記憶の宮殿
◆『もの思う葦(その一)』① 「はしがき」 「虚栄の市」 「敗北の歌」 「或る実験報告」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
◆「魚服記に就て」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ163作品を執筆順に紹介します。 更新済のエッセイは「創刊のお知らせ!」内の一覧から読むことができます!
【日めくり太宰治】完結のお礼 本日7時の更新を以て、2020年 太宰治生誕111周年記念企画【日めくり太宰治】全368本(11月22日、11月25日には座談会<特別編>も更新)の投稿が終了しました。 継続することが苦手で、三日坊主で終わること…
12月31日の太宰治。 1944年(昭和19年)12月31日。 太宰治 35歳。 大晦日に、さそわれて菊田義孝宅を訪れた。 菊田義孝と過ごす大晦日 1944年(昭和19年)12月31日。太宰は、大晦日に弟子・菊田義孝(きくたよしたか)に誘われ、菊…
12月30日の太宰治。 1947年(昭和22年)12月30日。 太宰治 38歳。 十二月三十日に書かれた、山崎富栄の日記。 山崎富栄「女一人」 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月30日に書いた日記を紹介します。 太宰と…
12月29日の太宰治。 1936年(昭和11年)12月29日。 太宰治 27歳。 井伏鱒二は佐藤春夫から「五十円拝借」。 熱海事件(付け馬事件)② 今日は、「熱海事件」(”付け馬事件”とも)について、前・後編の2回に分けて紹介する<後編>です。 1…
12月28日の太宰治。 1936年(昭和11年)12月28日。 太宰治 27歳。 十二月下旬、檀一雄が、初代の依頼によって金を届けに訪れたが、支払いをせず、二人で遊び、金を使い果たして、借銭をした。 熱海事件(付け馬事件)① 今日は、「熱海事件」…
12月26日の太宰治。 1941年(昭和16年)12月26日。 太宰治 32歳。 十二月中旬、東京駅で太田静子と落ち合い、新宿の「LILAS」という地下レストランで対談した。 「僕の生命を園子にあずける」 1941年(昭和16年)9月上旬頃に太…
12月25日の太宰治。 1946年(昭和21年)12月25日。 太宰治 37歳。 一九四七年(昭和二十二年)一月一日付発行の「中央公論」新年号に「メリイクリスマス」を発表。 『ぼくのクリスマスプレゼント』 太宰は、1947年(昭和22年)1月1…
12月24日の太宰治。 1946年(昭和21年)12月24日。 太宰治 37歳。 十二月二十四日付で、前田出版の真尾倍弘(ましおますひろ)に手紙を書く。 太宰の年越し準備 太宰は、1946年(昭和21年)12月24日付で、前田出版の真尾倍弘(ましお…
12月23日の太宰治。 1943年(昭和18年)12月23日。 太宰治 34歳。 埼玉県日高の高麗神社(こまじんじゃ)での阿佐ヶ谷会錬成忘年会に、外村繁、青柳瑞穂、平野零児、上林暁、小田嶽夫、安成二郎らと参加。 阿佐ヶ谷会錬成忘年会 1943年(…
12月22日の太宰治。 1947年(昭和22年)12月22日。 太宰治 38歳。 十二月六日から二十二日に書かれた、山崎富栄の日記。 富栄「お人好しの仙女では…」 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月6日から12月22日…
12月21日の太宰治。 1944年(昭和19年)12月21日。 太宰治 35歳。 十二月二十日夜、魯迅が仙台医学専門学校に在籍した当時のことを調査するために、仙台に向かって、十二月二十一日朝、仙台に着いて青木ホテル(?)に滞在。河北新報社編輯…
12月20日の太宰治。 1926年(大正15年)12月20日。 太宰治 17歳。 十二月二十日付で「蜃気楼」十一月十二月合併号を発行。「怪談」を津島修治の署名で発表した。 『怪談』 今日は、太宰が県立青森中学校4年生の時に、「蜃気楼」十一月十二…
