『現代小説を語る』
坂 口 安 吾
太 宰 治
織 田 作 之 助
平 野 謙
■左から坂口安吾、太宰治、織田作之助
平野 大体現代文学の常識からいうと、志賀直哉の文学というものが現代日本文学のいっとうまっとうな、正統的な文学だとされている。そういう常識からいえばここに集まった三人の作家はそういうオーソドックスなりリアリズムからはなにかデフォルメした作家たちばかりだと見られているが…。
太宰 冗談言っちゃいけないよ。
平野 いや、冗談じゃない、ほんとの話だよ。太宰さんはすでに少々酔っぱらってるから……。
坂口 平野が言う意味は向うが正統的の文学だとすれば、俺たちがデフォルメだというのだよ。
平野 それはそうだろうと思う。いくらあなたがそうじゃないと頑張ったっても…。
太宰 俺にはちっとも分っていやしない。デフォルメなんて……。
平野 それじゃ一つ、そのデフォルマシオンに非ざる弁を一席やって下さいよ、太宰さん。
太宰 やるも何も………僕はいつもリアリストだと思っているのですよ。現実をどういう具合に、どの斜面から切ったらいいか、どうすれば現実感が出るか、それに骨身を砕いているわけじゃないか、なにも志賀直哉の、あんなものが正統であってオーソドックスだという……そんなことを僕は感じたくない。寧ろあの人は邪道だと思っている。文学から……。
平野 しかし、世間の常識からいえば志賀直哉がオーソドックスであなた方はデフォルメ……まあそういう風に見られていると思う。だからそういう作家が偶然寄って……偶然か企画か知らんが……一堂に会して現代文学を語るということになれば、そこにありふれた座談会なんかと面目を異にした面白い座談会ができるだろうと僕は期待するわけなんだ。
■平野謙(1907~1978) 京都府京都市上京区生まれの文芸評論家。本名、平野朗。政治と文学、私小説などをテーマに、鋭い評論を発表。戦後文学の代表的評論家として活躍した。主な著書に『島崎藤村』『芸術と実生活』『昭和文学史』などがある。
坂口 それは平野の言うのは当りまえさ。
太宰 僕は初耳だった。デフォルメなんて言葉は……。
平野 デフォルメが気に入らなきゃ、外道の文学と言ってもいい。とにかく、太宰治の『晩年』は僕も愛読したが、あれは正統なリアリズム文学か――つまり、いわゆるブルジョア文学もプロレタリア文学もみんな崩壊した地盤からはじめて生れた文学だ。
坂口 われわれはつまり横道だということ……ね。みなそう考えているよ。
太宰 僕は坂口さんの小説など、あまりオーソドックスすぎて、物足りないくらいなんですよ。かえって……。
坂口 確かにそうだな。
太宰 それがデフォルメなどというのは、ふざけているよ。
平野 ふざけてやしないよ。デフォルメでいいじゃないの。
太宰 誰が言ったことか、それは。
平野 誰がというより、一般にそう言っている、常識じゃないか。
太宰 そんなら俺はもう芭蕉の閉関論じゃないが、門を閉じて人に会いたくないな。
織田 志賀直哉はオーソドックスだと思ってはいないけど、そういうものにまつり上げてしまったんだ。オーソドックスなものに……文壇進歩党みたいなもので、進歩党の党首には誰もなりたがらないのだよ。けれども誰かまつり上げて来るのだ。で、志賀さんが褒めればどの雑誌だってありがたがって頂戴するのだよ。
■志賀直哉(1883~1971) 宮城県牡鹿郡石巻市生まれの小説家。「小説の神様」と称され、多くの日本人作家に影響を与えた。主な作品に『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城崎にて』などがある。
太宰 女の人なんか殊にそうだ。
織田 第二の志賀直哉が出ても仕方がないのだよ。
太宰 あれは坂口さん、正大関じゃなくて張出しですよ。
坂口 そうだ、張出しというより前頭だね。あれを褒めた小林の意見が非常に強いのだよ。
織田 そうそう、小林秀雄の文章なんか読むと、一行のうちに「もっとも」という言葉が二つくらい出て来るだろう。褒めているうちに褒めていることに夢中になって、自分の理想型をつくっているのだよ。志賀直哉の作品を論じているのじゃない。小林の近代性が志賀直哉の中に原始性というノスタルジアを感じただけで……。
みんなが小林秀雄がほんとうに志賀直哉の実体を批評したのだと思っているのだよ。横光さんの『機械』を小林秀雄が褒めたときでも同じですよ。『機械』というものをちっとも批評していない。
坂口 小林という男はそういう男で、あれは世間的な勘が非常に強い。世間が何か気がつくという一歩手前に気がつく。そういうカンの良さに論理を託したところがある。だからいま昔の作家論を君たち読んで御覧なさい。実に愚劣なんだ、いまから見ると……小林の作家論の一足先のカンで行く役割というものは全部終っている役割だね。
織田 管を巻いているのをみんな白面で聞いているからおかしいのだよ。
坂口 けれど小林は偉いところもある。その後どんどん育っているからね。
