記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

日めくり太宰治

【日めくり太宰治】8月5日

8月5日の太宰治。 1940年(昭和15年)8月5日。 太宰治 31歳。 八月五日付発行の「東京帝国大学新聞」に「貪婪禍(どんらんか)」を発表。 『貪婪禍(どんらんか)』 今日は、太宰のエッセイ『貪婪禍(どんらんか)』を紹介します。 『貪婪禍(どんらん…

【日めくり太宰治】8月4日

8月4日の太宰治。 1936年(昭和11年)8月4日。 太宰治 27歳。 八月四日付で、楢崎勤(ならさきつとむ)に葉書を送る。 『白猿狂乱』顛末記 今日は、7月27日の記事で紹介した、「新潮」九月号に掲載する小説30枚用に、小説『白猿狂乱』を執筆…

【日めくり太宰治】8月3日

8月3日の太宰治。 1941年(昭和16年)8月3日。 太宰治 32歳。 当時高山書院に務めていた菊田義孝(きくたよしたか)が、はじめて三鷹の家を訪れた。 菊田義孝、三鷹の住居を初訪問 1941年(昭和16年)8月3日、高山書院に勤めていた菊田義…

【日めくり太宰治】8月2日

8月2日の太宰治。 1941年(昭和16年)8月2日。 太宰治 32歳。 八月二日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 セルフレビューと仮入歯 今日は、1941年(昭和16年)8月2日付で、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。 東京府下三鷹町下…

【日めくり太宰治】8月1日

8月1日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月1日。 太宰治 29歳。 八月一日付発行の「日本浪漫派」八月号の緒方隆士(おがたたかし)追悼号に「緒方君を殺した者」を発表。 『緒方君を殺した者』 今日は、太宰のエッセイ『緒方君を殺した者』を紹介し…

【日めくり太宰治】7月31日

7月31日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月31日。 太宰治 25歳。 七月三十一日付で、小舘善四郎(こだてぜんしろう)に葉書を送る。 弟のように可愛がった小舘善四郎(こだてぜんしろう) 今日は、1935年(昭和10年)7月31日付で、小舘善…

【日めくり太宰治】7月30日

7月30日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月30日。 太宰治 38歳。 七月に書かれた、山崎富栄の日記。 富栄、募る太宰への想い 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)7月に書いた、5日分の日記を紹介します。 まずは、7月…

【日めくり太宰治】7月29日

7月29日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月29日。 太宰治 26歳。 七月二十九日付で、山岸外史に葉書を送る。 「なぜ、君は遊びに来ないのか」 今日は、太宰が親友・山岸外史に宛てて、1935年(昭和10年)7月から8月にかけて書いたハガ…

【日めくり太宰治】7月28日

7月28日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月28日。 太宰治 36歳。 朝、石原愛子、大内かね、和子などに甲府駅まで見送られ、焼土となった甲府をあとにし、妻子を連れて津軽へと旅立った。 太宰、甲府から津軽へ疎開 1945年(昭和20年)4…

【日めくり太宰治】7月27日

7月27日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月27日。 太宰治 27歳。 七月二十七日付で、佐藤春夫に手紙を送る。 佐藤春夫へ「オ許シ下サイ」 佐藤春夫(1892~1964)は、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡新宮町(現在の、新宮市)出身の小説…

【日めくり太宰治】7月26日

7月26日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月26日。 太宰治 27歳。 七月二十六日付で、中畑慶吉(なかはたけいきち)に葉書を送る。 中畑慶吉(なかはたけいきち)に宛てた自身の近況報告 太宰がハガキを書いた中畑慶吉(なかはたけいきち)は、青森県…

【日めくり太宰治】7月25日

7月25日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月25日。 太宰治 27歳。 七月二十五日付発行の「工業大学蔵前新聞」に「走ラヌ名馬」四百字詰三枚を発表。 『走ラヌ名馬』 今日は、太宰のエッセイ『走ラヌ名馬』を紹介します。 『走ラヌ名馬』は、19…

【日めくり太宰治】7月24日

7月24日の太宰治。 1927年(昭和2年)7月24日。 太宰治 18歳。 七月二十四日未明の芥川龍之介の自殺に、激しい衝撃を受ける。 「河童忌」芥川龍之介の命日 1927年(昭和2年)7月24日未明。『続西方の人』を書き上げた芥川龍之介(18…

【日めくり太宰治】7月23日

7月23日の太宰治。 1944年(昭和19年)7月23日。 太宰治 35歳。 北海道、大連、青島などを、九州出身の職業軍人中村清に呼ばれるまま、水商売をしながら転々と渡り歩いていた小山初代(おやまはつよ)が、中華民国山東省青島市浙江路四号で、不…

【日めくり太宰治】7月22日

7月22日の太宰治。 1937年(昭和12年)7月22日。 太宰治 28歳。 七月二十二日付で、平岡敏男(ひろおかとしお)に葉書を送る。 平岡敏男への近況報告 今日は、1937年(昭和12年)7月22日付で、友人・平岡敏男ひろおかとしお(1909…