12月19日の太宰治。 1935年(昭和10年)12月19日。 太宰治 26歳。 次姉トシの長男逸郎(二十三歳、東京医学専門学校在籍)とともに、懐中五十円、「()碧眼托鉢(へきがんたくはつ)」の旅に出て、湯河原温泉の翠明館、箱根等に遊び、風邪気味…
12月18日の太宰治。 1934年(昭和9年)12月18日。 太宰治 25歳。 文藝同人誌「青い花」が発行された。創刊号が出来たのは、十二月十八日頃であったと推定される。 文藝同人誌「青い花」創刊 1934年(昭和9年)12月1日付で、太宰をは…
12月17日の太宰治。 1922年(大正11年)12月17日。 太宰治 13歳。 十二月十二日、父源右衛門(げんえもん )が、貴族院議員となることが決定した。 源右衛門、貴族院議員に 1922年(大正11年)。太宰が13歳で金木第一尋常小学校を卒業…
12月16日の太宰治。 1946年(昭和21年)12月16日。 太宰治 37歳。 十一月二十四日、十二月九日、十二月十六日付で、堤重久(つつみしげひさ)に葉書を送る。 太宰「校正お世話になります」 今日は、1946年(昭和21年)11月24日、1…
12月15日の太宰治。 1928年(昭和3年)12月15日。 太宰治 19歳。 十二月十五日付で、弘前高等学校「校友会雑誌」第十三号が発行され、「此(こ)の夫婦(ふうふ)」を津島修治の署名で発表した。 『此(こ)の夫婦(ふうふ)』 今日は、太宰が弘前高…
12月14日の太宰治。 1946年(昭和21年)12月14日。 太宰治 37歳。 夜、亀井勝一郎とともに招かれて、練馬区豊玉にあった高原紀一の下宿二階八畳間で、府立第五中学校出身者中心の二十歳前後の文学青年グループと逢った。 「太宰さんの文学は…
12月13日の太宰治。 1940年(昭和15年)12月13日。 太宰治 31歳。 十二月二日、十二月十二日、十二月十八日付で、山岸外史に葉書を送る。 太宰、山岸に「君は一番強いよ。」 今日は、1940年(昭和15年)12月2日、12日、18日付…
12月12日の太宰治。 1935(昭和10年)12月12日。 太宰治 26歳。 「碧眼托鉢(へきがんたくはつ)(一)」を十二月十一、十二日頃、「碧眼托鉢(へきがんたくはつ)(ニ)」を一月五日、六日頃、「碧眼托鉢(へきがんたくはつ)(三)」を二月九日…
12月11日の太宰治。 1937年(昭和12年)12月11日。 太宰治 28歳。 十二月十日付発行の「日本学藝新聞」に「こわ(ママ)い顔して/創作余談」(後「創作余談」と改題)を発表した。 『創作余談』 今日は、太宰のエッセイ『創作余談』を紹介しま…
12月10日の太宰治。 1929年(昭和4年)12月10日。 太宰治 20歳。 深夜、多量のカルモチンを下宿で嚥下(えんげ)して昏睡状態に陥った。 カルモチン服用による自殺未遂 1929年(昭和4年)12月10日の深夜、弘前高等学校3年生の太宰は…
12月9日の太宰治。 1938年(昭和13年)12月9日。 太宰治 29歳。 十二月九日付発行の「国民新聞」に「九月十月十一月(上)/御坂で苦慮のこと」を、十二月十日付発行の同紙に「九月十月十一月(中)/御坂退却のこと」を、十二月十一日付発行…
12月8日の太宰治。 1941年(昭和16年)12月8日。 太宰治 32歳。 午前三時十九分、日本の機動部隊がハワイ真珠湾を奇襲し、同日十一時四十五分、アメリカ、イギリスに対し、宣戦の詔書が発せられた。 「太平洋戦争が始まった」 1941年(昭…
12月7日の太宰治。 1930年(昭和5年)12月7日。 太宰治 21歳。 十二月上旬の恢復(かいふく)後、自殺幇助(ほうじょ)罪容疑で警察の引致取調べを受けた。 太宰、自殺幇助(ほうじょ)罪に問われる 1930年(昭和5年)11月28日夜半、太宰と…
12月6日の太宰治。 1944年(昭和19年)12月6日。 太宰治 35歳。 十二月六日付、十二月十三日付、十二月二十七日で、小山清(こやまきよし)に葉書を送る。 太宰、小山清(こやまきよし)への近況報告 今日は、1944年(昭和19年)12月6日…
12月5日の太宰治。 1947年(昭和22年)12月5日。 太宰治 38歳。 十二月一日から五日に書かれた、山崎富栄の日記。 富栄「修ちゃんを、守りたい」 今日は、太宰の愛人・山崎富栄が、1947年(昭和22年)12月1日から12月5日までに書…