■小林秀雄(1902~1983) 東京府東京市神田区猿楽町生まれの文芸評論家、編集者、作家。近代日本の文芸評論の確立者。主な著書に『様々な意匠』『ドストエフスキイの生活』『無常という事』『モオツァルト』『考えるヒント』『本居宣長』などがある。
太宰 僕は昨夜小林の悪口をさんざん言っちゃって、今日は言う気がしないな。
平野 どこで……。
太宰 新潮社、Kさんと……。
平野 太宰さん、どうですか、佐藤春夫などは……戦争中或は戦争後の佐藤春夫をどういう風に思っていますか。
太宰 佐藤春夫はこれからも書けるのじゃないですかね。僕はなにもあの人は駄目だとは思わないけれども……『疎開先生大いに笑う』あれ、たいへん不評判だったようですね。だけど、僕はあれならなにもそんなに不評判になるほど悪い作品とは思わなかった。面白かったですね。
平野 しかし、大正時代の佐藤春夫は僕も非常に好きだったけれども、昭和の中頃からずいぶん違って来ているのじゃないですか。何か急に年とってしまって……。
太宰 そう変ってはいないのじゃないですか。もともと佐藤春夫というのはああいうだらしない人だったのじゃないか。
坂口 僕はあまり好きじゃない、佐藤春夫は……。
織田 僕は考えてみたこともないね。佐藤春夫とは何ぞやということについて五分間も考えたことはない。
太宰 五分間考えるというのはたいしたことだよ。大抵一分くらい……。
■佐藤春夫(1892~1964) 和歌山県東牟婁郡新宮町生まれの詩人・小説家。艶美晴朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌と、活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。井伏鱒二と同様、太宰の師匠でもある。主な作品に『西班牙犬の家』『田園の憂鬱』『純情詩集』『都会の憂鬱』『退屈読本』『車塵集』『晶子曼陀羅』などがある。
坂口 僕は佐藤春夫の作品じゃ探偵小説が一ばん好きだ。片仮名で書いた『陳述』という作品、あれなんか好きだ。
織田 そういう意味じゃ、『維納の殺人事件』とかいうのがあったでしょう。ああいうものを書かすといいのだ。あの人は新聞記者にすればよかった。
平野 いや、あれは大して面白くなかった。探偵小説的では、『オカアサン』というのがいい。
織田 僕は面白かったね。佐藤春夫のものでは一ばん読んだ。あいつが助かるかどうかと思って……。
太宰 僕は『侘しすぎる』というのはやはりいいと思ったね。やはりお千代さんというのは偉大な女性かも知れないな。谷崎さんに『蓼喰う蟲』を書かしたし、佐藤さんに『侘しすぎる』を書かしたのだからな。あれは明治、大正、昭和を通じて女性史に残る。
坂口 そうかな。
太宰 だって二人をあんなに苦しめたんだもの……二人とも油汗を流した。
坂口 自分で苦しんでいるのだよ。あの頃の作家は……永井荷風でもそうだ。荷風の部屋へ行くと惨澹たるものだそうだ。二ヶ月くらい掃除をしておらんのだ。それでずいぶん散らかっている中に住んでいて、部屋がない、部屋がないといって、部屋を探しに歩いているそうだ。そういうのは趣味だと思うね。ちっとも深刻でもなんでもない。
太宰 でも女房を寝取られるというのは深刻だよ。坂口さんには経験がないかも知らんが……。
織田 日本の作家というのは苦しめられ過ぎる。
太宰 ああいう煮湯を呑まされるという感じはひどいものですよ。
■谷崎潤一郎(1886~1965) 東京市日本橋区蛎殻町生まれの小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き、終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。主な作品に『刺青』『痴人の愛』『卍』『蓼喰う蟲』『春琴抄』『細雪』などがある。
坂口 女房を寝取られることだってそんなに深刻じゃないと思う。
太宰 そんなことはない。へんな肉体的な妙なものがありますよ。それを対岸の火災みたいな気持で……それで深刻でないなどというのは駄目ですよ。
坂口 僕はそういう所有欲を持っておらんのだよ。
太宰 いや、所有欲じゃないのだ。倫理だとか、そういう内面的なものじゃない。肉体的に苦しむ。
坂口 肉体自身、そんなに事寄せる必要はないよ。君たち、そんなに事寄せるということがおかしい。
太宰 肉体に事寄せる、そんな意味じゃないのだ。
坂口 君たちが女房という観念を持つことが何か僕はおかしいのだよ。
太宰 あなたは独身だから……。
坂口 独身だって変りはないよ。恋人はたくさんある。女房に準ずるものがたくさんある。ちっともそんなことに変りはないよ。
太宰 それは駄目だなあ。ホームというのは、あれはいじらしいものですよ。
坂口 それは、若いときはホームがいじらしいのじゃなくて、若さ自体がいじらしいのだよ。なにも若さのホームがいじらしいわけじゃないと思うね。
太宰 いや、ホームというのも僕はいじらしいものがあると思うのですよ。たとえば、僕たち旅行をして歩いておって、ボーっと窓に明りがともっているのを見て、なにか郷愁をそそられることがありはしないかしら。ああいうのはやはりホームのいじらしさだと思うけれども……。