【日めくり太宰治】7月21日

7月21日の太宰治。 1942年(昭和17年)7月21日。 太宰治 33歳。 七月二十一日付で、戸石泰一(といしたいいち)に葉書を送る。 太宰、義弟の下宿探し 今日紹介するのは、太宰が弟子・戸石泰一(といしたいいち)(1919~1978)に宛て、1…

【日めくり太宰治】7月20日

7月20日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月20日。 太宰治 30歳。 七月二十日付で短篇集『女生徒』を砂子屋書房から刊行した。 太宰、お見合いをセッティング 1939年(昭和14年)7月20日付で、太宰の第5短篇集『女生徒』(「満願」「…

【日めくり太宰治】7月19日

7月19日の太宰治。 1937年(昭和12年)7月19日。 太宰治 28歳。 七月十九日付で、小山初代に手紙を送る。 太宰と離別後の小山初代 今日は、1937年(昭和12年)7月19日付で、太宰が内縁の妻・小山初代に宛てて書いた手紙を紹介します…

【日めくり太宰治】7月18日

7月18日の太宰治。 1948年(昭和23年)7月18日。 太宰治 39歳。 三鷹町下連雀二百九十六番地、黄檗宗(おうばくしゅう)霊泉山禅林寺に葬られ、五七日の法要が営まれた。禅林寺に残る過去帳に記された法名は「文綵院大猷治通居士(ぶんさんいんだ…

【日めくり太宰治】7月17日

7月17日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月17日。 太宰治 36歳。 上京。三鷹の家で、亀井勝一郎、田中英光、小山清などと別れの小宴をはった。 「甲府空襲」罹災後の太宰 今日は、7月7日の記事で紹介した「甲府空襲」で罹災したあとの、太宰…

【日めくり太宰治】7月16日

7月16日の太宰治。 1926年(大正15年)7月16日。 太宰治 17歳。 「蜃気楼(しんきろう)」七月号を刊行。「哄笑(こうしょう)に至る」を津島修治の署名で、「因果帳」を無署名で発表し、巻末に「編輯後期」を(修治)の署名で掲げた。 『哄笑(こ…

【日めくり太宰治】7月15日

7月15日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月15日。 太宰治 30歳。 鰭崎潤が見つけてくれた家を見るために上京し、三鷹に新築中の三軒の貸家の一番奥の家を契約して、家主からの完成の連絡を待つことになった。一番奥を選択したのは、「表通りに…

【日めくり太宰治】7月14日

7月14日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月14日。 太宰治 38歳。 午前十一時ごろ、菊田義孝(きくたよしたか)が太宰宅を訪問する。 菊田義孝「愛情うすし」 今日は、太宰の弟子・菊田義孝(きくたよしたか)(1916~2002)が、1947年…

【日めくり太宰治】7月13日

7月13日の太宰治。 1940年(昭和15年)7月13日。 太宰治 31歳。 美知子宛電報を打ち、滞在費を持って迎えに来させた。 太宰、「洪水に急襲」される 太宰は、1940年(昭和15年)7月3日から、「大判の東京明細地図」を携えて、東京在住…

【日めくり太宰治】7月12日

7月12日の太宰治。 1933年(昭和8年)7月12日。 太宰治 24歳。 七月十二日付で、久保隆一郎(くぼたかいちろう)に手紙を送る。 久保隆一郎への手紙 今日は、1933年(昭和8年)7月12日付で、太宰が友人・久保隆一郎(くぼたかいちろう)(…

【日めくり太宰治】7月11日

7月11日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月11日。 太宰治 27歳。 午後五時から、山崎剛平、浅見淵の尽力で、不忍池畔の上野精養軒において『晩年』の出版記念会が持たれた。 『晩年』の出版記念会 1935年(昭和11年)7月11日、午後5…

【日めくり太宰治】7月10日

7月10日の太宰治。 1939年(昭和14年)7月10日。 太宰治 30歳。 七月十日付発行の「文筆」初夏随筆号に「『人間キリスト記』その他」を発表。「随筆」で言及されているのは、山岸外史著『人間キリスト記』(第一書房、昭和十三年十一月二十五…

【日めくり太宰治】7月9日

7月9日の太宰治。 1947年(昭和22年)7月9日。 太宰治 38歳。 七月九日付で、3通の手紙を送る。 太宰の3通の手紙 今日は、1947年(昭和22年)7月9日付で、太宰が書いた手紙3通を紹介します。 1通目は、養徳社編集部・庄野誠一に宛て…

【日めくり太宰治】7月8日

7月8日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月8日。 太宰治 27歳。 七月八日付で、佐藤春夫に手紙を送る。 太宰、佐藤春夫への誘い 今日は、1936年(昭和11年)7月8日付で、井伏鱒二の師匠筋・佐藤春夫に送ったハガキを紹介します。この佐藤…

【日めくり太宰治】7月7日

7月7日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月7日。 太宰治 36歳。 明け方、愛子が久保寺家でもらってきたおにぎりを、焼け跡で受け取った。 太宰、「甲府空襲」に遭う 1945年(昭和20年)6月末に『お伽草紙』全4篇200枚の原稿を完成させ…