治は、本当に首を絞められたのか?”考察します。