織田 それはしかし、女房だとか何とかいうのと違って、人間の持っているノスタルジア、人間が人間に感じているわびしさ憂愁の感覚、そういうものは女房というもので一ばん現われ易いのだけれども……。
太宰 突然ホームに土足で上って来て、俺は今日ここへ寝るんだ、お前の女房を貸せ………これじゃかなわないよ、やはり……。
織田 しかし、そういうノスタルジアみたいなものは、結婚して五年くらい経って、旧い女房みたいなものが分ることが……しかし、外国の文学というものは、何年か経って女房のあわれさが分ったという文学じゃない。そういうノスタルジアというのは初めに含んでいるのじゃない。日本の文学というのは、なにか生活をして、その女房と十年連れ添うて、初めてこれだなあと分ったような文学じゃない。生活の総決算みたいなもので……。
平野 坂口さんは家庭というものを非常に恐怖していると思うが、どうだね。
坂口 恐怖なんかしていない。
平野 いやあなたの近頃の作品のモチーフには、家庭恐怖症が根を張っている。だから、自己破壊なんてことも出て来る。
坂口 世間的に恐怖する。一ぺん女房を貰うと、別れるとき世間の指弾がこわいというそういう恐怖だよ。
織田 それはこわくないよ。最近俺やったけれどもちっともこわくないよ。
坂口 俺の恐怖はそういう恐怖だよ。ほかに何も恐怖はない。
織田 こわくないですよ。僕はごそっと取られたが、こわくないよ。
坂口 僕は純情というのは好きじゃないのだ。大体所有するということが元来好きじゃないのだよ。
織田 あれは所有じゃないね。女房というのはくっついて来るから仕方がないのだ。
坂口 否応ないのだけれども、否応なさに理屈がついて来る。みな強いて理屈をつけようというのじゃないか。
太宰 恋女房というのもあるからな。
坂口 それはあるよ。それはやはり恋女房と言ったんじゃいかんので、惚れるという世界だね。女房の世界じゃない。
太宰 やはり谷崎の……前の話だけれども恋女房じゃないのですか。
坂口 僕は谷崎潤一郎がこしらえているイメージだと思う。
太宰 しかし『蓼喰う蟲』は相当あぶら汗が出ているじゃないか。僕谷崎ものでは『蓼喰う蟲』が一番好きなんだけど……ほかのは何のこともないが、あれは相当読みごたえがある。
■太宰治(1909~1948) 青森県北津軽郡金木村生まれ。本名、津島修治。左翼運動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』などがある。
坂口 こしらえているような気がするね。自分勝手に……こしらえ方が僕らを納得させてくれないのですよ。
平野 坂口さん、白鳥はどうですか。
太宰 白鳥僕は徹頭徹尾嫌いですね。なんだいあれは……ジャーナリストですよ。あれはただ缶詰を並べているだけで……牛缶の味ですよ。
織田 小林秀雄というのは白鳥に頭があがらない。
坂口 しかし読物の面白さはもっている。僕そう思うね。
太宰 あれを思想家だの何だのと言っているけれども、ちっとも僕は……。
■正宗白鳥(1879~1962) 岡山県和気郡穂浪村生まれの小説家・劇作家・文芸評論家。本名、正宗忠夫。虚無的人生観を客観的に描く自然主義の代表作家として出発。批評精神に満ちた冷徹な境地を拓いた。主な作品に『何処へ』『入江のほとり』『最後の女』『自然主義盛衰史』などがある。
坂口 一種の漫談家ですよ。徳川夢声と同じもので……しかし読物としての面白さはもっている。
太宰 文章はうまいからな。
坂口 僕は徳川夢声を好きだが、好きというのは読物として……徳川夢声、正宗白鳥、獅子文六、これは読ませる力をもっている。
太宰 村松梢風なんか……『残菊物語』。
坂口 僕その三人は同じジャンルだと思う。これはしかしそう馬鹿にする必要はないだろう。それはそれでいいだろう。やはり一つの読物としての力をもっているということは……。
平野 あの手管は大したものだ。とにかく読ませる。
坂口 大したことでもないけれども、高座の円朝とか、浪花節の大家とかいうのと、それは君、同じものだよ。
平野 しかし、終戦後の白鳥は、読物としてもあまり面白くないのじゃないかね。
坂口 いや面白い。俺は今朝白鳥を読んだ。ヨーロッパにいた時の……ドイツの話なんか、やはり面白いね。
平野 あれは最近の白鳥としてはよくできてた方だ。『光』に載ってたやつだろう。あれはしっかりしていて面白い。しかし『群像』の小説なんかずいぶん人を喰った、投げやりの作品だったなあ。
坂口 やはり何か……ああいうのは読者のツボを知っている書き方だね。だから僕は高座の芸術だというんだよ。徳川夢声でもそうだし、雲月の芸風でもみなそうだ。こう書けばこう読むだろう、こう語ればこう来るという、ツボを知っている書き方なんだ。これは君、やはり存在していいのだよ。それは一つの……芸術か何か知らんけれども、木戸銭を取るだけの値打はあるのだね。僕はそう思うのだ。
平野 それじゃ里見弴はどう?
坂口 これはないね。木戸銭を取る値打はないよ。
■里見弴(1888~1983) 神奈川県横浜市生まれの小説家。本名、山内英夫。ペンネームは、電話帳をペラペラとめくり、指でトンと突いた所が里見姓だったことに由来。志賀直哉の『暗夜行路』冒頭に出てくる友人・阪口のモデルでもある。永く鎌倉に住み、鎌倉文士のはじまりとされることもある。主な作品に『善心悪心』『多情仏心』『安城家の兄弟』『恋ごころ』などがある。
平野 じゃ、宇野浩二は?――どうも酔っぱらい相手の進行係は辛いね。
坂口 宇野浩二? これも木戸銭は取れないね。老大家で木戸銭取れるというのは正宗白鳥、谷崎潤一郎も木戸銭取れるだろう。
太宰 まあ里見弴だの、宇野浩二だのというのは、あまり言いたくないものね。「文学の鬼」は凄いね。
坂口 ああいう馬鹿を言うのがいるからね。そういう表現は無茶だよ。志賀直哉は文学の神様だとか……。しかし、やはり文学などというものは木戸銭が取れるという風になることが先決条件だね。
太宰 そうですね。それがなければ……。
坂口 それがなければ何んにもならない。
■宇野浩二(1891~1961) 福岡県福岡市南湊町生まれの小説家。本名、宇野格次郎。おかしみと哀感のある作品を独自の説語体で発表し、文壇に認められた。一時精神に変調をきたすが、復活後は冷厳に現実を見つめる簡素で写実的な作風に転じた。主な作品に『蔵の中』『苦の世界』『子を貸し屋』『枯れ木のある風景』『器用貧乏』『思ひ川』などがある。「文学の鬼」は、宇野の自称。
太宰 馬琴という男、あれは非常にペダンティックな嫌な奴ですけれども……それでも『八犬伝』なんか書く場合には、はしがきに「婦女子の眠けざましともなれば幸いだ」と書いておったけれども、いい度胸だと思ったですね。
平野 しかし『八犬伝』そのものはちっとも面白くない。真山青果の受け売りだけど、馬琴の生活の方がずっと面白い。
太宰 うん、面白くないね。徹頭徹尾……。
坂口 説教しているからな。
平野 説教だけじゃなくて、あれは長過ぎるんだよ。あんなに長くする必要はない。『大菩薩峠』と同じさ。
坂口 しかし『大菩薩峠』も初めは面白いだろう。
太宰 『八犬伝』の、龍の講義なんか……龍には三十何種類、いや、二十何種類だったかな? あれはかなわない。
織田 谷崎にもそういう長さというものがある。
坂口 しかし馬琴だの、中里介山の『大菩薩峠』などが古典みたいになるということは、日本の読書界の貧困を物語るものだね。
■中里介山(1885~1944) 神奈川県西多摩郡羽村生まれの小説家。本名、中里弥之助。はじめ社会主義に傾倒し、日露戦争下に「平民新聞」に反戦詩を発表する。『氷の花』『島原城』などの新聞連載小説を手掛け、代表作『大菩薩峠』は、のちの大衆文学に大きな影響を与えた。のち郷里羽村に西隣塾を開き、文壇から離れて超然とした生活を送った。
平野 読者ばかりじゃない。作家自身の貧困だね。
太宰 僕は作家の貧困じゃないと思う。やはり地盤がなくちゃ駄目だよ。梨のつぶてで何んにもなりやしないよ。
織田 地盤はできたって出ないのだよ。地盤のない、へんな所からポコっと消えてしまうやつは……ね。
太宰 織田君などは地盤から出たかね。
織田 地盤なんかないね。地盤はちょっと探して見ようと思ってうろうろしたけれども、ないということが判って……。
坂口 馬琴の退屈さと、プルーストの退屈さと非常に違う。
太宰 プルーストも、貴族の生活にゆかりのある者が、あれを読めばとても面白いのですよ。ところが、貧民があれを読んだって、てんで駄目なんだ。あれイギリスなんかに受けたというのでしょう。イギリスは貴族が多いからね。貴族の老女なんかあれを読んで……思い出があるから面白く読めるのでしょう。
坂口 アメリカで非常に受けているというのは、アメリカの貴族への憧れだ。
■ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルースト(1971~1922) フランス共和国パリ16区オートゥイユ地区生まれの小説家。『失ひし時を索めて』は後世の作家に強い影響を与え、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカと並び称される20世紀西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられている。太宰は、処女短篇集『晩年』を出版する際、淀野隆三・佐藤正彰共訳『マルセル・プルウスト全集 失ひし時を索めて第一巻 スワン家の方』と同じ体裁で出版することを要望した。
平野 織田さん、サルトルのことを何か書いてたけれど……僕は『水いらず』しか読まないけれども、あれはどうなんです。面白いのですかね。
織田 僕サルトルとファビアンと二つ比較して考えて見たんだけれど……ケストネルのファビアン……。サルトルというのはフランスからああいうものが出るんだね。ファビアンというのは非常にデフォルマシオンだよ。あれはやはりドイツなどの、小説の伝統がない国の小説だよ。サルトルなどは訳のせいもあるだろうけれども、読んで見れば非常にまともなんだよ。そのくせほかの奴とちがうんだ。僕は惟うにサルトルというのは、あれはまだデッサンなんだ。デッサンの勉強をやっているのだ。僕はそう思う。美術学校の生徒が入ればすぐ裸体を描いているでしょう。一生懸命……裸体が描けないのに着物を着せたら尚お描けないものね。まだあれは一生懸命……裸体を描いている。だから彼は第一歩をやっているだけなんだ。セニクが日本の作家なんて誰も第一歩をやっていないから近代以前だ……。美術学校でいえば裸体のデッサンをやっていないのだ。初めからヴェールで包んで描いているのだ。そういう意味で僕はサルトルは面白いと思うね。
太宰 でも作家というのは白痴なもので、なにか系統立つことを言おうとすると、なにか馬鹿なことを言っているね。
織田 しどろもどろだ。だからイメージのない言葉は喋らないことだね。
坂口 しかし、サルトルはやはり作家だよ。君はどう読んだか知らんけれども……あれは肉感だけで書いているな。あの肉感が好きなんだよ。知性とか何とかいうものじゃないからね。
平野 しかし、あれは普通の小説じゃないか。
坂口 普通というのは、そういうものじゃないよ。……あの小説は感覚だけでモラルじゃない。知性もない。そういういちばん当り前のことを……。文学とはそういうことじゃないか、いちばん当りまえのことをやるのじゃないか。
織田 第一歩だよ。始まりだよ。あれは。
坂口 なかなか当りまえのことがやれないのじゃないか。
■ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(1905~1980) フランス共和国パリ生まれの哲学者・小説家・劇作家。右目に強度の斜視があり、1973年には、それまで読み書きに使っていた左目を失明した。自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物。
織田 あの辺から始めて行こうというのだね。僕がサルトルを持ち出したのは、あれを終りだと言っていやしない。
坂口 当りまえでないことばかりやっているのだ。小手先で……小手先というのはわれわれ器用だからね。君たちを胡麻化すくらいわけないのだ。(笑声)しかしなかなかそういうものじゃない。サルトルは小手先で胡麻化しておらん。
織田 あなたは(平野氏に)どう思った……?
平野 心理が行動を決定しないで、人間と人間とのかかわり合いで行動がきまってゆく、というのがあれのモティーフだろう。とすれば一番普通の小説じゃないかと思った。
坂口 いちばん普通の小説だよ。それが正しいのだよ。
平野 しかし、織田さんのエッセーだと、非常にあれは新しい文学で。
織田 新しいというのは、第一歩だよ。あそこからはじめなければ何にも出て来やしない。
■織田作之助(1913~1947) 大阪府大阪市南区生まれ。「織田作」の愛称で親しまれる。『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。短編を得意とし、出身地である大阪にこだわりを持ち、その作品には大阪庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれている。ほか主な作品に『青春の逆説』『土曜夫人』などがある。撮影:林忠彦
平野 秋声の文学などとの対比で言っている。そういう気持もわかるが、ああいう対比のしかたはやはり僕には腑に落ちなかった。
織田 僕は形の上で言っているのじゃなくて……。
坂口 秋声など非常に尤もらしい小説だけれども、サルトルの方はあたりまえの小説だ……何というか、人間のいちばん当りまえのところだよ。秋声はそうじゃない。秋声の普通さというのはたとえばコロンバンか何かでコーヒー飲んでいる。その外を自動車でさあッと通る。そんなところが普通なんだよ。
織田 『縮図』なんて立派なものだけど、しかし若い者が書いたらおかしいでしょう。しかも若い者が目標にしたら尚おかしいでしょう。サルトルというのはあすこから始めてもおかしくない。そういう意味で僕はサルトルのあの義眼の顔を面白いといったんです。で秋声は末期の眼だという、どっちを選ぶかというのだ。それを言ったに過ぎない。デフォルムの小説としてはファビアンの方をとる。しかしそういうデフォルメをやれないのだよ。フランスじゃ……まともなんだ。やはり第一歩からやっているというところで、僕が持出す意味を認めたのだよ。
平野 日本の作家で第一歩からやり始めている作家というのはいないね。
織田 西鶴でもみなやったのだ、昔は……。
平野 いまは……。
織田 いまここに集まっている四人……しかしそんなこと言えないじゃないか。
平野 もう少し、面白い話題はないかなあ。
織田 太宰さん最近戯曲を書いていらっしゃるけれども、僕は若いときに戯曲を書いておった。日本の小説を読んだことがない。初めて読んだ小説は梶井基次郎……あれは高等学校も同じだし、病気も同じそういう興味で初めて読んだ。これは非常に面白いと思って……ところが、スタンダールを読んで、芝居より小説の方が面白いと思って小説を書き出した。ところが翻訳の文章じゃ小説は書けない。だからいろいろどんなやつがいるんだと思って……小林秀雄が志賀直哉や瀧井孝作などの美術工芸小説を褒めているでしょう。何だ、これが小説かと思って、やり出してへんなことになった。『赤と黒』というようなことから小説の面白さを発見しながら、面白くもない志賀直哉、瀧井孝作の小説を一生懸命読んで、その文体を真似なくちゃ小説を書けないということを、まだ若い身空で教え込まれた。いまの若い人たち、いろいろな小説、外国の小説を読むでしょう。だけど翻訳の文章は悪いでしょう。やはり名文は横光さん、川端さん、志賀さんとか言われて、結局その方から文章をとらんとするでしょう。やはり真似をしなくちゃなかなか書けないもんね。だから、やはり横光さん、川端さん、志賀さんなんかから勉強して、文学というものを学んでやったって、ちっとも新しい文学は出て来ない。滅茶々々でもいいよ。サルトルを読んでから初めて小説が分って……なにも読まなくてもいいんだ。そこから入って行ったらいいじゃないか。やはり志賀さん、横光さん、川端さんから文学というものを教わってやっているから、へんに北條誠みたいなようになるんだ。
坂口 北條誠というのは癩病の小説を書いた男だろう。
■北條誠(1918~1976) 東京生まれの小説家・劇作家。川端康成に師事し、1940年(昭和15年)に『埴輪と鏡』で芥川賞候補になる。ラジオ、舞台、テレビの脚本を書き、『向う三軒両隣り』がヒットした。1963年(昭和38年)、最初のNHK大河ドラマ『花の生涯』の脚本も担当している。
織田 むちゃくちゃだよ、北條民雄だよ。
平野 太宰さん、今度戯曲は初めてですか。
太宰 初めてです。
平野 どういうわけで戯曲を書く気になったんです。
太宰 僕は戯曲を書きたかった。書くべくした書いた。作家というのは白痴なものですよ。どういうわけでと言われたって、あとでこじつけて……。
坂口 そうですね。実際自分自身が白痴とか何とか……何か外にももっと自分が持っているような気がするけれども嘘だものね。
太宰 ゲーテの対話エッケルマン、あれだってゲーテがもっともらしいことを言って……そうして小説は、ヘルマンとドロテア、あんな他愛ない恋愛を書いているでしょう。何にもエッケルマンの対話には出ていない。尤も余はかくの如きものを書こうなどと言ったって嘘だよ。余は如何にして何々主義者になりしか、なんて。
平野 しかし内村鑑三なんかやはり立派ですよ。実生活もなかなか波乱万丈でね……。
太宰 あれは題はそうだけれども、そうでないものね。ほんとうになるべくしてなったというだけのもので、水が低きに流れるようなもので、飛躍もなにも……或る一夜において、こういう人からこう言われて、そこで霙の降る晩に外套もなく歩いておったときにフッと感じたと、よくあるじゃないの、嘘ばっかり。
坂口 僕は内村鑑三を好きじゃない。ほんとうに女に惚れておらんものね。迷っておらんもの……。
太宰 でも女房を五たびくらいかえたのじゃないですか。あれは豪の者ですよ。さすがに僕も五たびは……。
■内村鑑三(1861~1930) 武蔵国江戸小石川(現在の東京都文京区小石川)生まれのキリスト教思想家。文学者。伝道者・聖書学者。一高教授の時、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究」を創刊。主な著書に『余は如何にして基督教徒となりし乎』『基督教徒の慰』『求安録』などがある。
坂口 精神的のことばかり言っているが、肉体のことを言っておらない。ああいうインチキなことは嫌いさ。女房をかえるのだったらもっと肉体的なことを言わなくちゃ嘘だ。
太宰 ヒルテイなんかでも『眠られぬ夜のために』……眠られぬ夜はせんべい三枚食べると一寸空腹感が充たされて眠れる、と書いてあるが、ああいうのはいいな。
坂口 恋愛の精神性というのは大嫌いだよ。やはり肉体から出て来なければ駄目だよ。
太宰 しかし、坂口さんの最近の作品には肉体性がちっとも出てない。
坂口 出て来るよ、これから……。
太宰 案外ピューリタンなんじゃないか。男色の方じゃないか。
坂口 そうでもないよ。しかしそういう肉体ということにやはり一応徹しなければ文学というものは駄目だね。気取り過ぎるよ。
太宰 だけど女房を寝取られたときの苦しさというのは気取った苦しさじゃない。つまりあの型でまたやったか……それだよ。煮湯を飲むというのはそれなんだ。
平野 そういう女房を寝取られたときの苦しさというような肉体的な……。
太宰 それは所有欲とか何とかいうものじゃない。
平野 そういうものはやはり坂口さんの文学に出ていないね。岩上順一がたしか坂口さんをエロ作家のなかに数えていたが、ちっともエロなんかありやしない。おそらく観念的だ。
坂口 これから出て来るよ。
太宰 それじゃホームをつくりなさい。ホームをつくって大事にして……。
坂口 大事にする気がしない。寝取られることを覚悟しているということだよ。
太宰 弱いのだ。坂口さんは実に弱い人だね。最悪のことばかり予想して生活しているね。
坂口 ほんとうにそうだよ。僕は初めから……。
平野 いま三十代の作家というと、雑誌なんか見ると井上友一郎とか、なにとか、ああいう人が非常によく書いている。みんな力作なんだ。しかしなにか印象が稀薄なんだね。というのは、あのゼネレーションは一種のブランクがあるのじゃないかという気がする。
織田 あの辺やはりブランクだね。
坂口 あの辺三十代というのかね。しかしそんなこと言ったら俺と同じ時代じゃないか。俺は四十を越しているけれども……そういうことはない。つまりあのゼネレーションだね。太宰でも俺と同じゼネレーションだ。
織田 だからゼネレーションじゃない。もうこうなれば一人々々だ。
平野 やはりゼネレーションというものはあると思うね。坂口さんなどやはり僕らよりは先輩だよ。牧野信一と友達だなんて人は……。
織田 僕らの方がなにかゼネレーションを代表しているように思っているので、あれなんか僕ゼネレーションと思わない。ゼネレーション外れだよ。ゼネレーションにはゼネレーションの主張があるでしょう。主張がないのだもの、ゼネレーション外れだ。
坂口 いま若い三十代か四十代か知らんが、俺と同年輩か或は一寸以下か知らんが、面白い作家というのは一人もいないね。
■坂口安吾(1906~1955) 新潟県新潟市西大畑通生まれ。本名、坂口炳五。アテネ・フランセでフランス語を習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。主な作品に『堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下』などがある。
平野 石川淳など面白いでしょう。
坂口 石川君は僕は……やはりそういうことをいうと、ゼネレーションというものの違いがはっきり感じられるね。
平野 やはり上ですか。
坂口 これは上だね。退屈ですよ。
平野 そうかなあ。僕は反対だなあ。僕は石川さんの『森鷗外』という本に非常に感心したのだが、ところがあの本ではゼネレーションの違いというものをほとんど感じなかった。
■石川淳(1899~1987) 東京市浅草区生まれの小説家・文芸評論家・翻訳家。無頼派、独自孤高の作家と呼ばれた。一連の作品には、和漢洋にわたる学識を背景にした現代社会への批判精神が溢れている。そこに、若い頃に関わったアナキズムの考え方に加え、一見奇想天外とも思える設定の中に、自ら「精神の運動」と呼ぶダイナミズムをみることができる。主な作品に『普賢』『焼跡のイエス』『紫苑物語』『至福千年』『狂風記』などがある。
坂口 石川さんは無駄なことが非常に好きな人だね。
平野 それはどういうこと?
坂口 石川さんなるものについて、僕は石川淳のダンディということだね。石川さんのダンディズム、そっくり別な現実をでっちあげて、現実と混線していないから。
織田 しかし作品はダンディズムじゃないね。
平野 いや、ずいぶんハイカラだね。
織田 僕はハイカラな感じはしない。
坂口 それは君のダンディズムと違うんだ。ダンディの内容が各人同じということはない。これはやはり大阪と東京の違いだよ。たとえば北原武夫にダンディをちっとも感じないというのは、つまりダンディの母胎が違う。そして田舎にだってダンディはある。だが北原の場合は田舎のダンディというのでなしに、あれはどうも偽物だもの……。
太宰 北原武夫は偽物じゃないのですよ。僕は却って嘉村礒多に似たものを感じます。おしめの匂いがして……僕は『妻』というのを一つ読んだだけだけれども……。とても愚痴っぽくじめじめしていますよ。
織田 僕はあれは田舎者だと思う。都会人はスタイルなどということを言わない。都会人は野暮だからね。スタイルとか、お洒落だからというのは田舎者の証拠だ。
坂口 僕は北原のスタイルは嫌いだ。なぜ嫌いか、あのスタイルは文学の言葉でなく現実の女を口説く言葉だから。われわれも小説で女を口説くけど、われわれは永遠の女を口説いているから。
太宰 負け惜しみを言っているな。
坂口 あれは現実の女を口説いている。そういうところがあるね。それはやはり北原の俗物性だと思うな。僕が女を口説くときは小説なんか決してだしに使わない。
太宰 あなたなんか小説をだしに使っても無駄ですよ。
織田 小説をだしに使えるような小説を書いていないのだ。小説をよませるとかえってふられる。
坂口 北原はしかしそうだよ。小説の中で現実の女を口説いているね。
太宰 そんなことはないだろう。
坂口 それは君たち肉体を持っておらんから……。
太宰 肉体々々というけれども……。
織田 自分がいま関係している女のことを念頭において書いていることも事実だし、その女が読むということを勘定に入れていることも分るね。ラブ・レターだよ。
平野 しかし、北原武夫と嘉村磯多と同じだというのは面白いな。北原武夫が聞いたら、一ばんびっくりするよ。
坂口 舟橋は右翼だと言っているが。
平野 あれは喜んだろう。ちょっと北原武夫の思う壺だ。
坂口 一時はびっくりしたよ。が、一種の名言だね。
織田 何か新潮に書いておったね。思いがけぬ敗戦となり驚愕と狼狽を感じたとか何とか……文学という宿命というのもおかしい。
坂口 まあ北原のことはよそう。
平野 舟橋聖一が「織田作之助と俺とは違うんだ」というようなことを書いていたが、織田さんどうです。
坂口 それは面白いじゃないか。
■舟橋聖一(1904~1976) 東京府東京市本所区横網町生まれの小説家。戦中に書き継いで声価の高い『悉皆屋康吉』を経て、戦後は、『雪夫人絵図』や『芸者小夏』シリーズなどの愛欲小説や、『花の生涯』をはじめとする歴史物を書いて人気作家となった。その後も『ある女の遠景』『好きな女の胸飾り』などで独自の伝統的、官能的な美の世界を展開した。
織田 舟橋というのはチラチラ見せている。僕はぐっとまくるので……。
太宰 何をまくる……? まくるものがないじゃないか。
織田 何をまくるかということに言葉で答えると舟橋聖一になるのだよ。
坂口 舟橋というのはなかなか面白いところがあるよ。小説は下手だけど……。
平野 いや『律女覚え書』というのは巧いね。
坂口 あまり具体的に読んでおらんから言えないけれど……。
平野 大した巧さだ。傑作だよ。
太宰 傑作なんてそんな……あまり残酷だよ。僕たち、駄作ばかり書いている。
坂口 そうでもないよ。君など秀作を書き過ぎる方だよ。もっと大いに駄作を書いた方がいいのだ。太宰君は駄作を書かない人だな。
太宰 あなたはひどいよ。あなたは僕より少し年が上だ。それだけ甲羅が硬くて、あんなへんな傑作ばかり書くんだな。あれが嫌ですね。……織田作之助というのは一つも傑作がないのだろう。駄作ばかり……。
織田 ないんだ。それで何書いても面白いんだよ。何書いても誰と一緒に書いても俺のが一ばんくだらなくて、息もつかせず読める、ちっとも傑作じゃないのだよ。
太宰 息もつかせず……?
織田 読ませるよ。
坂口 そういうところはあるね。
太宰 織田作之助は旧いよ。旧くないか。
坂口 いやそうじゃない。太宰も旧いし、俺も旧い。俺たち一ばん旧いんだよ。
太宰 意外だね。それは意外な忠告だ。
坂口 そんなことはない。文学の歴史始まって、ギリシャの初からお前みたいのがあった。それを意識しないのは、お前はただ時代々々に即してものを書いているだけの話で……。
太宰 そういうエピキュリアン……。
坂口 万葉詩人みたいに恋を時代感覚で語る最も素朴なインテリゲンチャだよ。
平野 素朴なインテリゲンチャなんてないよ。
坂口 俺もそうだ。進歩なんかありやしない。進歩がないところでいいじゃないか。
平野 大体人間に進歩というものはあるのですかね。
坂口 俺も知らんけれども、人間に関しては……恐らくギリシャが始まってから、人間に関しては一歩も進歩というものはないだろう。
太宰 でも表現は変るね。
平野 変るということは非常にある。
太宰 絵を見ていると表現がガラッガラッと変る。変っているけれども、その変っている絵がいわゆる近代絵画という、いや、もうよそう、平野さん好きなんでしょう、近代絵画なんて……実際平野さん一等いや、『近代文学』なんて鹿爪らしくして……。
平野 冷やかしちゃ駄目だよ。どうも少しアレて来たね。
太宰 座談会はもういいよ。これくらいで……。
坂口 今度は文学でないことを喋ろうよ。
織田 今日は女房の話が出すぎたね。
平野 坂口さんなんか知りもしないくせして……。
坂口 俺しかし日本に住んでおって、女房を持たんというのは悪いみたいだね。
太宰 それはそうです。織田君どう思う。
織田 そういうことはあまり言わんことだな。黙ってやろうじゃないか。何か頻りにこだわっているようだね、そんなことに。
太宰 座談会はもうよそう。